芽生え -お隣さんは魔女-

 (どうしてこんな事に・・・)

折角無理を言って大将軍の第一位従者となったにも関わらず最近の彼の傍には常に叔母であり第一王女であるアルヴィーヌが、

国内にいる時はそこに執事のレドラも付いて歩くようになっていた。

誰よりも厳しい現実を生き抜いてきた時雨は下心が無いなどという馬鹿な言い訳をするつもりはない。

出来れば自分が、自分こそが彼の一番近くにいたかった。なのにアルヴィーヌが彼にべったりで、次いで執事のレドラが甲斐甲斐しく傍で面倒を見ている為まるで隙が無い。

今も飛空馬車の御者席に1人座る時雨・・・いや、これこそ従者の正しい姿なのだがそこに納得と満足があるかどうかは別問題だ。


今回はヴァッツの思いつきにも近い希望から久しぶりに実家のある『迷わせの森』に帰る事となったのだが、

「私も行く。」

という王女の我侭を誰も止められるはずもなく、

「主の出生の地とならば私も是非に。」

『トリスト』城にある大将軍の部屋を一任されていた執事も喜んで手を挙げていた。そして困った事に王女と執事はとても仲が良い。

『孤高』の1人でもあるが故か、国王も宰相もそれらに口を挟む事はなかったのでどうする事も出来なかった。

現在の『トリスト』城が『迷わせの森』上空付近に待機していたのもあり、話はとんとん拍子で進むと翌日に向かう事になった4人。

クレイスの亡命劇が開幕する時に一度だけその位置を確かめた事はあるが時雨自身も近づいたり中に入るのは初めてだ。

(主の神域に入る事を許されるのだ。今はそれだけでも十分ではないか。)

思考を切り替えて自身の心を何とか前向きに修正すると、こじんまりとした古い民家が一軒、木々の間から見え始めていた。




静かに馬車を止めて扉を開ける時雨。するとヴァッツが大はしゃぎで飛び出してくる。

「おー!!!よかったー!!!前と変わってない!!!」

そもそもここが彼の生まれ故郷で育って来た土地なのだ。誰よりも強い思い入れがあると共に愛着があるのは普通に考えると理解出来る。

後からふわりと降り立ったアルヴィーヌもわくわく感を隠そうともせず、しかし不思議そうに、

「ここがヴァッツの生まれた所・・・何か色々おかしな気配があるね。」

家の周囲をとととーと小走りで一周した後まるで自身の縄張りを確認する動物みたいな動きできょろきょろと辺りを見回しながら散策し始めた。

「アルヴィーヌ様、ここは『迷わせの森』と呼ばれる場所、あまり遠くに行かれないよう。」

聞けばスラヴォフィルより年上だというレドラは老いを全く感じさせない動きで馬車から降りると吸い付かれるようにヴァッツの傍へと移動していく。

飛空馬車の番をしなくてはならないので時雨は全く身動きが取れず、羨ましさを隠すように3人を眺めていると、


「この家に近づくとはとんだ命知らずだねぇ?」


不意に後ろから声を掛けられた。何の気配も感じる事が出来なかったので慌てて前に飛んで振り向こうとしたが


しゅるるるっ!!!!


