天族と魔族 -サーマ-

 サーマは『シャリーゼ』の城下にある家で生まれ育った。

祖父の代からここに移り住んでいた為3代目となる彼女は6歳の頃から家業である野菜売りの手伝いをし始めていた。

彼女にとってそれはとても楽しかったのだがこの国は商業国家であり国家主体で学問に力を注いでいたので

両親にお尻を叩かれながらも嫌々ながら学問所へと通う事になったのも6歳の時だ。


(家に帰ってお野菜を並べたいな・・・)


農作業は過酷な労働の為まだ彼女が手伝うには難しかったが、

両親が大地主から借りている農地で育てる野菜は色取り取りで美味しいものばかりだ。

もちろん季節で採れるものが違うのだが、この時のサーマはまだその辺りをよく理解はしていなかった。




学問所に通いだして1ヶ月が過ぎ、同い年の友達が出来るという大きな利点に気が付き始めてやっと自分から通学するようになった頃。




自身より若干年上だろうか?

燃えるような赤い髪の少年が何故か教壇に立って授業を始めたのだ。この学内で彼を見たのはこれが始めてだった。

最初は先輩が何故先生役を?と感じたがどうも彼は城から派遣されていた臨時講師だという。

何でも王女様が我が子のように可愛がっている少年らしく本当は学生として通わせたかったそうだが、

大人顔負けの知識を既に備えていた為、仕方なくこの形で落ち着いたそうだ。


彼の声は非常に落ち着いていて目立つ赤毛とは真逆の印象だった。


この時はそれだけだった。

わかりやすい授業ではあったが、彼女の心境に変化を及ぼすのはもう少し先になる。



それは7歳も半分が過ぎ、数桁の計算が出来るようになったある夏の日だった。



夏休みという学問所独特の仕組みで時間に余裕のあったこの日は朝から店番をしていたサーマ。

まだまだ子供だがこの『シャリーゼ』という国は非常に豊かで警備にはあの『ネ=ウィン』兵がついている。

治安という意味では世界一安全かもしれないこの場所なら、彼女のような幼い少女にも十分店番は務まるのだ。

ただ、犯罪を厳しく取り締まっていたとしても安全を妄信して胡坐をかいていると別の方向から問題が発生する。


「おい!!この前買ったきゅうり、腐ってたんだぞ?!どうしてくれるんだ?!」


毎日店番をしているわけでもないし、かといって自分の店が腐った野菜などを置いているとも思えない。

しかし今目の前には少し上品な衣服を身に纏った男がとてもご立腹な様子で7歳の少女に怒鳴りつけている。

両親は畑仕事からまだ帰ってきておらず、野次馬が集まってはくるものの誰かが助け舟を出すような気配はない。

「えっと・・・あの・・・うぅぅ・・・」

30歳は過ぎているであろう大の男にがなり散らされて頭の中が真っ白になるサーマ。

私のお店に腐った野菜なんか無い!ときっぱり返せればどれだけ楽か。

涙がぽろぽろと溢れ出て小さく泣き声をあげるしか出来なかったこの時に、

「おお。貴方ですね?この界隈で無理矢理な難癖をつけて商品を奪う強盗というのは。」

1年以上聞いてきた落ち着いた声が彼女の耳にも入ってきた。

「な、何て失礼な奴だ?!んんん??ガキか?!」

怒りの矛先を赤毛の少年に向けるとその容姿から更に調子付こうとしたのか。

イヤらしい笑みを浮かべると今度はそちらに凄んで近づいていく。

後から聞かされたことだがこの強盗というのは衣装も盗品であり中身も国外から紛れ込んできた本当にろくでもない人物だったらしい。

「確か侮辱罪ってのがあったな?!ようし、俺がこの場で罰を与えてやろう!!」

言い終えると同時に大きな拳を振り上げて少年に勢いよく叩きつけた。


ばきんっ!!!


『シャリーゼ』の道は全て石畳で出来ているので、彼の手に走った痛みは容易に想像出来る。

「あいったあぁぁっ?!?!」

一瞬その凄惨な光景を想像してしまったサーマは両手で顔をかくしてしまったのだが、

どうも少年がかわしたのか他に何かをしたのか、男の拳は彼に当たる事無く体を大きく前のめりにして地面を殴りつけてしまったのだ。

「ここか?!ああ!ショウ様!!」

既にかなりの野次馬が集まってはいたのだが、やっとここで衛兵が現れると彼を見てそう叫んだ。

「遅いですよ。『シャリーゼ』から相当な貢納を貰っているのでしょう?もう少ししっかりと仕事をしてください。」

騒がしい周囲と違っていつもの声量でそう答える少年。

速やかに取り押さえられた男を衛兵が連行していくのを2人で見届けると彼は何も言わずに去ろうとしたので、

「あ、あのっ!!先生、ありがとう!!!」

怯えよりも颯爽と現れて助けてくれた彼に心を掴まれた彼女は元気よくお礼を送った。

すると不思議そうに振り返った赤毛の少年は少し考えて、

「ああ。学問所に通ってる子でしたか。ショウと呼んでいただいて結構ですよ。」

柔らかく微笑みながらそう答えると何事もなかったかのように城の方へ歩いていく。


「・・・・・ショウ・・・・・」


この時こそが彼の耳に唯一届いたかもしれないサーマの声だった。






 吊り橋効果などというのはもっと年齢を重ねた者たちが口にするもので少女にとっては知識すらなかった。

だがあれ以来、彼の授業を受けるのが楽しみで仕方が無かったサーマ。

耳年増な同い年の女の子が時々恋とかいう話をしているのを聞いてはいたが、

(これが恋・・・?うううん。これは恋!!)

激しく高鳴る胸と高揚感はとても楽しく、時に苦しく、何だが病気にかかったんじゃないだろうかとさえ思えてくる。

しかし嫌だとは微塵も思わなかった。

年が近いので先生と呼ぶには前から抵抗はあったものの、かといって本当に彼を名前で呼ぶのは立場が違いすぎる。

(2人っきりで話とかしたいな・・・・・)

何か良い案はないかと本心を隠しつつ同級生に話を聞いては見るものの、

圧倒的に経験が少ない彼女達にはとても敷居の高い難題だ。


なので両親にも相談しようかとも思ったが、彼は王城務めで女王様の側近だという。


これも最初聞いたときはよくわからなかったが、ただ女王様という言葉が出ただけでも身分の違いというのは彼女にもわかった。

(せめてお話くらいは・・・一緒に遊べたら・・・いやいや!)

意識していなくても頭の中からどんどんと湧いてくる欲望と葛藤。

やがて授業を受けられるだけでも幸せかもしれないと諦めの気持ちが生まれ始めた8歳の時。


突然彼が学問所に来なくなった。


流石に気になったので他の講師に尋ねてみても、

「さぁ?彼は特別だったし、お城の仕事が忙しいんじゃないかな?」

そういった答えしか返って来ず、やはり住む世界が違うのだと痛感して落ち込んでいた頃。



世界一治安の良い。世界一安全な。



そんな言葉で形容されていたこの『シャリーゼ』が突如火の海に沈んだのだ。

強い『ネ=ウィン』兵が護っているから心配は無い。

誰が言ったのかわからないそんな戯言に国民全員が踊らされていたのだと泣き叫びながら死んでいく。

侵略とか戦争とかに一切関わりのなかった彼ら、サーマの家も例外ではない。

避難するにしてもどこに行けばいいのか?敵国はどこなのか?今何をすればいいのか?

何もわからず道は人が右往左往でごった返している。

ただ彼女は両親がしっかりしていたのではぐれる事はなく3人一緒に行動は出来ていた。

父の提案で大地主様の下へ向かう事を決めたサーマ達は速やかに移動を開始するが、


どどどどどどどどどどどどどどどどどど!!!!!!!


初めて耳にする激しい破壊音。

だがそれを聞き取ったと思う前に彼女の胸には大きな刺突傷がぽっかりと穴をあけ、ほんの僅かな痛みと共に3人の家族は倒れた。







・・・・・


いつ倒れたのだろう?いつまで倒れていたのだろう?

