第六幕 074話 澄んだ勇者と混じりもの



 穴を掘る女。

 小さな体で、破砕の魔法を唱えながら。

 何度も、何度も。


 近くに置かれた氷の柩から、胸から上だけがせり出している。

 頬まで霜が張っているから冷気は彼女の全身を覆っているのだろうが。



「……イリアか」


 数年を共に過ごした冒険者仲間。

 色々とあったが、その死に様を見れば憐れな気持ちも浮かぶ。


 泣きながら、泣きじゃくりながら穴を掘る女も。

 やはり色々と思うところはあるが、憐れに思う気持ちも確かにあった。



「……」



 剣を抜く。

 ちょうどこの黒涎山で失くした剣。

 山から流れる川がレカン近くまでこれを運び、拾った者が町の商人に売った。


 灼爛と戦う中、それをシフィークが見つけたのも巡り合わせ。

 商人を殺してでも取り返そうとしたが、人を殺すなという命令がシフィークを止めた。


 トゴールトでマルセナを庇うイリアを殺せなかったように。


 剣はボルドがその場で買い上げ、シフィークの手に帰る。

 他の者には頑丈な名剣でしかなくとも、適性の合う者が持てば違う。灼爛を倒す力となった。



 マルセナも、この剣で送ろう。

 イリアが待つ場所に。

 かつての仲間にしてやれるせめてもの情け。



「深天の炎輪より、叫べ狂焉の裂光!」


 躊躇いも情けも無い魔法が放たれる。

 振り向きざまに、シフィークに向けて凄まじい力の奔流。

 トゴールトで一度目にしていなければ対処できなかったかもしれない。



「僕は負けない」


 愛剣を振り下ろした衝撃と、返して振り上げた衝撃とでその奔流を切り裂いた。

 シフィークの立っている場所以外は吹き飛ぶ。積み上がった瓦礫を砕きながら。


 町中で放てば一撃で一区画を全壊させるほどの威力。

 洞窟の中でなら間違いなく崩落する。

 エトセン騎士団長ボルド・ガドランをして災厄と呼ばせるだけの力。


「殺すって約束したから、さ」


 かつての憎悪や怒りはもうどうでもよかった。

 ただ、友との約束を果たすくらいの道標がなければ、人を超えた自分の力の使い道がわからない。

 マルセナを殺したら、次はどうしようか。以前は何を思って暮らしていたのだったろう。



「殺すよ!」

「天嶮より降れ、零銀なる垂氷」


 ひどく冷たい声が響いた。

 激烈な怒りの感情が、氷のような殺意にすり替わる。


「っ!?」


 空から、鋭い氷の杭が嵐のように降り注いだ。

 その一本一本がまた岩を穿つほどの威力。

 数千の氷の杭。


「こっちが!」


 こんなものを町に降らせれば、瞬く間に千以上の命を奪う。

 小さな村なら一瞬で全滅だ。


「本当の力なのか!」


 伝説の魔物のような力。手のつけようのない。

 そういった脅威から人々を守るから、勇者と呼ばれる。町で暮らす冒険者の中では最高の敬意を表して。



 弾き返す。

 雨霰のように打ち付けるそれらを、一本の剣で打ち砕く。

 一呼吸の間に数十、百。

 襲い来る氷の嵐を斬り払い、マルセナを。



「眩鏡の蒼穹を、貫け白光の氷尖」

「っ!?」


 上から降り注いだかと思えば、下から。

 砕いた氷の粒が、今度は地面から牙を突き立てた。


 大地から獲物を貫く氷の尖塔。

 腹を貫こうとした最初の一本を片手で払い、剣を逆手に持つ。


「はあぁぁぁっ!」


 どんな魔物でも打ち倒す力。勇者シフィークの力で輝く剣。



「消えろ!」


 地面に突き立てた。

 その剣の輝きが、シフィークを貫こうとしていた氷塔の全てを逆に貫く。砕く。

 大地を走った稲妻が、マルセナの放つ氷の魔法を消し飛ばした。



「始樹の底より、穿て灼熔の輝槍」

「ここまでだ!」


 一足に跳びながら赤熱する槍を切り裂き、迫る。



神火しんか炬鉢こばちもえさしより、ひかり指せ孤条の朱赫しゅかく!」

「輝け! トゥルルクス!」


 一際強く剣が輝いた。

 暗い闇を切り裂き、打ち払う光。勇者の剣。


 燃える血のごときマルセナの朱の光条と、黄金色に輝くシフィークの剣。

 ぶつかり合う二つの力。

 他の者が見れば、どちらも神の振るう何かのように映っただろう。



 凄まじい熱量。

 ぶつかり合い、風を巻き起こして。


 熱が、溶かした。

 イリアの頬を覆っていた霜を。



「あ……」


 はらり、と。

 一筋の涙のように。