周囲に生えているひん曲がった木々が彼女の両足に絡みつくと一気に体を中空に引き上げた。

同時に両腕にもまるで蔦のような木々がそれ以上に柔らかい動きを見せつつ絡みついて来る事で完全に自由を奪われてしまう。

「ヴァッツ様!!お気を付けください!!敵が近くに潜んでいます!!!」

抵抗が難しいと判断した時雨は大声を上げて周囲にいる3人へ警戒するよう呼びかける。

「うんむ?ヴァッツ様とな?おぬしゃヴァッツの知り合いかい?」

仰向けの状態で四肢を木々に縛られているので彼女の視界はに空しか見えない。

だが自分を襲った女の声が背中から聞こえてくるという事は今時雨の真下辺りにこれを仕掛けた本人がいるのだろう。

「どうしたの?!あ!!」

叫ぶような大声を聞いて慌てて駆け寄って来たヴァッツとアルヴィーヌ。レドラは代わりに馬車を護ろうと少し離れた場所でこちらの様子を伺っているようだ。

ここでまた主が力を振るう事になるのか、また自分は主に助けてもらう事になるのか。

力の差は十分に理解しているとはいえあまりにも不甲斐ない従者っぷりに落ち込んでいく時雨だったが、

「ヴァッツ~~!!!よく帰ってきたねぇぇぇぇぇ!!!!」

先程聞いたものと全く違う猫なで声で主の帰宅を喜んでいる女。姿は全く見えないが敵対勢力というわけではないらしい。

「エイム~!!ただいま~!!」

そしてヴァッツの方も声の主である女の名を呼んで再会を喜び合っているようだ。

ひとまず安心といった所だが彼らは相当仲が良いらしく中々こちらに意識を向けてくれないので仕方なく、

「あの、すみません。下ろして頂いてもよろしいですか?」

王女、執事に続きまたもヴァッツに近しい存在が現れた事で少し落ち込んでしまう時雨は情けない声で懇願していた。






 手足の自由を奪われ中空に囚われるという従者にあるまじき失態を犯して情けなさが心の器を大きくはみ出てしまう時雨。

そんな彼女の動揺など露知らず、

「あなたがエイム・・・あ。父さんに聞いたんだ。」

アルヴィーヌがやっと思い出したといった様子で拳を手の平でぽんと叩く。すると、

「・・・ほう?父さんとやらはもしかしなくてもスラヴォフィルの事だねぇ?」

先程時雨にかけたのと同じ声質で、何やら若干の怒りすら感じ取れる声で迫るエイムに体の自由が戻った時雨は止めに入ろうとするも一瞬で固まってしまった。

黒い紫色の妙に縦に長いとんがり帽子、しかしつばは広くてとても使いにくい形をしており、

身に纏う衣装も同じ色で統一されていて少しだぶついているせいか足元の靴はつま先が辛うじて見えている。

年齢は相当高齢なのだろう。背中は大きく曲がり腰の位置と頭の位置が地面と平行になっている。それらを統合するとまるで、

「うん。性悪の魔女が近くに住んでて面倒くさいってぼやいてた。」

「あんのくそじじい!!今度会ったら尻に火つけてやる!!!」


そう、まさに昔読んだ物語に出てくる魔女そのものが目の前に現れた事で時雨は妙な感動を覚えて動きが止まってしまったのだ。


「性悪って何?」

空気を読まないヴァッツが声を上げた事でエイムと呼ばれる魔女は一瞬で雰囲気を柔らかいものに変化させると、

「あんたはまだ知らなくていいんだよ~。大人が使う悪い言葉さ。」

長い手を伸ばして彼の頭を撫でながら優しく諭し出した。

本当にどういった関係なのか。これは詳しく聞く必要があると感じた時雨は改めて、

「エイム様。私はヴァッツ様の第一位従者である時雨と申します。よろしければお二人のお話を聞かせていただけませんか?」

普段通りの丁寧な対応をした。つもりだったが、

「あぁん?・・・あんた、何勝手に私のヴァッツの名を呼んだりしてるんだい?!」

独占欲にしては度が過ぎる内容が返って来た。本当にどういった関係なのだろう?

「ちょっとエイム!時雨にそんな口の利き方したら駄目!!オレの大切な友達なんだよ?!」

しかし主からとんでもない発言を頂いて身も心も蕩けそうになった時雨は鋼の意志で何とか持ちこたえる。

最近は傍にいる機会が少なかったうえにここにたどり着いた瞬間訳の分からない攻撃を受けたり訳の分からない老婆に凄まれたりと散々だったが

このやりとりによって彼女のやる気と機嫌は天井を突き抜けていた。

「そ、そうなのかい?!いや・・・しかし・・・むむむむむ・・・」

本人が強く反発した事で何も言い返せなくなったエイムは唸り続ける。

「失礼。私ヴァッツ様の執事を任されておりますレドラと申します。エイム様とヴァッツ様は一体どのようなご関係なのでしょう?」

そこに傍観していたレドラが時雨の思っていた事を代弁してくれた。その隣ではアルヴィーヌもこくこくと頷いている。

「えっとね。エイムはオレん家のお隣さんなんだ。」

「うんむ。まぁ付け加えるなら育ての親だぁね。」

素朴な疑問にヴァッツが短く答えた事で一同は納得し、魔女は顎に手をやりながらにんまりと笑っていた。




ヴァッツの家には食料が何一つ残っていなかったので4人は育ての親というエイムの家に招かれる事になった。

初めてみた時の彼女の姿も想像そのままだったので驚いていたが、

「うわ・・・素敵。」

アルヴィーヌが普段使わない言葉を用いてまで彼女の家を褒め称えている。

まさかここまで物語風に寄せているとは。時雨もひどい目に遭ってはいたがそれを全て水に流せるくらいには感動していた。

外見は巨大な切り株のようになっており、そこに小さな小窓と扉をちょこんと設置して屋根の上には柵らしきものも確認出来る。恐らくどこか上に登れる階段がついているのだろう。