ゆっくりと体を起こすサーマ。衣服は破れていたものの体に痛みは無い。

しかし周囲は焦げ臭い臭いで溢れており、煙が眼に少ししみて僅かに顔をしかめる。

そして両隣で倒れている両親に気が付くと静かに涙をこぼし始める。

・・・・・

(・・・あ、あれ・・・?あれ?)

最初はその辛さから声が出ないのだと思っていたのだが、何やら胸元に大きな違和感を覚える。

両手でさすってみるといつ出来たのか。大きな傷跡が残っている。

《意識は取り戻したみたいね。》

突然頭の中で知らない女性の声が聞こえたので体を大きく跳ねさせて驚くサーマ。

「・・・・・(え?あなただれ?あれ?どこにいるの?)」

慌てて質問をするもやはり声は出ていない。

《私はウンディーネ。この辺りに私の友達がいるみたいで立ち寄ったんだけど・・・》

女の声はそう言うと、突然自分の首が意識していない方向に勝手に動き始める。

最初は誰かに頭を支えられて無理矢理動かされたのかと錯覚したが周囲には誰もいない。

視界には面影がなくなるほど破壊しつくされた街と膨大な炎、それを覆いつくす黒煙がもくもくと立ち上っていた。

《この国は何者かに滅ぼされたみたいね。》


・・・・・


立て続けに起こった大きすぎる出来事を受け止めきれずウンディーネが一方的に喋り続ける展開がしばらく続いていた。

この時既にサーマの体を勝手に使い始めていたのだが突然、

《あっ?!この気配はイフリータ!!》

頭の中で彼女が叫ぶとサーマの意思とは関係なく城の方向へ走り出した。

自分の意志と全く関係ない動きを続ける自身にやっと大きく疑問を感じ始めたサーマは、

「・・・・・(あなたはだれなの?)」

名前こそ教えてもらったが何故自分の中に声が届いて何故自分の体を自由に使われているのか。聞きたい事はどんどんわいて出てくる。

《私は魔族なの。でもそれは後々!やっと行方不明だった友達に再会出来そうなの!》

魔族という初めて聞く言葉とイフリータという名前。

この2つが自身の大切な人と結びついているとは夢にも思わなかったがやがて目的の友達が見つかると、


《・・・嘘でしょ?・・・そんな・・・》

「・・・・・(まさか・・・)」


2人は2人が想っていた人物が酷い傷を負って死んでいるのを目の当たりにして言葉を失った。






 《・・・何とかなるかもしれない。》

体の占有権こそ支配されていたが彼女がいたからこそサーマはある程度冷静でいられたのだろう。

「・・・・・(本当?!)」

《うん。まだイフリータの力は残っている。でも彼女の力だけじゃこの傷を癒すのは・・・》

うつ伏せに倒れていたショウを起こしてその顔に深く刻まれた傷を見て言葉を失ったサーマ。

だがウンディーネの方は諦める事無く何かを模索している様子だ。

「・・・・・(何とかならないの?!ショウ様を助けて・・・お願い!!)」

《ショウ様っていうのはこの少年の事?・・・まぁ彼とイフリータは同一人物みたいなものだし。うん、やってみるの。》

そう答えたウンディーネはそのまま座り込んで彼の頭を太腿の上に乗せる。

そして両手をかざすと抉れた右目に両手をかざして蒼い光を放ち始めた。


《あなたの体にも相当な魔力を流しているから気休め程度の力しか注げないけど・・・》


何かしらの処置を始めたらしい。ふと彼女が言った言葉にひっかかったサーマは、

「・・・・・(私の体にも魔力?あの、色々聞きたいことがあるんだけど。)」

彼女の最後の記憶は両親と大地主の下へ逃げだした所で終わっている。

気が付けば国は崩壊し、両親は亡くなり、自分の声も失って代わりに妙な女性が同居人となっているのだ。

あまりにも理解が追いつかない悲しみすら置き去りの中、


《そうね。まずサーマ。あなたはもう死んでいるの。》


一番受け入れがたい事実から話された事でこの日のサーマは彼女の言葉を何一つ理解出来ないまま日は暮れた。








座りっぱなしでウンディーネが術を施したまま朝日を浴びる2人。

体はずっと彼女が支配権を握っていたせいかサーマには気だるさや寝不足といったものは感じられなかったが、

「・・・・・(ねぇウンディーネ。私は・・・生きてるよね?今もこうやって動いてるし。)」

一晩中ぼんやりと考えた結果、やっぱり自分が死んだなんておかしいという結論に至ったサーマ。

そもそも声が出ていない事と頭の中で見知らぬ女性と喋っている事以外におかしなところはないのだ。

《動けているのは私のお陰なの。あなたは胸を大きく貫かれて死んでいたの。》

そう言われてはっと気が付いて自身の胸元に視線をやる。

そうだ。いつのまにか傷が出来ていて、そして塞がったような後が残っている。

《表面だけは何とか取り繕えたけど中身はぐちゃぐちゃなの。心臓とか肺とかも・・・》

「・・・・・(・・・私の心臓が・・・?)」

学問所で習ったのは覚えている。これが動いているから生物は生きていられるのだと。

《声が出ないのはあなたが死んでいるからなの。体の内部は動いていないから呼吸もしていないの。》

(呼吸をしていない?!)

ショウの顔にかざしていた右手を慌てて口元に持っていくサーマ。

大きく息を吸って吐いてはみるものの、そこに生暖かい風は感じない。いや、そもそも死んでいるから感じないのかもしれない。

(・・・・・)