 同時にマルセナの瞳からも零れた。



 朱い光はそれで途絶え、溢れた力がマルセナのいた場所を瓦礫ごと吹き飛ばして。


「……」



  ※   ※   ※ 



 小さな体を抱き留める。

 死力を尽くし戦った少女の体を。


 母さんが拾ってやりたかったと言っていたもうひとつ。

 憐れな少女。

 呪枷はなかったけれど、妄執に憑りつかれ、縛られていた清廊族。


 勇者の剣。稲妻の力に貫かれたのも母さんと同じ。

 何かを守ろうと、救おうと必死だったことも。



 味方ではない。

 仲間などだとは思わない。この少女は母さんを殺そうと魔法を放った。


 けれど、母さんは許した。

 ルゥナもまた、この少女を許したいと願った。

 妄執に囚われ全てを殺し尽くそうとした少女。マルセナ。


 それはきっと、もう一人の自分。

 あったかもしれない別の形のアヴィ。



「……君が彼女を助ける理由があるのかい?」

「……」


 その質問は、わからない。

 アヴィに理由があるのかと聞かれたら、頼まれたから。

 ルゥナが助けてと願ったから。


「お前が、この子を殺す理由と同じ程度には」


 友との約束だから殺すと言っていた。

 なら、アヴィも同じ。


「そうね……友達に、頼まれたの」


 否定されるいわれはない。



「い、くぁ……」


 勇者の全力の一撃とぶつかり吹き飛ばされたマルセナ。

 かろうじて息はあるものの、このままではすぐに死んでしまう。

 しかし、アヴィには何もしてやる手立てがない。



「……」


 目立つ額の傷に口づけを。

 ほんの少しの癒しと、痛みを紛らわす程度の助けにはなるだろう。

 母さんの仇と思っていたこの魔法使いに、こんなことをする日がくるなんて。




「しんじゅ、そ……」

「……もう、ない」


 母さんを焼いた光の水草。

 この地面のずっと底の方にあったけれど、もうない。

 役目を終えたように、母さんを送った後には光を失っていた。もう存在しないと感じる。



 少女の体を、氷の柩の近くに横たえる。

 傍にいさせてやりたい。せめて。




「君がそうして気遣うのは、彼女が清廊族だからかい?」


 また質問。

 知りたがりな男だ。


 訊ねられてみるとどうだろう。

 彼女が清廊族だから?


 違う。

 アヴィは、そこまで清廊族に親愛を覚えるわけではない。

 そうではなくて、やはり彼女はアヴィの現身うつしみなのだと理解する。



「私と似ているから」


 人と清廊族の合いの子。

 この世界を乱しているのはみんなそう。

 ダァバという慮外者もまた。



「人と清廊族の境……あの呪術師と同じなのは吐き気がするわね」

「彼も清廊族だろうけど、まあ同族だから無条件に好きなわけもないか」


 人間同士だって嫌い合うのだから。

 別に珍しい話でもない。



「あっちはいいのかい? あの男の底もわからなかったけど」

「底は、知れているから」


 この勇者でも測りかねる力を持つダァバ。

 それを誰かに任せて大丈夫なのかと聞かれるが、そうでもない。



「武具に和名をつけたり、レジッサをうなぎと呼んだりしていたもの」

「?」

「わからなくていい」


 底は見えた。

 飛行船のことも、火薬のことも。

 近付いただけで戦士が死んだ。その理由も。


 自分が使う卑劣な手段。

 想像もしていないだろう。さぞ驚くだろう。しっぺ返しのように己に降りかかることを。


 後は――



「メメトハがいるもの。あれは任せる」


 アヴィにはやるべきことがある。

 やらなければならないことが。



「お前を殺す」

「仇討、かな?」

「違うわ」


 白刃を向けた。

 鞘の無い白刃に影のような黒紋が浮かぶ。

 たとえ帰れなくとも、アヴィがこの世界で片付けなければいけない。

 捧げてくれた者たちの為に。



「お前が生きていたら、ルゥナは解放されない」

「……そうだね」


 勇者も剣を構え直した。

 憎しみも恨みも見えぬまま向き合う刃。

 意味は、ただ友の為に。



「君は僕に勝てない」

「そうかもしれない。でも殺すの」


 こうして剣を握って向かい合えば、もう他に道などないのだから。



  ※   ※   ※ 

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