周囲の不気味な雰囲気とも相まって1つの絵画のような風景を前に皆が各々驚愕していると、

「おや。天族のお嬢ちゃんは中々わかってるじゃないか。さぁさ。お入り。」

誘う言葉や仕草も魔女そのもので思わず吹き出しそうになるが、これ以上彼女の機嫌を損ねても何一ついい事はない。

ヴァッツがぴょんと中に入って行くのを皮切りに他の3人も様々な思惑を抱えながら中に入って行く。

内装もまるで生活感のない不思議な形をした棚や椅子、天井からはこれまた理解に苦しむ様々な生き物の死骸やら植物やらが吊り下げられており、

「ほい。お待たせ。腹が減ってるなら食べ物も用意するよ?」

エイムが用意した不格好な茶器には赤紫の液体が注がれていた。見た事が無いものばかりでどう対応すればいいのか困り果てていた時雨だったが、

「おいしー!!やっぱりエイムのお茶は甘くておいしいね!」

「おおー。これはうちにもほしい。後でお茶の葉譲ってくれない?」

「ほほう。これは見事なお点前で。」

他の3人は微塵も迷う事無くそれを口にしてそれぞれが賞賛していた。しかし考えてみれば当然だ。

あのヴァッツがこれほど心を開いている人物なのだから変な物を出すはずがない。

冷静な思考力が戻ってきた時雨も皆と同じようにいびつな茶器を手に取って一口飲むと、

「・・・あれ?これは・・・あまくは・・・な・・ひ?」

「ひゃっひゃっひゃ!お主からはどうも許しがたい下心を感じるのでな!ちと細工させてもらったよ?」

物語と同じ笑い方で非常に楽しそうな老婆をぼんやりと視界に捉えつつ今後二度と彼女を信じないと朦朧とする意識の中で誓うのだった。






 「エーイームーーー?!時雨に何したの?!」

弱毒を受けて朦朧としているからか主が自分の為に怒ってくれているからか、またも空高く舞い上がりそうな程の喜びを感じていた時雨は、

「ら、らいりょうふれふぅ~」

ヴァッツを安心させる為に声を掛けるが思っている以上に舌が回らない。更に、

「時雨凄い顔だよ。それで大丈夫って言われても何か怖い。」

長年御世話役として傍にいた王女からも辛辣すぎる言葉を浴びせられてしまう。何とも悲しい立ち位置だがこれも従者の定めなのだろう。

しかしまたも慈悲深い主がふらふらになっていた彼女を優しく抱きかかえてくれるのだから後悔など何一つない。むしろこの場面を作り出してくれたエイムとやらに感謝せねば。

「・・・まぁ死ぬ事はなさそうですが。ところでエイム様がヴァッツ様の育ての親というのは一体?」

レドラは問題なしと判断したらしく彼女のお茶を美味しそうに戴きながら話の続きを尋ねている。

エイムとしても一番気に入らなかった時雨にいたずらをして満足したのか、

「ヴァッツや。心配はいらんよ?ちょっとだけ本音を聞きやすくする特別なお茶を入れただけじゃ。」

少し不機嫌になっていた主の気持ちをなだめるようにやさしく説明すると老婆は自身の椅子に座ってお茶をすすり始めた。

「さて。私はヴァッツが生まれるずっと前からこの森に住んでいる。この森の噂くらいは聞いていたじゃろ?」

それから4人の顔をゆっくりと見比べてほっと一息つくと懐かしそうにヴァッツの生い立ちを語り始める。

「もう12年前になるのか。突然あの白髭じじいがこの森にやってきてな。『魔界の境目』から赤子を引っ張り上げたんじゃ。」







その日は月も出ていない真っ暗な夜だった。

ただでさえ視界が悪いのに『迷わせの森』の木々は例外なく全てがひん曲がって生えている為光源がないとまともには歩けないだろう。

しかしそんな夜に一人の男がやってくる。それがスラヴォフィルだった。

彼はほろ酔い状態でエイムの家の近くまでやってきたかと思えば魔族のみが知る暗闇の亀裂『魔界の境目』に手を突っ込むと何と赤子を引っ張り出した。

そこまでの一部始終を見ていたエイムは何が起こっているのかさっぱりわからなかったがその赤子から魔族の気配は感じず、

取り出した本人も一気に酔いが醒めたかの驚きを見せていたという。


それから夜が明けるとすぐにその『魔界の境目』と小川を挟んだ場所の開墾を始めたスラヴォフィル。

何人かの人手も借り出してきてあっという間に整地が整うと今度はどこからか木材を持ってきて小屋を建て始めた。

嫌な予感がしたのでエイムは時雨を襲った時のように木々を操ってそれらを破壊、排除しようと企んだのだが・・・


木々は彼女の意志通り動く事はなく、むしろそこから離れるような行動をとり始めたという。


元々大地に彼女の魔力を注いでこの森を形成していただけに自分の意志に反して木々が勝手に動いたという事実は中々に受け入れ難かった。

仕方がないので自らが動いて排除する事を決意するエイム。

相手にどんな理由があろうとこの森を護る事が彼女の使命。不意打ちで全てを葬れるように十分な数と威力の火球を生成すると一気に放つ。


・・・ぼぼぼぼぼごごごごごごご!!!


気が付いた時には全てが死体になるだろう。そう踏んでいたのだがそれらは何故か軌道を変えると全てが地面に落ちて消滅した。

流石に作業に没頭していたとはいえ異音が鳴り響いた事で彼らもこちらに気が付いて、

「何じゃ貴様は?!・・・・・まさか、この森の魔女か?」

武器を構えて対峙していたスラヴォフィルは彼女の姿を一目見てそう口走る。

普段は人前に姿を現さないのだがこの時ばかりは仕方ない。自身が護る聖域が現在侵されているのだから。

「ふん!わかってるなら話は早い!さっさとここから出ておいきっ!!」

どういった理由かはわからないが全ての魔術が封じ込められていても虚勢を張って彼らを追い出そうとするエイム。

ここは彼女が全てを賭けてでも守り通さねばならない場所なのである。ところが、

「いや!この地で生まれたこの子の為にも譲るつもりはない!!」

スラヴォフィルが指を刺した先には先日『魔界の境目』から拾いだした赤子が布にくるまれて静かに眠っていた。

しかし生まれたばかりの子があんな場所にいたというのもおかしな話だが何より気になったのが、

「・・・あの子本当に生きとるのか?」

赤子にしてはあまりにも大人しい。周囲で開墾と小屋の建設が続けられ、更に隣では大ゲンカが行われているというのにだ。

「な、何を馬鹿なことを?!」

こういった時子を腹に身ごもる経験が出来ない男という生き物は大いに狼狽える。

不信に思ったエイムはどうせ魔術が使えないのだからと開き直ってスラヴォフィルを意に介さず赤子に近づくと抱き上げてみた。

・・・・・

生きてはいるがあまりにも大人しい。何か問題を抱えているのだろうか?

そもそも『魔界の境目』から取り出されたという点から気になる部分が多すぎる。いつ、だれがあんな場所にこれを放置していったのか?