《わかってくれた?》

わかりたくはないけどわからざるを得ない。

ただ、落ち着きを取り戻しつつあったサーマは死んではいるものの動けているという事実からか、そこに悲しみは多く感じなかった。

それよりも、

「・・・・・(お父さんとお母さんは・・・ウンディーネの力で動かせないの?)」

近しい人物の死。

これに対する悲しみというのはある日突然襲ってくるという。

未だ自分の死すら受け止められず、今は目の前で死んだように眠るショウの処置を祈るしかないサーマ。

何故自分だけが助かった?のか?そこに素朴な疑問を感じたのだ。

《あなたからは強い力を感じたの。強い想いも。だからいちかばちか私が入り込んでみたの。》

強い力とか想いと言われてもぴんとこないが、

「・・・・・(いちかばちかって・・・どういう事?)」

《いや・・・こんな天族みたいな真似事魔族の私にも出来るのかな~?って。

それに誰かの体が使えたらこっちの世界で行動するのにも便利でしょ?》

やや感情を濁しながら答えるウンディーネ。

天族というまたも聞きなれない言葉も出てきたがサーマは後半部分のほうが気になった。

そういえば彼女は魔族がどうとかも言っていた。

《そう!私は魔界から来たの。だからちょ~っとだけこの世界の人間とは姿形が違うの。》

つまり彼女にも彼女なりにサーマを蘇らせる理由があったらしい。

複雑な気持ちになるも悲しみを紛らわせる同居人と憧れの人物が自分の膝の上で眠っている。

嬉しい事と悲しい事が両極端すぎて感情が疲弊しているせいか、

数日間飲まず食わずでアビュージャが彼らを発見するまでこの場を動かなかった事には何の疑問も浮かべなかった。






 あれから老婆に拾われて2人は彼女が営む診療所にやってきた。アビュージャは、

「もう死んでいる少年をいつまで抱きかかえているんだい?!」

と何度も諦めるよう説得してきたがウンディーネが何とかなるかもしれないと言った以上、サーマも諦める訳にはいかない。

馬車に揺られて移動する時もずっと離れずに彼を介抱し続ける2人の少女。

それは診療所に着いてからも続き、つきっきりという訳にはいかなかったが出来る限りショウの傍にいるよう努め、

ウンディーネが微量ながら魔力というものを注ぎ込んで何とか体の修復をしようと日夜頑張っていた。

そもそもサーマは死んでいる為睡眠も食事も必要としなかったのだが、

《説明すると腰を抜かしてあの人も死んじゃいそうだし。ここは黙っておくの。》

流石にこれ以上目の前で誰かが死ぬのは嫌だと強く思ったサーマは夜にはショウの隣で眠るふりを続け、

食事は少量だけ口の中には運ぶ。ただ、それが彼女の体内で消化される事はなく、

《うん。美味しいの!》

どうやっているのかわからないがウンディーネがそれらを味わいながら吸収していた。

「・・・・・(味・・・味が・・・)」

彼女の体ではもうそれを感じる事が出来ない。意外な部分から大きな喪失感に気が付き始めると、

《あ、ごめんごめん。ちょっと力を使って試してみるの。うう~んっ!!》


ぽぅっ・・・・・


ほのかに塩気を感じたサーマは声こそ出なかったが満面の笑みを浮かべた。

その様子を見てこちらも柔らかく微笑んでいるアビュージャ。






学問所で読み書きを教わっていたお陰である程度の意思疎通も問題なくこなし、老婆に拾われて1ヶ月。


「あの・・・すみません。助けて頂いた方でしょうか?ここはどこですか?」


その時は突然やってきた。

毎日寸暇を惜しんで傍にいたサーマは彼が何の前触れも無く動き始めた瞬間思わず物陰に隠れてしまう。

《ちょっと?!何で隠れるの?!》

「・・・・・!(だ、だ、だ、だって!シ、シ、ショウ様が起きて動いて話してるのよ?!)」

今まで静かに眠り続けていた彼しか知らず、サーマが一方的に想いを寄せていた少年。

死んで欲しくはない、何とか生き返ってほしいと願ってはいたのだがいざ本当に生き返った時の事は何も考えていなかったのだ。

混乱したまま階段を駆け下りてアビュージャの下へ向かうサーマ。

その後をゆっくりとショウが降りてきて老婆から説明と診察を受けていた。


「・・・・・(どうしよう?どうすればいいかな?)」


未だ彼の体は本調子には戻っていないらしく、結局療養も含めて一緒に暮らす事になった。

嬉しい気持ちは大きいのだがここにきて口がきけない事がどれほど悔しいかを改めて思い知らされる。

3日ほど経つと近場での買出しにショウがついてきてくれることになるも、お礼はもちろん意思疎通すら難しい。

《そういう時はなるべく一緒にいればいいの!彼もサーマの事を気に入ってるみたいだし!》

自身の中からそういった応援を送られたので半信半疑ながらもサーマは意識して行動する。

「・・・・・(いつかこの気持ちを打ち明けたいな・・・でも私は死んじゃってるし・・・)」

歳はまだ1桁だが人に恋する気持ちに早い遅いはない。

むしろ幼い分ゆがみの無い真心は素直に彼の傍にいることを選んでいた。

1週間も経たない内にショウもそれが当たり前のように感じてきたらしく、2週間目には何となくだが彼の好意らしいものを受け取るようになった。


「・・・・・(思い違い?私が勝手にそう願っているだけ?)」


《大丈夫なの!!自信を持って!!》


中にいる友人はそういって励ましてくれるが、そうなるとやはり自分が死んでいるという事実が重くのしかかってくる。

彼は息を吹き返した。

それは医者であるアビュージャも認めるところだ。だがサーマは違う。

間違いなく死んでいて、それを誤魔化す為にウンディーネがその都度魔力を使ってくれている。

脈や肌の潤いなどは何とでもなるらしいが彼女は水を主とする魔術の使い手らしく、

《体温だけはしんどいの・・・・・》

おでこを触れられる時だけは相当無理をして熱を発生させているらしい。

手足の冷たさは冷え性という事で押し通していたが、この誤魔化しもいつまで続けられるか。


漠然とした不安を抱えて3人での暮らしが2カ月も経った頃。診療所にはショウの友人と思しき人物が彼を迎えに来た。






 初めて見た時は女の子かと思ったが彼は立派な男子であり、『アデルハイド』の王子という。

「・・・・・(そうか。ショウ様も元は『シャリーゼ』女王の側近だって聞いてたし。)」

庶民からは想像もつかない身分だとこの時改めて思い出していると、

眩い光を放った金の髪を持つ少女と漆黒の美しい髪を持つ少女も現れた。

同性としてどちらも見惚れてしまうような気品を確かに感じたサーマだったが、

《・・・その金髪には気を付けて。恐らく人間じゃないの。》

彼らが久しぶりの再会を喜んでいる間、ウンディーネが頭の中でそう注意を促してくる。

「・・・・・(人間じゃない?どういう事?)」

《私は魔族だっていう話はしたでしょ?その金髪からは私と真逆の力を感じる。恐らくは天族よ。》

と、言われても正直魔族の事すらよくわかっていないサーマ。真逆の存在らしいが、

「・・・・・(でも悪い人には見えないよ?凄く可愛いし。)」

《あなたねぇ・・・まぁいいわ。あっちも特に暴れたりする様子もないし。》

こんな大人しそうな少女が暴れる?

よくわからないので彼らが会話を交わしている間、サーマは合間合間でウンディーネから天族と魔族についての解説を受けていた。


全てが全てではないが基本的に天族とは蛮行に走る連中が多く、

魔族というのはそれが嫌になり天界から逃げて魔界というものを作った者達の事だという。


《私も教わった事しか知らないけど、天界ってところは毎日毎日戦いに明け暮れているらしいの。

でも魔界は違う。毎日毎日がのどかで争いなんて絶対起こらないの。》

彼女だけの話を鵜呑みにするのは危険だが、

そんな判断が出来る年でもないサーマは既に2か月以上も一緒にいる彼女の話に憧れを抱く。


争いのない世界。


そこに生まれていれば両親も自分も、ショウ様も死ぬことはなかったのに・・・

やがてクレイス王子が自国への招聘を持ち掛けるも、

「まずは命の恩人であるサーマの傍にいてあげたいのです。彼女もまた私と同じく故郷と家族を失っていますから。」

自身が思っている以上にショウがサーマを大切に扱っていてくれた事を強く感じ、席を立ってくるくると小躍りしたい衝動に駆られる。


「・・・あの。本当にショウ様ですか?偽物とか・・・それこそユリアンに支配されているとかではありませんか?」


『ユリアン』というのはわからなかったが美しい金の髪をもつ少女の発言に何となく失礼さを感じたサーマ。

《あはは。あの金髪は色々鈍感らしいの。あはははは。》

頭の中で大笑いしているウンディーネのお陰で自身の不機嫌はどこかに飛んでいったものの、

彼女の中で天族という種族の印象が大きく決定づけられたのは言うまでもない。

結局ショウが断った事でまた3人での生活が続けられる。その喜びに勝るものはなく、


「お口に合えばいいんだけど。」


その夜クレイス王子自らが炊事場に立って料理を作るという世にも珍しい光景にサーマは目を見開いて凝視していた。

更にその料理。

《うんまっ?!?!?》

ウンディーネが聞いた事のない声で驚いていたのでサーマも魔力を使って味を伝えてもらうと、

「・・・・・(ええっ?!?!なにこれ?!滅茶苦茶美味しい?!)」

王族というのは文武両道と他に芸術面でも優れているという話は聞いた事がある。

しかしまさか料理までも極めているとは・・・・・


「・・・・・(王族って凄いんだ・・・)」


そんな何でも出来る方と友人だなんて、ショウ様というお方は何という高い位置におられたのだろう。

相変わらず言葉は交わせないが、彼の知られざる一面を垣間見れた事だけでも幸せを十分に感じるサーマだった。






 年が明けて1月も終わろうとしていた時、今度は『シャリーゼ』の元宰相モレストが姿を見せる。

しかし彼の誘いすらもあっけなく断るショウを見てますます喜んでいたサーマ。

《いや、いいけどね。》

頭の中では相変わらず命の恩人といえばいいのか、ウンディーネとのやりとりが頻繁に行われている。

心臓付近に大きな傷を負って声が出なくなった彼女にとっては唯一やり取りが出来る相手だけに、

この3ヶ月ほどで随分と仲良くなったサーマ。

「・・・・・(何かおかしい?復興よりも私を選んでくれたのよ?)」

《うーん・・・前に来てたクレイスって少年の話からしても今のショウはまだ傷が癒えていないようなの。》

傷が癒えていない?

確かに右目は失われたままだがアビュージャが完全に治ったと診断も下している。

本当に死んでいた時と違って今は眼を覚まして動いてサーマと診療所のお手伝いまでしている。

《イフリータの力も弱いままだし、多分本当のショウはもっと活発だと思うの。》

「・・・・・(うーん・・・そうかなぁ・・・?)」

サーマは7歳の時に颯爽と現れて助けてくれた姿と臨時講師として週に2、3回ほど学問所に来て淡々と教鞭を振るっていた姿しか知らないが、

それらと重ね合わせても今のショウの姿に違和感は全く覚えない。

(活発なショウ様って・・・全然想像出来ないな。)

ただ、ウンディーネの友人が未だ眼が覚めていないのも事実だ。

とにかく憧れの人と一緒に過ごせる毎日が楽しすぎていつも笑顔を浮かべていたサーマ。




そんな2人の前に突如絵に描いたような暗雲が現れたのは更に一ヵ月後。




がたっ!?


普段と変わらず診療所の手伝いをこなしていたサーマだったが突如体の支配権を奪われる。

大きな物音を立てて手にした木箱を机の上に置くと屋内から何故か東の方向に顔を向けたまま動かなくなるウンディーネ。


「・・・おばあ様。少し席を外します。ショウ、こっちに来て。」


「・・・・・?!(えっ?!)」

いつもは自分の頭の中だけに響いていた彼女の声が実際に自分の体から、口から漏れた事にとても驚くサーマ。

(私って実は喋れるの?いや、でもこの声は私の声じゃないし今のは間違いなくウンディーネの声・・・どうなっているの??)

疑問は疑問のままほとんど触れたことの無いショウの手を遠慮なく握って裏口から外に出る2人。

正直羨ましくて仕方が無かったが自由を奪われているだけで感覚は共感出来ていた為、

自分とは違い生きているショウの手から伝わる温かさに感動していると、


《サーマ。あれを見て。》


普段と違って随分真剣な物言いになったので意識を視界に注ぐとそこには・・・


「・・・・・(・・・何・・・あれ?)」


まだお昼前で周りの天気は快晴だ。

なのに東のほうからはまるで墨でも零したかのような真っ黒な夜が少しずつこちらを覆うように近づいてくる。

《もしかするとあれは『闇の王』かもしれない。》

彼女との会話も随分慣れてきたのに未だに知らない言葉が出てくるのはやはり種族の違いからだろう。

「・・・・・(何それ??)」

《全てを闇に包み込んでしまう王・・・らしいの。私もバーン様がちょっとだけ話しているのを聞いただけなんだけど。》

言葉はわからなくとも彼女がとても警戒しているのだけはわかったサーマ。

「・・・サーマ。どうしたのですか?」

一緒にいたショウも心配そうにこちらを伺っている。するとウンディーネは彼の前にしゃがみこんで自分の右目を両手で覆うと・・・


ぱあぁぁ・・・っ


怪しげな紫煙と光がその手と顔の隙間から漏れる。

そして顔から離れた両手の平には蒼く光る眼球が収まっていた。

「・・・・・(あれっ?!何か見えにくくなった?!)」

《うん。今私の目を外したから。》

目って外れるものなの?!とすかさずつっこもうとしたが、

彼女はそのままショウの右瞼に持っていくとそれは失われた彼の眼窩にすぅっと入っていく。


「目を開けてみて。」


言われるがままその双眸をしっかりと見開くと彼にもこの夜のようなものが視認出来るようになったらしい。

きょろきょろと周りを珍しそうに伺うが、気が付けばこの辺り一帯が真っ暗に覆われている。

「・・・『闇を統べる者』?」

「?!ショウはあのお方を知っているの?!」

「・・・・・(『闇を統べる者』?)」

ウンディーネが先程言っていた言葉と違うことに疑問を感じたサーマ。

(『闇の王』と『闇を統べる者』。微妙に違うけど・・・何が違うんだろ?)

その事について少し考え込んでいるとショウとウンディーネの話は進んでいて、

『闇を統べる者』に関しては彼の知り合いらしくこちらから穏便に話を持っていく事で合意したようだ。が、


《ごめんサーマ。イフリータと彼を護るために私、少しだけ無理をするかもしれないの。》


2人で東に向かって歩き出す間、彼女にだけしか聞こえないウンディーネの声が少しだけ悔いるような声でそう伝えてきた。






 見れば東の街道から1人の少年と少女が2人に年上の女性が1人、こちらに向かって歩いてくる。

少年がショウ様のご友人らしく満面の笑みを浮かべてたたたと駆け寄ってくるのだが、


「ごめんねショウ。」


突如ウンディーネがショウの襟首を掴んで大きく後ろに引っ張ると簡単に後方へ飛んでいく。

同時に全身を水に覆われて球体の檻に閉じ込められた彼も一瞬何が起こったのか理解出来かねているようだ。

「・・・・・(ちょっと?!ショウ様に何してるの!!)」

少年とはいえそれなりの重さがある人間を軽く片手で放り投げた事など問題ではない。

自身が慕って止まない大事な男の子をぞんざいに扱った事で大いに激高するサーマだったが、

《ごめんごめんなの!でもあの黒いのにショウとイフリータを近づける訳にはいかないの!わかるでしょ?!》

言われてすぐに納得もいく。

この黒い夜の正体はこの少年から来ているのだと。

姿こそ立派な衣装を身に纏った男の子だが彼の右目からは黒い靄のようなものが漏れており普通の人間とは考えにくい。


「でも大丈夫。私が『闇の王』から守り切ってみせる。」


ウンディーネはそれを追い払おうとしているらしいが

「・・・・・(ウンディーネ!さっきの話だと『闇の王』と『闇を統べる者』って別人じゃ・・・!)」

闘志むき出しの彼女にもはやその言葉は届く事がなく、


ぱぁぁぁっ・・・!!


少年のそばにいた黒い短髪の少女から全身を覆うほどの眩い光が放たれると一瞬で黒から銀の長髪へと変化し同時に背中から真っ白な羽まで現れた。

前髪で隠れていた双眸は赤く光ってこちらを見つめている。

「サーマだっけ?貴方から危険な気を感じる。私はお友達になりにきたんだけど?」

「・・・・・(・・・あれ?私の事を知っている?)」

《こいつは天族、という事は前に来てた奴の知り合いみたいね。》

人がこのように姿形を変える事とは夢にも思っていなかったが、自身の名を知っていた事ですぐに我に返ったサーマ。

そしてウンディーネの口からまたも天族という言葉が出てくる。

「冗談でしょ?『闇』に堕ちた天族に用はないの。私の相手はそこの少年だけよ。」

前もそうだったが彼女は天族というのを非常に嫌っている。争いを好むという事は聞いていたので納得はしていたが、

「・・・・・(何かウンディーネからけんかしにいってるみたいだよ?先に話し合ってみない?)」

現在自分の周囲には魔術で作られた水球が無数に浮かんでいるなど知る由も無いサーマは頭に血が上っている友にそう諭す。

「・・・・・(この子もけんかするようには見えないし。ね?)」

それは客観的に見ての発言だった。姿こそ変わったものの、体はそのままだし腕の細さは自分と変わらないのだ。

女の子2人がひっぱたいて髪を引っ張っての大喧嘩。

サーマの中では時々見てきた学問所での出来事が目の前で起ころうとしている。そう思っていた。


「えっと・・・何か嫌な予感がするんだけど?」


不気味な夜を背負う少年ですら似たような想像をしているらしい。

彼の発言から余計に話し合いを進めるべきだと再度言葉を発そうとした時、


じゅあっ!!じゅじゅぁっじゅっ!!!


激しい音と湯気で視界が真っ白になる。

どうしてそんな事になっているのか待ったくわからないサーマは目を白黒させながら目の前の光景を見ていた。

気が付けば先程の可愛らしい少女が紅い水晶のような玉のついた厳つい杖を片手に真剣な眼差しで迫ってきている。


ぶあっ!!!


と、同時にその両翼を激しくはためかせると肌にまとわりつくような水蒸気が一気に霧散して・・・


「・・・・・(・・・ええええ?!)」


いつの間にか2人は空の上を飛んでいた。

それだけでも意味がわからないのにサーマの両脇?

いや、頭の上から足の下から水鉄砲のようなものが銀髪の女の子に向かって放たれている。

相手はそれに合わせて火球を飛ばしてくるのだから更に理解が追いつかない。

何処から水が?何処から火が?