番人として常に目を光らせていたエイムからすれば不可解であり不愉快でもあったのだが、

「・・・この子の世話を私にもさせるっていうんならここに住むのを許そうじゃないか。」

それらの謎を解明出来るかもしれない、という理由から彼女は赤子に近づく事を交渉材料に使った。

スラヴォフィルという男は子育ての経験がなかったらしくすぐに迷い始めたので育児についての不安要素を次々と並べ立ててあっという間に丸め込む事に成功するエイム。

だがあくまで自分が親という部分だけは妙に主張してくるので、

「お前は親というより祖父っていう年じゃないのかい?!」

あまりにもしつこかった為に強くあしらうと思いのほか心に突き刺さったらしく、その日から赤子は祖父とお隣さんの老婆によって育てられる事になった。






 自身も育児などは随分久しぶりだったので少し手こずるかもしれないと思っていたがやはり赤子は非常に大人しく、彼らの前で泣き声を上げる事は一切なかった。

「やれやれ。一体何なんだろうねこの子は。」

スラヴォフィルはその異常さに全く気が付いておらず、むしろ大人しくて賢明なのだろうなどとほざいていたので無視する事を決め込む。

ただ血色や健康に問題はなさそうなのでとりあえず彼女は自身の知識を総動員して作った哺乳器を片手に乳を飲ませ続けていた。

本当は乳母の生乳を与えてやりたかったがスラヴォフィルの伝手でもこの『迷わせの森』に入ってもよいという人物は探し出せなかったらしい。

しかし裏を返せばこれはエイムが散々広めた悪評がしっかりと世に伝わっているのだと受け取れる。これはとてもよい成果だろう。

「で、名前はもう決まったのかい?」

そろそろ1か月が経とうというのに未だに決められずにいたスラヴォフィルに苛立ちをぶつけるエイム。小屋の方が先に完成したというのだから相当不器用な男らしい。

「う、うーむ。それがどうにも難しくてなぁ・・・」

考えてはいるらしいが纏まらないといった所か。

確かに彼と赤子との間に血の繋がりはないし腹が大きくなっていく伴侶の姿も見ていないのだがら難しいのは当然だろう。

「・・・だったらヴァッシュってのはどうだい?」

「・・・ほう?その名に何か意味はあるのか?」

通るとは考えていなかったがわりと興味深く聞き返してきたスラヴォフィル。魔族が絡む内容なのであまり多くを教える訳にもいかなかったエイムは、

「魔界でいう闇の貴公子っていう意味さ。」

本当は貴公子などという意味は持っていない。

「貴公子だと将来成人した時また名を変えねばならなくなる。だったら闇の公人みたいな感じで良いんじゃないだろうか?」

聞こえがいい説明をつけ足しておけば満足するだろうと踏んでそう答えると何故か妙な部分に反応する老人。本当に面倒くさいのと関わってしまったと心底後悔しながら、

「だったらヴァッツでいいんじゃないかい?闇の亀裂から取り出したんだ。魔界でいう闇の王って意味さ。」

これも本当は王などという大仰な意味は持っていない。そもそもどちらも闇という意味すら持っていない。

「王・・・王か。お前が名付け親というのが癪だが悪くないな。」

一言多い男に何か投げつけてやろうかとも思ったがいくら大人しいとはいえ赤子の前でケンカする様を見せるのはよろしくない。

それに彼女とは似ても似つかない蒼髪を持つ赤子だ。スラヴォフィルも気が付く事はないだろう。


この日赤子はエイムが過去に失った自身の子と同じ名前を付けられた。








乳離れが過ぎて歯が生え始め、離乳食をもりもりと食べ始めても未だに声を上げないヴァッツ。

大きくなるにつれて表情すら変えない事がわかり始めると流石にスラヴォフィルも不思議に思い出したらしい。

「うーむ。ワシがわかるか?スラヴォフィルじゃ。ス・ラ・ヴォ・フィ・ル。」

「そんな長い言葉がわかるかい!私の名から覚えんさい。エイムじゃ。え・い・む。」

2歳に差し掛かり離乳食も卒業しようかという時期でも声を上げず、表情も変わらない子に2人は大きく悩まされていた。

エイムも物置から昔我が子に使っていた絵本をいくつか掘り出してきて読み聞かせてはいるのだが理解出来ているのかどうか。

外に出ても何にも興味を示さず、しかし名を呼べば反応はしてくれるといった感じだった。


3歳になると突然スラヴォフィルが忙しくなったと留守にする時間が増えた。

といっても3日に2日は森に戻ってくるのでエイムが1人で世話をするのは1日だけなのだが。

「うーむ。こんな話は聞いた事が無いしなぁ。」

自身の失った子の名前を付けて成長を見続ける事3年。

彼女は自分が思っている以上にヴァッツに愛情を注ぎ、大事に育てていた。

最近ではスラヴォフィルとの衝突もほとんどなくなり、むしろどうすれば言葉を話せるのか、もしくはそういった病を患っているのか等、

相談しては対処法を見つけ出し色々と試す日々が続いている。

言葉を上手く話せない例は知っていた。だが声が出ないというのは聞いた事が無い。

良く食べて良く飲むので喉に原因はないとは思っているのだがそれでも念の為喉の炎症などに効く薬草を煎じて飲ませてみたりが続く日々。

「うむ。やはりヴァッツはどこか違うな。」

忙しくなってからスラヴォフィルがヴァッツを見る目が少しだけ変わって来たのをエイムは感じた。

何か妙に落ち着き払いだしたし、まるで別の赤子と比べるような発言が増えたのだ。

(まさかまたどこかで赤ん坊でも拾ってきたか?)