生きていく上での常識しか知らないサーマは非現実を目の当たりに言葉を失う。

「サーマ。中々面白い。でもヴァッツは私の甥っ子だから傷つけるのは駄目。」

抑揚のない声が自分の名を呼んだ事で我に返ると、

2人は空を縦横無尽に飛びまわってお互いが水と火で攻撃を放っている。

ただサーマの目からすれば動きが早すぎて一瞬火球が飛び込んできたかと思ったら水蒸気で霧散するの繰り返しにしか見えない。


しかし次の瞬間。


いきなり目の前に先程の少年が現れた。

彼はウンディーネの両手首をがっちりと掴んで動けないように押さえ込んでいるらしい。

相変わらず夜を背負っている上に右目の靄が不気味さを醸し出しているが、その行動に敵意らしいものは感じなかった。






 「・・・やっぱり私の力じゃ『闇の王』には勝てないの・・・?」

よくわからないが、やっとウンディーネが暴れるのを諦めたらしい。

静かに地面へ降りていく2人をやれやれといった感じで見守るサーマだが、

【その『闇の王』という呼び方はやめてもらおう。そもそも私は何もしておらん。】

《「・・・・・?!」》

いきなり地の底から聞こえてくるような低音が耳に届いた事で2人同時に驚いて言葉を失う。

それは明らかに少年のものではない。


ぼこっ!


「あ痛っ?!何々?!」

しかし次の瞬間銀髪の少女が急降下してきてそのまま少年の頭に手刀を落としていた。

声も元の少年のものに戻っていたので2人して不思議そうに眺めていると、

「折角守ってあげてたのに勝手に動かないで。」

完全に戦意を無くしたウンディーネを見てもう大丈夫だと判断したらしく、

少女は少年の為に戦っていたのだという主張を強く訴えた。

「えっと。とにかく一度話がしたいんだけど。オレも『ヤミヲ』もさ。いい・・・かな?」

後頭部をさすりながらこちらを伺うように尋ねてくる少年をみてサーマは、

「・・・・・(ほら!ちょっと不気味だけどこの人もお話がしたいって!!)」

向こうから話を持ちかけてくれたのだ。

正直水と火の戦いは何一つ理解出来なかったのでそういった意味でもここは是非ウンディーネに折れてもらいたい。

「・・・好きにすればいいでしょ。」

諦めたかのようにぽつりと呟くのを聞いてほっと胸をなでおろしたサーマ。

同時に後ろで拘束のような形になっていたショウも小走りで近づいてくると、


ぼこっ!


《「はうっ?!」》

やりとりは全て見聞き出来ていたのだろう。

ショウが今までとは違う、少しいじける様な表情でウンディーネの後頭部に手刀を軽く落とすと、

「全く。私に任せて下さいと言っていたでしょ?ヴァッツ。そしてアルヴィーヌ様。

色々と誤解があるようなのでまずは診療所に戻って話をしましょう。」

2人に向かって申し訳なさそうにそう言う赤毛の少年。ウンディーネは心の底から諦めたのか素直に頷くが、

「・・・・・(何で私がショウ様に怒られなきゃならないの?!)」

初めて憧れの人から受けた心優しい触れ合い?にサーマは1人激しく腹を立てていた。





「・・・オレってそんなに怖い?」

診療所に戻る途中、蒼い髪の少年はこちらを伺うように尋ねてくる。

今はウンディーネが体を使っている為細かい所はわからないが、どうも表情や仕草などでそういう部分を露骨に表現しているらしい。

ただ、サーマも彼女の目を通してみている為、ウンディーネの気持ちがわからなくもなかったので、

「・・・・・(怖いというか、ちょっと不気味・・・)」

心の中だけでぽつりと呟くと、

「怖いというか、ちょっと不気味。」

ウンディーネにだけしか聞こえないサーマの声は彼女のいたずら心によって面々へと伝わり、

ヴァッツという少年は目に見えて落ち込んで取り巻きの女の子からは様々な視線が向けられる。

「・・・・・(ちょっと?!)」

《えへ。いいでしょ。私からこの少年への仕返しなの。》

ずっと一緒にいるサーマからすれば彼から特に何かをされた風には見えなかった。一体何への仕返しなんだろう?

言い訳が出来ないので口を噤む事を心に誓いながら中に入る。


「おや?もう大丈夫なんけ?ってえらい大人数になってまぁ?」

アビュージャが患者を診ながらもこちらの様子に驚いているが、

「すみません。重大な話があるのでこれが終わり次第お手伝いに戻ります。」

少し申し訳なさを感じつつも頭を下げていつもの食卓に友人達を案内するショウ。

椅子が1つ足りなかったが少女の中に1人、蒼い髪の少年の後ろに喜んで立つ事を願い出た。

よくわからない関係の人達だな・・・・・と決して口に出さないようにぼんやりと思っていると、

「まずはサーマの不安から解消させて下さい。『ヤミヲ』様、貴方は『闇の王』と呼ばれているんですか?」

「・・・・・(この男の子の名前が『ヤミヲ』・・・あれ?さっきヴァッツって言ってなかった?)」

《・・・たぶん私とサーマみたいな関係じゃないかな?》

ウンディーネがさらりと答えるが、そうなるとヴァッツという少年も死んでいるという事だろうか?

自分のような境遇の人間が他にも存在するのだろうか?


【私をそのような塵と一緒にするな。『闇の王』とは己の負の感情等を具現化してしまった者が勝手に名乗っているだけだ。】


先程耳に入ってきた地の底から聞こえてきそうな声と共に少し不快感すら感じる短い答えが返ってきた。

「・・・・・(この『ヤミヲ』さんがウンディーネみたいな人?魔族?)」

その声が二度目だったからか恐怖はなく、むしろ何故か親近感すら湧いていたサーマは友人に軽く問いかけると、

《・・・・・魔族ではないわ。でも天族でもないはず。》

随分真剣な声で返ってくるのでそれ以上質問するのは憚られた。

「ということです。サーマが忌諱する相手ではありませんので安心してください。」

いつもの優しい笑顔をこちらに向けてくるショウ。

サーマ、というより存在すら知らないウンディーネの為にここまで気を配ってくれる。

本当にこの方と出会えて私は幸せ者だ・・・・・と思考が浮ついている中、

「・・・でも、ショウも見えてるでしょ?闇の力が・・・」

同じ体にいるからだろうか。

最初にその姿を目に入れた時以上に警戒しているのが手に取るようにわかったサーマはウンディーネの発言に思わず身震いする。

一体何に怯えているのだろう?と尋ねる前に、


【なるほど。普段は抑えている私の力が視認出来るとは。貴様、相当上位の『魔族』だな?】


相手が先にこちらの正体を言い当ててきた。

ウンディーネに出会うまで聞いたこともなかった『魔族』の存在を知っている。『ヤミヲ』という者はかなり博識らしい。

「『魔族』って何?」

これに対して何故か『魔族』と口に出した本人が聞いてくるので一瞬で混乱するサーマ。

ただ、これは蒼い髪の男の子の声だろう。

「・・・・・(私達の関係に近いっていうのはこういう事?)」

サーマと違って彼は自分の声を持っている。

なので2人が同じ体から違った意思と声で会話が出来るということか?


【『魔族』というのはこの人間界のはるか地下深くに存在する魔界に住む種族だ。逆に『天族』とはこの世界のはるか上空で暮らす天界の種族の事を指す。】

「へー。」

「・・・・・(へー。)」


そこまで詳しくは聞いていなかったので同時に感嘆の声を漏らしていると、

「じゃあさっきサーマが言ってた『天族』って。アル、貴方天界って所から来たの?」

「知らない。私赤ちゃんの時にここに来たから。」

取り巻きの女の子達にも色々事情があるらしい。

しかし自身が人間ではない種族だと知ったにも関わらずこのアルヴィーヌという女の子は非常に無関心のようだ。

それよりも、

「・・・サーマ。貴方が『魔族』というのは本当ですか?」

尋ねてきた時にはいつもの優しい笑顔に戻ったが彼が少し驚いた表情を一瞬見せたのをサーマは見逃さない。

「・・・・・(ど、ど、どうするの?!どう言い訳するの?!)」

《・・・言い訳はしない。『ヤミヲ』に全て見抜かれそうだし。》

自分が死んでいるという事を知られたくないサーマの心情はしっかりと汲み取ったのか。

ウンディーネは出来る範囲で自身とサーマ、そしてショウの中にいる友人について説明をした。






 彼らもクレイス王子と同じように国への招待を口に出していたが、ここでもショウはきっぱりと断っていた。

急報が入ってきたときは流石に無理かと諦めかけていただけに、

「・・・・・(やっぱりショウ様は私を選んでくれた!!)」

何よりも自分の傍を選んでくれる少年の決断に体ごと浮いてしまいそうな喜びを感じるサーマ。

《はいはい。まぁ私もイフリータの傍にいたいし助かるの。》

ウンディーネはいつもの惚気だと軽く聞き流している。

ショウ自身も自分の体がまだ本調子でない事は薄々気が付いていたらしく、

イフリータやウンディーネの話をすんなりと受け止めてくれたのもまたうれしかった。


(・・・いつか私の話も聞いてもらえるかな。)


学問所に通っていた事、店番をしていた時に助けてもらった事、あの時初めて彼を知った事と・・・

自身がすでに死んでいること。

声が出ない為に何かを伝えるときはウンディーネに頼むしかない。

でも自分の事は自分の口から、それが無理ならせめて筆談でもいい。いずれは全てを伝えたいと考えるようになっていたサーマ。

先日の反応から、もしサーマの全てを知ってもショウは笑って受け止めてくれそうだ。そう願いたい。




それからしばらくは平穏な日々が続いていたが、ある日。


「おんや?さすがにもう買い出しにいかないとねぇ・・・」

アビュージャの面倒くさそうな声が耳に届いた。

ひょこっと顔を覗かせるとどうも薬草の在庫がなくなっているらしい。

ショウは元々頭が良く、ここにきてからも彼女の手伝いがてらめきめきと知識を吸収している。そんな2人が少し話し合うと、

「そうだ。サーマも連れて行っておやり。

ロークスは『シャリーゼ』に負けず劣らず栄えた都市じゃ。少しは楽しんでおいで。」

どうやら買出しに遠方の街へ出かけるらしい。そしてそれに同行する事を許されたサーマ。

2人でどこかに出かける事すら嬉しいのに今回はちょっとした旅になるという。

「・・・・・(ロークス・・・聞いたことはあるけど・・・どんなところだろう?!)」

めいっぱいの喜びを笑顔にのせるとショウもそれに応える様に笑い返してくれる。

道中何か起こるのだろうか?

死んでいるとはいえ年頃のサーマは妙な期待を抱いてしまうが、よく考えれば彼が目を覚ますまではずっと一緒に寝たりもしていたのだ。

《そんな事は起こらないと思うの。》

ウンディーネが心を読んだかのように呟いたがこればかりは蓋を開けてみなければわからない。


邪な下心を密かに燃やしていたサーマだったが2人は何事も無く10日ほどでロークスの街に入っていた。




「・・・・・(あ。あそこに薬草って書いてる!)」

《うん。間違いなさそうなの。》

あまり難しい文字は未だに読めないがウンディーネも同意してくれたので隣に座るショウにもわかるように指を刺す。

馬車を止めて店の中に入ると様々な医薬品はもちろん、何に使うのかよくわからない道具が大小あちこちに展示してあった。

ショウが目的のものを購入している間、薬品独特の臭いに包まれながらサーマはきょろきょろと店内を真剣に見て回る。

《何か探してるの?》

「・・・・・(うん。その・・・生き返る薬とかないかな・・・)」

《うーん・・・難しいと思うの。》

死んでいるはずなのに動けている件に関してはウンディーネですらよくわかっていない部分が多いらしい。

彼女はイフリータが目覚めるまでは一緒にいてくれるが、もしその後2人で魔界とやらに帰る話になれば魔族の力が離れていく事になる。

もしこの不可思議な現象が彼女の力だけで起こっているのなら残されたサーマはまた死んでいくしかない。

(折角ショウ様と一緒にいられるのに・・・)