女の勘がそう訴えていたが彼もまた男でありヴァッツを拾った時は未婚だった。あれからいい出会いがあったのかもしれない。

それならそれで自分がヴァッツを独占できる時間が増えて好都合だと考えたエイムは以降疑問を全て忘れるようにしていた。




そんな状態で更に3年ほど月日が流れ、ヴァッツが6歳になった時1つの事件が起きる。






 ここ『迷わせの森』はただの森ではない。

魔族であるエイムがこの世界と魔界とを繋ぐ境界を護る為に作り出した魔術の砦でもあるのだ。

広大な敷地全てに彼女の高質な魔力が注がれていて何かあれば地面は隆起し、木々は剣の硬さと弓の柔らかさを併せ持つ兵士へと進化する。

ただ、本来魔族自体が争いを避ける種族なので滅多な事では他と衝突する場面はなかった。

可能性があるとすれば愚かな人間達の無慈悲な行為による迫害か天族による闘争本能の的にされるかだろう。


相変わらず言葉を話さず活発さもない少年は常に虚ろな目で人形のような生活を送っていた。

それでもエイムからすれば我が子同然に思えていたので不満などは一つもなく、祖父であるスラヴォフィルも時々何かを試す事はあっても悲観するような態度は見せなかった。

多くは望まない平穏無事な日々。彼女はずっとこんな毎日が続けばいいのにと願っていたのだが・・・


天族は戦闘を好み、魔族は平穏を望む。


これはあくまで一般論であり当然例外は存在する。この日『魔界の境目』から突如1人の荒くれ者が姿を現したのだ。

全身を黒い鎧で纏った姿は二足歩行こそ出来てはいるものの大型の爬虫類のような異様さを纏っていた。

しかし魔界側の境目にも番人はいるはずだ。更に魔界との通路を繋げる時には番人同士の魔術交信が必要になる為この存在は間違いなく罪人か違法者だろう。

(いや・・・王なら1人でも行き来は出来るか。)

だが窓から見える男は自身の知る王の姿とかけ離れている。始末対象と判断して問題ないはずだ。

感じた事のない異様な魔力を纏う男にすぐ反応したエイムは森の木々に指令を出しながらヴァッツに家から出ないように告げると扉を開いて勢いよく飛び出した。

「あんた。無許可でこっちに来たね?一応名前を教えてくれるかい?あと大人しく従えば手荒な真似はしないよ?」

それでも一応は同族だ。穏便に済ます事ができれば御の字だと思ってまずは言葉での接触を試みると、

「・・・名前は忘れたな。ワタシは今誰でも良いから破壊したい。付き合ってもらえないだろうか?」

非常に危険な状態だとわかる答えが返ってきた。これではまるで天族ではないか、とエイムは目を剥いて驚いたがこういう対処も任されているからこその番人なのだ。

全ての木々に敵を取り囲むように指示を出しながら自身も体を少しだけ中空に浮かせると大地に大量の魔力を送り始める。

元々相手は誰彼構わず戦いたいのだ。すでに臨戦態勢も整っているようなので遠慮は要らないだろう。


ずずずんっ!!!!!


いきなり大地が裂けた事で敵もすぐに体を空へ逃がそうとするが四方からひん曲がっていた木々達が幾千もの枝先を尖らせて穿ってくる。

更に割れた亀裂からも氷柱のような土の柱が隆起することで五方向からの突貫がその男に襲い掛かっていた。

こうなると相手は防ぐか空に逃げるしか手はないのだが木々と大地への仕込みを完了させていたエイムは既に彼の上空へと移動しておりいくつもの火球を周囲に停滞させている。


ぼぼぼぼぼぼぼぼっっっ!!!!!


数百にも及ぶ火球はまるで流れ星のように男目掛けて落ちていく。更に男への不信感があったエイムは両腕を真横に大きく広げて手をかざすと、


ぴりっ・・・びりりっ・・・


僅かな電流が右手に持つ杖の周囲に走り出し、左手にもそれがまとわり付くように発生しだした。

十分に魔力が整ったと判断した彼女は両腕を男がいるであろう下方に向けると杖を通じて眩い光を連続して生み出した後、


びしゃっ!!!びびびびびびびびしゃしゃしゃしゃっっ!!!!!


いくつもの雷撃がひっきりなしに落ちていく。それだけ危険だと判断したから全ての手段を打ち込んでいるのだが、


ずずずずず・・・・・ずずず・・・・・


白煙と黒煙で相手の姿が全く捉えられない中、少し移動して高度を落とすエイムは男の状態を確認すべく目を凝らしてみると

視界はすこぶる悪いが魔族はその特性上相手の力を視認する事ができた。

(・・・なんてこったい。ほとんど傷を受けてないのか。)

かなり強大な魔力を纏っている事からそれらを使って全ての攻撃を凌いだのだろう。それにしても保有量が凄まじい。

エイムも別世界の境界を任されるくらいには強いはずなのにこの男は一体何者なのだ?


ばきんっっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


相手の姿は煙に巻かれて見えてはいなかった。しかしどこにいるかはしっかりと目視出来ていた。

なのに彼女はいきなり真上から殴りつけられて地面に叩き落される。


べしんっ!!!


「っはぁっ?!」

まるで蛙のようにへばりついた彼女からは体内の空気が一瞬で抜ける音が口から漏れた。魔族も魔術主体で戦うだけで決して力が弱いわけではない。

しかし魔術とは違う力で叩きつけられて出来た亀裂の中央でうずくまるエイムは体中に走る痛みと痺れから動けずにいた。

この森の大地には自身の魔力をしこたまつぎ込んでいるので受身を取れずともせめて衝撃を和らげるくらいは出来たはずなのだが、

予見できなかった上に想像を超える速度で叩き落された事で意識を半分失っていたのだ。


すとん。


辛うじて見上げる事ができたエイムはそのすぐ傍に降りてきた黒い鎧に傷一つついていないのを目視する。

(この強さは尋常じゃない・・・まさか、本当に王か?)

顔も確認できないので憶測でしかないが彼は名前を忘れたと言っていた。ならば何かしらの術で操られている可能性、もしくは何か劇薬を盛られた可能性が考えられる。

となるとすぐに思い浮かぶのは天族だ。奴らは人の体に入り込む事が出来る。

ただ、それはあくまで人間の体であって魔族に入り込むという話は聞いた事がない。

どっちにしても今のままでは自分の命は確実に奪われるだろう。それは戦いに身を置くものとして享受しよう。


しかしヴァッツ。家の中に隠れさせている彼の命だけは何とか守り通さねばならない。


二度も息子を失うのだけは勘弁だ。。そう考えた瞬間彼女の心には大火が巻き起こり、痺れと痛みが走り続ける体に鞭打って杖を支えに無理矢理立ち上がる。

「・・・まだ、戦いたい、かい?少し待って、もらえれば、相手するよ?」

これまでの感じだと相手の思考は戦いの事しか考えていない。ならば境界の番人であるエイムが相手ならばそれなりの喜びを感じてくれるはずだ。

そう思って話を引き延ばしてみたのだが、

「いや、お前は弱い。もっと強い奴と戦いに行く。」

こちらへの興味は完全に失ったらしい。周囲を見渡してどちらに向かうか悩み始めたといったところか。

それならそれで良い。

番人をしているとはいえ人間の世界を護るような意味でここにいるわけではないのだ。

さっさとこの場から、ヴァッツの前から消えてくれたほうが彼女としては助かる。そう思って安心していた矢先に、


ざっ・・・


足音が聞こえたので2人がそちらに目をやるといつの間にか蒼髪の少年が家から出てきてすぐ近くに立っていた。






 ごくり・・・・・

言葉が出なかったので思わず生唾を飲み込むエイム。これは緊張と苦悩から自然に出てしまった生理現象だ。

名前を呼べば身内だと分かるし、かといって何も言わなければ息をするかのように殺されてしまうかもしれない。

どっちだ?どう答えればいいのだ?

正解が掴めなかった彼女からすれば何時間もの時が流れたかと思われたくらいの刹那の間。

不意に襟首を掴まれて無理矢理持ち上げられるとまるで盾のように前で構えられる。人質を利用するのにこれ以上の形はないだろう。

しかしエイムにはその行動の意味がわからなかった。自分をこのように扱って誰を牽制しようというのか。


「・・・キサマ、何者だ?」


理由はわからないが黒い鎧の男は何故かヴァッツを警戒して臨戦態勢に入った。ならばこの状況でエイムが取る行動は1つ。

「・・ヴァ、ッツ。今すぐ、逃げな・・・」

未だに体中の痺れと痛みが抜けず、そして首根っこを強く掴まれている為言葉を発するのもやっとだったがヴァッツは決して頭の悪い子ではない。

話す事も感情を表す事も出来なくとも意味はしっかりと伝わるはずだ。

後は己の力の全てを使ってでも時間を稼ぐ。それがエイムに残された最後の仕事だと決意した瞬間。




・・・視界は真っ白に、そして真っ暗になる。




「・・・え、いむ・・・だ、い、じょう・・・ぶ?」


たどたどしい言葉遣いの声に名前を呼ばれて安否を尋ねられている。一体ここはどこだ?

「・・・・・」

視界に入ってくるのは間違いなく自身の寝室でよく見たものと同じだ。ということはここは自室か?

「だい、じょうぶ?」

また声を掛けて来てくれる。誰だ?いや、それよりも心では彼であって欲しいと強く願っていた。

首を軽く左右に動かして痛みが多少残っている上半身を傾けつつ声の方に顔を向けると、そこにはとても心配そうな表情を浮かべるヴァッツが覗き込んできていた。








「・・・といった感じでな。それからのびのびと成長していったヴァッツを実の息子のように可愛がっておるのじゃ。」


ずっと黙って聞いていた4人だったがとても重要な部分が抜けている事に納得のいかない表情を浮かべる。

「その黒い鎧の男はどうなったの?」

「恐らく死んだんじゃろ?」

アルヴィーヌの質問にも心底どうでもいいといった感じで軽く返すエイム。彼女にとってヴァッツが声を上げ、感情を表した方が重大なのだろう。

しかし彼は人を傷つける事を誰よりも嫌う少年だ。

幼少期に一言も放さず無感情だったという話を初めて聞いたがそれでも彼自身が誰かを殺めるような真似をするだろうか?