死んだときの事は何も覚えていないので死への恐怖はそれほど感じていない。

今はただ彼との楽しい日々を失いたくない、その気持ちでいっぱいなのだ。

《まぁ私は当分サーマと一緒にいるから。》

ウンディーネが優しくそう言ってくれるが不安は完全には拭えなかったサーマ。

店を後にして宿に着いた後、

「今日はゆっくり体を休めて明日街を見てみましょう。」

とショウの心躍る提案にも彼女の笑顔には若干の陰りが見え隠れしていた。






 「どうしましょうか。この状態では骨休めもままなりませんね。」

ショウが通りに溢れ返る市民達を眺めながら短いため息をついていた。

昨日はお店を探すのと自身の体について考えていた為彼の言葉がいくつか届いていなかったサーマ。

『シャリーゼ』から逃れてきた人たちがここで新たな人生を歩もうとしている為これだけ人がごった返しているらしい。

サーマとしては隣に彼がいてくれたらどこへでも喜んでついて行くのだが最終的には人ごみを避けて裏通りを歩く事を選んだショウ。

それでも十分なほど沢山の店が建ち並び、花や野菜、鋳物や硝子細工などが店頭に並んでいる。

「・・・・・(あ・・・懐かしい・・・)」

未だに自分の事は話せていないので家業が野菜売りをしていた事など彼は知らない。

懐かしさと寂しさを胸にその前を通り過ぎると、


《サーマ、ちょっと先のほうに何か妙な気配がするの。少し慎重になの。》


いきなりそんな警告を言い渡されて一瞬足が止まってしまうサーマ。

「・・・・・(ど、どういう事?危ないって事?)」

《わからない。でも・・・これは・・・》

注意を促すも彼女ですらよくわかっていないらしい。仕方が無いので気だけを配りつつ2人で並んで歩いていく。

すると目の前には小さな教会とそこに沢山の人間が押しかけているのが見えた。

表からでも中で演説をしている女性の声が届いてくる為、さぞ高名な僧侶が壇上に立っているのだろう。

教会がセイラムのものなので一応は自分にも関わりがある。

しかしショウは無神論者らしいので気にも留めずにその前を通り過ぎようとしていた。

「・・・・・(・・・あっ)」

気が付けばショウの袖を摘まむ自分自身が。更に教会内部を指差している。

《見つけたわ。イフリータとショウの仇よ。》

「・・・・・?!(えっ?!えっ?!)」

いきなり体の主導権を奪われた挙句何を言い始めたのだろうと最初は置いてけぼりになったサーマだったが、

ウンディーネとショウのやり取りを聞いているうちにその真意を理解していく。


クレイス王子が教えてくれた『シャリーゼ』を滅ぼした男『ユリアン』。ショウをも手にかけた男『ユリアン』が今、この教会内部にいるのだ。


今は何故か修道女の中にいるらしいが、天族はそういった人を操る術に長けているというのは何度か聞いている。

ウンディーネの蒼眼から通して見えているせいか、サーマにも彼女の体から青白い光が放たれているのがしっかりとわかる。

「・・・・・(女の人の中でもいいんだ。)」

ぼんやりと不思議そうにそんな事を考えていると仇を取ると言い出したウンディーネに情報を得たいショウとの折衷案でひっ捕らえる流れになったらしい。


ただ、彼らの思惑は大いに外れ、この後交易都市ロークスで最大の暴動が勃発した。




皆が皆大役場に向かって走り出すので仕方なく2人もそれに流される形で修道女の後を追う。

「・・・・・(また飛んだり魔術を使ったりしちゃうの?)」

《うーん・・・周囲を巻き込んでもいいならそうしたいんだけど・・・》

ウンディーネが本気を出せば彼女だけでも空を飛び目的の人物まで一瞬でたどり着けるはずだ。

それをやらないのは狂気に駆られた市民の中にショウを残してはいけないという気持ちがあるからだろう。

ショウは大切な友人イフリータでもあるのだから。

こうなるとサーマは本当にお荷物と化す。いや、体はウンディーネが使っている為邪魔にはなっていないはずだ。

だが周囲と隣にいるショウを心配そうに眺めることしか出来ない自分に歯がゆさを感じるのも事実。

「・・・・・(おかしいな・・・楽しい買出しだったはずなのに。)」

気が付けば命の危険に晒される暴動の真っ只中だ。

2人は『ユリアン』を追うことに夢中だがサーマとしては危ないこの場を早く離れて欲しかった。


そんな彼女の願いも空しく大役場の敷地内ではそこかしこで衝突が起こっており、

目の前には人質を取った修道女がこちらに薄汚い笑みを向けていた。






 2人が『ユリアン』を殺すとか殺さないとかいう相談をした時は本当にどきどきした。

しかし1人の中年男が登場するとあっけないほど事件は速やかに鎮圧され、いつの間にかその中年男と家族を交えて一緒にご飯を食べる事になっていた。

「・・・・・(一体誰なの?あのおじさん。)」

《カーチフっていってたの。この世界では相当強いんだって。うん。確かに強かったの。》

大衆食堂っぽいところで大人数が賑わいを見せる中、様々な話が出てきたのは覚えている。

ただ、ショウやサーマに直接関わりがあるかどうかはちょっと内容が難しくてわからなかった。

《私達に関係あるのはあの修道女がどんな情報を持ってるか、だけなの。》

ウンディーネが用意されたご馳走をおいしそうに食べながらサーマに教えてくれる。

「・・・・・(なるほど!あ、そっちの右のお料理も食べたい!)」

お互いがお互いに体の主導権を譲り合いながら食べたことの無い郷土料理に舌鼓を打ちながら時間はあっという間に過ぎていき、

「じゃあショウにはこの国で使える交易手形を用意しよう。これからも備品は入用だろ?」

最後に中年男が今日のお礼という事で何かを約束したところで食事会は幕を閉じた。




それから毎月ロークスへ買出しに行っていた2人。この時が彼女にとってもショウにとっても一番幸せだった時期かもしれない。




やがて6月に差し掛かる手前である小さな出来事が起こる。


「ここにショウという少年がいるじゃろう?」


突然現れた大地主ジェローラに内心驚くサーマ。

何かご挨拶をと思ったが半年以上お会いしていなかったし今の彼女は言葉が話せない。

《私が代わりに伝えようか?》

ウンディーネが気を使ってそう提案してくれるがどうも様子がおかしい。

少し距離はあったものの目を合わせて軽く会釈をしたのだが彼は少しだけ頷いてそれで終わってしまった。

(あれ・・・名前はともかくもう少し覚えててくれてるかと思ったのに。)

確かに畑仕事はまだ早いと手伝いは出来なかったものの両親共々よくご挨拶には行っていたのだが相手は大地主だ。

サーマが思っている以上に沢山の人間と交流がある為、少女1人の顔までは覚えていなかったのだろう。

「・・・・・(うううん。大丈夫。)」

寂しさを隠しつつショウと老人の会話を聞いていると、

「お婆様。よろしければ彼のお手伝いに行ってもかまいませんか?」

何故かその誘いに乗る事に決めたらしい。

お互いが初対面のようなやりとりだったのでてっきり軽くお断りするのかと思っていたのでびっくりはしたものの、

「・・・・・(大地主様には私達家族がとてもお世話になったから、うん。私も何か手伝わないと!)」

気持ちを切り替えて鼻息を荒くしながら気合を入れるサーマ。

「じゃあ私がお弁当を作ってあげる、って言ってるの。」

ウンディーネがショウにそんな事を伝えるので思わずそれを止めようとしたが、

(・・・お弁当か。そうだよね。アビュージャさんを1人にする訳にもいかないし。)

そもそもサーマに声はかかっていないので一緒に行く訳にも行かず食事関係での手伝いなら一番貢献出来るかもしれない。

降って湧いた提案に乗る事を選んだサーマはこくこくと頷く事で彼からは心の底から嬉しそうな笑みが零れていた。




問題は作る時間だ。

未だに打ち明けられていないがサーマは死んでいる為睡眠を必要としない。疲れ知らずの体なのだ。

ウンディーネと相談した所、早朝というのが何時かわからない為皆が寝る前くらいに作っておこうと話がまとまると、

「・・・・・(おにぎりって・・・こんなのでいいのかな?)」

普段は雑炊や炊き立てを茶碗によそって食す米を食べやすいように形を整えてみるサーマ。

《うーん。もうちょっと三角にしたほうがいいの?》

ウンディーネもにわか知識で口を出すものの、どれが正解というのは全くわからない2人。

「・・・・・(そうなの?食べやすいんだったら小さくて丸い方が・・・)」

お互いが悩みながら、そして体を譲り合いながら自分達の思う携帯食をこしらえていく。

やがてどれ1つとして同じ形を成していないおにぎりが6個と野菜の漬物を箱物に詰めると彼女達は満足そうな笑みを浮かべながら寝室へ戻っていった。






 大地主の農場で行われる種蒔きは3日。

毎年恒例で天候の横槍さえ入らなければ順調に終わるらしい。

ただ、今年は『シャリーゼ』が陥落しており国民の半数は死去、そしていくらかは新天地を求めて国外に出てしまっている。

「・・・・・(人手って足りてるのかな?)」

想像以上にお弁当を喜んでくれていたショウの笑顔を思い浮かべながら午後の診療を手伝うサーマ。時々アビュージャに、

「ほらサーマ!ぼけっとしてないで包帯持ってきておくれ!!」

王城近辺の復興作業で相変わらず怪我人が多いらしく、もっぱら傷の手当を求める患者が多い。

油で溶いた軟膏と共にどんどん薬が減っていく毎日を見て、

「・・・・・(これはまたショウ様と一杯お買い物しに行かなきゃね!)」

決して怪我人が多い事ではない。その旅路を思い返して喜んでいるのだ。

そう自分に言い訳しながら早くショウが帰ってくることを待ちわびていた今日という日に。


2人の感情を大きく揺さぶる事件が起こってしまう。







アビュージャと共に大地主の屋敷にやってきたサーマ。

何でも土地神様を奉った祠が壊されて、更にショウが行方不明になったという訳の分からない急報が入ってきた為だ。

「・・・・・(行方不明って?!ただ種蒔きに参加してただけなのに?!)」

《落ち着いてサーマ。私も何か感じ取れないかやってみるから。》

大きな館の前に馬車を停めると勢いよく飛び降りたサーマは老婆の手を引いて中に入っていく。

案内された先には気品溢れる大人の女性が大怪我をして横になっていた。

それを見たアビュージャはすぐに治療の準備をすると、

「・・・・・あれ?この人魔人じゃ?」

周囲の探索に当たる為、体をウンディーネに任せていたら何かを口走った。

「・・・・・(魔人?)」

同じように気になったのか大地主も血相を変えながらサーマの体に詰め寄ってきた。

ジェローラも相手にしなければならないウンディーネはそのまま体と声を使って手短に説明をする。

「・・・・・(魔族と人間から生まれた・・・)」

言葉でこそ多少聞き慣れはしているものの、魔族というのを未だに直で見たことが無いのでいまいち想像がつかない。

しかしその説明から考えるに魔族というのも相当人間に近い外見なのだろうか?