「なるほど。そこを『ヤミヲ』が助けたんだ。」


時雨と同じように考えた王女はうんうんと頷きながら納得しているがこれは彼女も同意見だ。

ショウから『闇を統べる者』がそこらにある影などの全てに宿っているという話は先日聞いていた。

彼も『七神』の館から影を伝って一瞬でヴァッツの下へ救い上げられたのだという。

全ての暗闇が彼の死配下なのだ。そしてそれを使ってありとあらゆる現象を起こすことが出来る。正に言葉通り『闇を統べる者』を内包しているヴァッツに誰が敵うというのか。

「『ヤミヲ』?何じゃそれは?」

【私の事だ。】

「「「!?」」」

また何の前触れもなくいきなり会話に入って来た『闇を統べる者』。

だが彼は全ての暗闇、つまり人々の足元にある小さな影から建物の物陰とあらゆる場所が支配領域だ。ヴァッツが関わる会話なども普段から全て聞いているのだろう。

「な、な、な?!何じゃ貴様?!私のヴァッツに何をした?!?!?」

いつも通り彼の右目から黒い靄のようなものを漂わせながら独特の低い声で言葉を発する。

と同時に彼とかなり長い間生活していたはずのエイムが『闇を統べる者』の存在を知らなかった事に違和感を覚える時雨。

「オレあの時の話はしたくないな・・・・・もう止めにしない?」

するとヴァッツが珍しく気まずそうな顔でそう提案してきた。彼がこのような曖昧な態度を取るのは初めて見る気がする。

これはまるで子供が何か隠し事をしているような、そんな感じだ。

【ふむ。では私があの時の出来事について教えてやろう。】

「えっ?!?!」

誰よりも彼の傍にいるはずの『闇を統べる者』からそのような話を持ち出されて思わず素っ頓狂な声を上げるヴァッツ。

自分で自分の口を無理矢理閉じようとするも『ヤミヲ』の言葉は途切れる事無く先程の続きを語り始めた。






 ヴァッツは言葉を話せず声も出せず無感情だったがそれらは全て表現出来なかっただけだ。

間違いなくエイムやスラヴォフィルの言葉は届いていたし、今もエイムの命が脅かされているのをしっかりと理解していた。

なので彼は咄嗟に力を解放して黒い鎧の男を亡き者にしようと動いた瞬間、


生まれた時から彼の中に存在していた『闇を統べる者』がここに初めて力を使って介入した。


ヴァッツが人を殺める前に黒い鎧の男とエイムを影に引きずり込んで同時に魔界の王を引き上げたのだ。

「えっ?!あれ?!ここどこ?!」

もちろん同じ場所に引き上げてしまうとヴァッツの力で消し飛んでしまう為彼の後方にあった木々の麓へと召喚したのだが

いくら魔界の王とて未知の力によって瞬間移動で人間界に呼ばれる経験はこれが初めてだったのだろう。


【バーンよ。私は闇を統べる者という。いくつか話をしたいのだが構わないか?】


ヴァッツと違い最初から流暢に言葉を使えた『闇を統べる者』はいつものように彼の右目から黒い靄を漂わせながら

太く立派な角が左右から生えている青年に声を掛けていた。

バーンと呼ばれた青年も軽薄そうな容姿ではあったが『闇を統べる者』が只者ではないとすぐに悟ったのだろう。

「やれやれ。君みたいな存在は長い人生でも初めて見たけど、人じゃないよね?」

【その話は後で聞かせてやる。それよりも魔族が一人、何者かに操られてこの世界に送り込まれてきた。まずはそいつを返そう。】

そういうと『闇を統べる者』はバーンと呼ばれた青年の影から先程の黒い鎧の男を引き上げる。

「デルディルアじゃん?!うちのお城の将軍なのに何で?!どうなってるの?!」

魔界の王は自身の配下を見て折角落ち着いていた心がまた大いに取り乱している。どうやら感情の爆発力がとても高いらしい。

【言っただろう。操られていたのだ。既に中身からは出て行っているので正気には戻っているはずだ。

そしてここからが本題だ。その魔族を軽々と操れる程の人物に心当たりはないか?】

「えーーー・・・デルは相当な猛者だよ?彼の隙をついて操るっていったらもうセイラムか彼の側近2人くらいしかいないんじゃない?

そもそも天族が魔族に乗り移れるのかどうかも怪しいけど。」

『闇を統べる者』の疑問にさらりと答えるバーン。ただその情報には確信がないらしい。そして、


「僕に聞くより君の方がよく知ってるんじゃないの?」


一瞬で張り詰めた空気を纏い辺りに強風が吹き荒れたと思えば空には暗雲が立ち込める。双眸は黄金色に輝き、まるで今から戦おうとしているかの様だ。

【・・・私にも知らない事はある。それにまだ意識が芽生えて6年程なのでな。】

「ええっ?!若っ?!ていうか幼っ?!」

意外過ぎる答えを聞くと空にあった分厚い暗雲は一瞬で霧散し、強風もそよ風に戻っていく。

【どうした?戦うのなら相手にはなるぞ?随分強引な手段を使ってしまったからな。そのお詫びだ。】

「いや、もういいよ。君からは敵意や裏表を感じないし戦いは好きじゃない。しかし『闇を統べる者』か・・・」

どこでそれらの判断を下したのか魔界の王は戦うという選択を放棄すると彼との会話で何かを閃いたらしく、

「お詫びの代わりって言ったらあれだけど僕と友達になってよ。それで君の話を沢山聞きたい。どう?」

【よかろう。ただし私の宿主はヴァッツであり彼から離れすぎると自我が保てる時間も限られる。

なので魔界に入ってお前のいる場所で会話するとなるとほとんど時間は取れないぞ?】

「いいよそれでも。・・・ってヴァッツって誰?」


そこで彼はヴァッツの事と彼が声を出せなかったり無感情であったり等の問題を抱えている事も打ち明けた。

この問題に関しては『闇を統べる者』の情報では何ともならなかったからだ。相手は魔族の王。齢は軽く万を超える彼なら何か知っているかもしれないと一縷の望みに賭けてみたのだ。

「ふーん・・・その体がねぇ・・・ちょっと触ってみるよ?」

訝し気な表情で相手の了承を得る事もなく気軽に触れていくバーン。遠慮なくぺたぺたと触るので傍から見れば怪しい光景にしかみえない。

「・・・・・これ何?」

だが十分に確かめた後には不思議と驚愕が入り混じった表情を浮かべて『闇を統べる者』に尋ねる魔界の王。人の宿主をこれ呼ばわりする程には気が動転していたのだろう。

【ヴァッツと呼ばれている少年だ。生まれは私の中。いきなり闇の中から生まれたのだ。】

しかし『闇を統べる者』もそんな細かい事を気にする存在ではない。ここでも彼の出自を詳しく説明すると、

「・・・闇から生まれた・・・人間でも魔族でも天族でもないね。でもそれだけしかわからない。」

【力は相当な物を持っている。恐らくお前では勝てないだろうな。】

「えー。友達になりたてなのに辛辣だなぁ・・・まぁでもわかるよ。君も彼も全てがおかしい。」

苦笑しながらもバーンは自身の知識から彼らの存在を全くの別物だとだけ判断する。『闇を統べる者』からすればそれだけでも十分だったが、

【そうか。ではヴァッツが声と感情を表現出来る方法もわからないか?】

「いや・・・そっちはもしかして・・・憶測だけど聞いてもらえる?」




魔界の王が言うには『闇を統べる者』の影響力が強すぎてヴァッツの心や頭の中まで干渉してしまっているのでは?という事だった。

なので彼は以降自身の力を全てヴァッツの体外に置く事にした。するとその効果はすぐに表れてエイムの名前と心配する表情を浮かべるに至ったという。




【これがお前の目が覚める前の話だ。】






 『闇を統べる者』のやっている事は今とそんなに変わらないがバーンという人物には誰もが多少の反応を見せた。

「・・・・・冗談じゃろ?バーン様がこちらにいらしていたなんて聞いた事も・・・」

「うん。内緒にしててって言われてたから。今の話も『ヤミヲ』がやったんだしオレは内緒のままだからね?」

特にエイムとヴァッツはお互いが全く違う部分に反応して小声になっている。

「バーンというのはそれほどの御方なのですか?」

レドラが尋ねると老婆は少し考え込んでから、

「魔族を束ねる御方だからね。滅多な事じゃこっちには来ないんだよ。しかしヴァッツがご友人だなんて、私は鼻が高いよ!」

「オレじゃないよ!『ヤミヲ』だよ!!あれ?でもオレも話してるし・・・」

【まぁ似たようなものだろう。】

それにしても『闇を統べる者』がヴァッツ様と同い年とは・・・時雨としては話し方や声質から絶対に何百何千を生きる存在だと思っていたのでまずそこに驚いた。

それから・・・・

「ヴァッツ。あんた人間でも天族でも魔族でもないのなら何なの?」

相変わらず歯に衣着せぬ物言いで思った事を口にするアルヴィーヌ。しかしそこは純粋なヴァッツ。

「さぁ?でも見た目も皆と変わらないし人間でいいんじゃない?」

自分の事のはずなのに全く気にせずさらりと返している。こういった所が彼の大きな長所なのだろう。

だがこれには時雨も首を激しく縦に振って同意した。彼がどのような存在であっても自分の主である事に変わりはないし尊敬もしている。

そもそも天族である王女姉妹とも何の問題もなく暮らしてきたのだ。今更ヴァッツの正体など微塵も気にする必要は無いはずだ。


しかし『闇を統べる者』が語った内容に様々な情報が入っていたのでいよいよ各々が口々に疑問をし始めた。

「バーン様というのはもしかしてバーン教の御神体なのでは?一度お会いしてお話を伺う等は叶いませんか?」

「『闇を統べる者』の正体を黙っていたのはヴァッツの意志かい?あんたの意志かい?」

「天族が人を操れるって本当?私も出来るのかな?」

「オレは何もしゃべらないよ?もう本当に何もしゃべらないからね??」

「ひょっとみなふぁんおひふい・・・・・」

熱が入り騒がしくなってきたので止めようと口を開いてはみたものの相変わらず弱毒の影響で呂律が回らない時雨は諦めてその場で静観する事を決め込んでいた。




日も傾いてきた時やっと話題の全てが消化し終わるとエイムはこちらをじっと見据えてきた。

「さて。最後は一番大事な事を聞こうじゃないか?」

体中の痺れが取れて来てはいたものの彼女の魔術は相当なものだ。万全であっても不意を突かれて拘束された時雨にとっては抗う事すら難しいだろう。

周囲には主を含めて心強い味方はいるものの一体何を仕掛けられるのか・・・

「わ、わらひは・・・はにほひゃへははい!」

彼女が盛った薬にどのような効果があるのかはわからないがとにかく下手に口だけは割るまいと強い眼差しを返す時雨。

「むっふっふ。伊達に魔女なんて呼ばれてないのさ。さて、お前はヴァッツに特別な感情を抱いているね?」


こくり


「?!」

声こそ出なかったものの首が勝手に頷いてしまう。そのせいで普段はすまし顔で通していた彼女の頬は見る見るうちに紅潮していく。

「お前は従者だろう?なのに主へそのような感情を抱くとは何と不埒な・・・私のヴァッツに嫁ぐならばそれなりの身分と器量が必要さね!!」

「そんな事はないでしょう?」

エイムが鬼の首を取ったかのようにまくし立ててこれから散々言い負かそうと勢いよく指を刺した矢先にレドラが静かに割って入ってくる。

彼女も思わず執事の方に顔を向けたが彼はいつも通り冷静な居住まいのまま、

「我が主が身分などというくだらないものに縛られるはずもなく、時雨様の器量はその立ち振る舞いも含めて相当に良い。むしろ私としてはお2人を心より祝福いたします。」

まだ始まりもしていない一方的な片思いの話なのに彼は式で祝辞を述べているかのような文言で擁護してくれる。更に、

「時雨ってヴァッツの御嫁さんになりたいの?いいんじゃない?」

アルヴィーヌも椅子に腰かけて足をぷらぷらとさせながら興味なさそうに軽く答えていた。

とても有難いのだが自分の中でまだ整理が付いていない上にヴァッツの気持ちも確認出来ていない。

気恥ずかしさで頭から湯気が上がりそうな時雨は本当にこれ以上この会話を続けるのは止めてもらいたいと激しく手足を動かして遮ろうとするのだが、

「ひゃっひゃっひゃ!いくら周囲が肯定しようとも育ての親であり名付け親でもある私の目が黒いうちは許さないよ?!」

エイムはどんどんと先走って勝手に盛り上がっていく。ここでやっと当事者がきょとんと小首を傾げながら、

「嫁ぐ?って何?」

「「「・・・・・」」」

そもそも彼にはまだ恋というものすら理解出来ていないだろう。

まずは自身を1人の異性として意識してもらわなければ何も始まらないというのは随分前から感じていた事なので彼の認識を再確認した事で時雨はやっと落ち着きを取り戻す。

【伴侶か。ヴァッツがそれを望む日が来るのかどうか・・・】

最後は『闇を統べる者』が納得のいく答えを提示してくれた事でこの話は幕を閉じた。

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