だがそんなくだらない事はウンディーネの質問から返ってきた答えによって一気に吹き飛んだ。


『ショウは・・・あの男に攫われたのじゃ・・・』


魔人族と呼ばれた女性が意識を取り戻したらしく、苦しそうに何とか声を出して教えてくれたのだが、

「・・・・・(ショウ様が・・・攫われた?)」

一瞬何のことかわからず理解出来ないままでいたサーマと違い、

「・・・・・どういうことなの?魔人の女、詳しく教えるの。」

ウンディーネはすぐにその事実を悟ったらしく、いつもと違う声色で傷ついた女性に強く問い詰める。

彼女にとってショウは友人であるイフリータと同義なのだ。

魔界という場所から遥々やってきてやっと見つけ出したにも拘らず再び行方不明になれば怒るのも当然である。

同じ体内にいるサーマも少し震えながらやり取りを見守ると、ウンディーネは彼を探す旅に出ると宣言した。

「・・・・・(えええ?!)」

感情に流されすぎではと大きく声を上げてみるも、

《放っておいたら今度こそ命を落とすかもしれない。そうなってもいいの?》

「・・・・・(う・・・・・)」

折角命を取りとめたショウ。その為に2人でずっと傍についていた記憶もまだ新しい。

2人にとって大事な人をこのまま放っておくわけにもいかないのはすぐに理解は出来た・・・のだが、


「こらサーマ!!治療を手伝わんかい!!」


その場を立ち去ろうとしたウンディーネがアビュージャに怒られてしまい、尻拭いを押し付けられたサーマは出立までずっと彼女に恨み節をぶつけていた。




東へ向かう際、ジェローラが様々な準備をしてくれたが最後まで自分の事は思い出してもらえなかった。

《仕方ないの。よぼよぼのおじいちゃんだし。》

ウンディーネはそう言うがきびきびとした立ち振る舞いは年を感じさせず、長年農作業で培ってきた彼の強靭な足腰もしっかりと大地を踏み掴んでいる。

時間が惜しかった彼女達は挨拶もそこそこにすぐに旅立ったが

帰ってきたら亡くなった両親の分も含めてしっかりとお礼をしようと心に誓い、2人は馬車を走らせた。






 サーマはそうでもなかったがウンディーネがヴァッツという少年をとても警戒しているので、

「・・・・・(ねぇ。なんでヴァッツ君を怖がるの?)」

急いではいたものの馬の速さにも限界があるので道中持て余していた時間に気になっていた事を色々と質問し始めた。

《怖いっていうか・・・うん。怖いの。あまりにも底が読めないから。》

「・・・・・(底が読めない?)」

《海も深いところには光が届かなくて真っ暗なの。あいつはそんな印象なの。》

「・・・・・(へー。海かぁ。)」

『シャリーゼ』は内地にあった為サーマも海というのは存在だけは知っていたものの実物は見たことが無い。

ウンディーネの説明を聞いてもいまいち理解が出来ていなかったが、

(ヴァッツ君は海みたいな男の子か・・・今度ショウ様にも聞いてみよう。)

必ず再会出来ると信じて疑わない彼女はショウを助けた後にやりたい事を1つ心に書き込むと、

馬の体力が許す限り急いで彼らがいるであろう『アデルハイド』に向かうのであった。




ところがいざ到着するとここには誰もいない。王子であるクレイスすらいないのだがら内心とても驚いていると、

「サーマは喋れないと聞いているのでウンディーネと呼ばせてもらおう。よく参ったな。話はある程度聞いている。」

王様のキシリングが直接ウンディーネに声を掛けた事で話はとんとん拍子に進んでいった。

最初はヴァッツが戻るまで待つという流れだったがどうも王子が大変な状況の中にいるらしいというのが急報で入ってくる。

「・・・・・(クレイス様が・・・ねぇウンディーネ。ただ待ってるのも時間が勿体無いから助けにいかない?)」

彼はショウの友人でもあるのだ。もし何かあれば再会した時とても悲しい報せを伝えねばならなくなる。

「ウンディーネよ。ショウの探索、我が国も全力で補佐する事を固く約束する。

ところで・・・・・ヴァッツが戻るまでの間で良い。お前の力を貸してはもらえぬだろうか?」

キシリングも我が子が心配で仕方が無いといった様子でこちらに提案してきている。

《えーー・・・面倒臭いなの。でも・・・うーん。》

少し考えるとウンディーネにもその真意が伝わったらしく、

「私はヴァッツがとても、めちゃくちゃ、会うのも怖いくらい苦手なの。だから彼と話す時は必ずいろんな人を付けて欲しいの。」

未だに理解し難いほど彼を警戒する彼女は慎重な交換条件を提示すると周囲からは不思議そうな視線が向けられる。

サーマも彼らと同じ気持ちだったので当然『アデルハイド』側もその条件は快諾される。


火急の用という事で疲れを知らない2人はそのまま城を後にしたのだが、

「・・・・・(これが終わったらお城の中を探検したいな。許してもらえるかな?)」

《王子の命を救えば余裕でいけると思うの。》

初めて足を踏み入れた場所への余韻を思い浮かべながらサーマは心の中ではしゃいでいる。

そんな彼女を優しく見守るウンディーネも人間達の軍勢には微塵も警戒する様子はなかった。




戦場となっていた場所は木々が多く、地上で戦っている戦士達の視界はさぞ悪かろうと思われた。

到着すると早速ハルカの配下から詳しい説明を受ける2人。

そこでショウを攫ったという男と非常に告示している人間がいるとの情報を聞き、

「・・・・・(まさか・・・)」

《これは運がいいの。そいつをとっ捕まえればイフリータの手がかりがきっと掴めるの。》

喜び合う2人だったがその黒い外套を被った男というのも相当な猛者だという事を聞かされる。

「・・・・・(だ、大丈夫かな?)」

《ふふん!魔族は争いを好まないだけで弱いわけじゃないの!任せて!》

意外なところから2人が思っている人物の足取りを掴めた事でウンディーネはいつになくやる気一杯だ。

(これなら大丈夫そう。待っててね、ショウ様。)

サーマも心強い友人から力強い返事を貰った事でついその先に視線が向いてしまっていた。


期待を胸に2人は戦場の空に駆け上るとすぐに魔術を展開し始める。

他人が戦うのだが本人もその体の中にいるという稀有な状況な為、いつもサーマはその姿や何をしているかは見る事が出来なかった。

のだが・・・・・




ぼくぅっっっ・・・・・!!!!




ウンディーネが大量の水で大量の蛮族を始末した後に現れた黒い外套の男。

それの攻撃が腹に突き刺さった挙句、後頭部から大岩を落とされたかのような衝撃を受けて大地に叩き落された。

体は死んでおり現在支配権はウンディーネが握っていた為サーマからすれば痛み等はなかったが

激しい衝撃は伝わってきて視界は目まぐるしく移り変わる。


魔術で作った水球を緩衝材として展開したお陰で地面に叩きつけられる事こそ回避したものの

速やかに体勢を起こして男の前に再度飛んできながら、

《サーマ。お願いがあるんだけど聞いてくれる?》

ウンディーネが真剣な声色でそんな話をしてきた。

「・・・・・(だ、大丈夫?私でよければ何でも手伝うよ?)」

初めて頼りにされた喜びと不安混じりな声で尋ね返すサーマ。

彼女の顔は見えないがその答えを聞いて笑顔を浮かべているのだろう。微笑む声をもらしつつ、

《じゃあ一瞬だけ。あいつを倒すまでの間だけこの体から抜ける事を許してくれる?》

「・・・・・(えっ?!)」

考えた事もなかった提案にサーマは思わず大きな声を上げてしまう。

それもそのはず、自身は今彼女の存在によって動く事が出来ているのだ。


もし今ウンディーネが離れてしまったら私は死体に戻るんじゃ・・・最初に浮かんだ気持ちがそれだっだ。


《このまま戦い続けてたら今以上にこの体が損傷してしまうかもしれないの。大丈夫、本気を出せばあれくらいの男なんて一瞬で終わらせるから。》

自信満々にそう答える彼女にどう答えればいいのか・・・いや。ここはサーマの体を大事に思っていてくれている友人を信じるべきだ。

「・・・・・(わかった!ショウ様の為でもあるしね!私は・・・どこで待ってればいい?)」

サーマの下を離れるという事は恐らく動けなくなるはずだ。

大勢は決しているとはいえここは戦場。下手な場所に放置するわけにもいかないだろう。

《それなら考えがあるの。》

ウンディーネは黒い外套の男に大事なものを預けてくると告げてから一気に急降下してクレイス達の周囲にいた蛮族を一掃すると、

「やっぱり魔術ってずるいわ!あれだけ苦戦してた私が馬鹿みたいじゃない?!」

「いや。お前は本当によく戦ったよ。えらいえらい。」

2人の少女もこちらを迎えてくれた。なるほど、彼女達の下に預けるということか。

「クレイス、それにハルカとリリー。お願いがあるの。聞いてくれる?」

先程サーマにも聞かせた内容を手短に説明すると、深く理解しないまま彼らも了承をしてしまう。

さて、どうなることやら・・・


ふわっ・・・!!


一瞬で意識と体が事切れるサーマ。

元々訳が分からないうちに殺されてしまった為『死』というものを深く考えた事がなかった。

ただこの時は初めてウンディーネの姿を垣間見る事ができたので、


(あ・・・ウンディーネってそんな姿だったんだ・・・)


半年ほど一緒だった友人の姿を確認できた驚きと喜びを胸に、後は完全な死体となってクレイスに抱かれたままこの世を去って行った。

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