第五幕 30話 汝、貴族たれ



「南西は落ちぬよ」


 確信を持って言うのは、相応の根拠があるのだろう。

 ビムベルクが南西側に目を向けていたので、心配するなと言うように。



「あれは過去の英雄でも崩れなかった壁だ。東とは違う」

「はあ」

「南西は少ない数でも持ちこたえられよう。広すぎる我がエトセンを恨めしく思う日が来るとはな」


 溜息を吐く姿は、落ち込んでいるようでいてどこかさっぱりした風でもある。



 領主エトセン公ワットマ・ロザロ・クルス。

 数日前の夜半に東側城壁で戦闘が始まり、それを聞いて自分が最後のエトセン公になると笑った。

 腹が決まればこういうものか。




 エトセンの町は非常に広い。

 広大な敷地を、高く強固な石材の壁で囲んだ大都市。


 町の端から端まで歩くのに、普通に歩けば半日ほどもかかる。急げばもっと早いにしても。

 当然のように城門の数も多い。反対側まで歩かなければ町を出られないようでは困る。



「初代のエトセン公はこの町を作るのに十年を計画したそうだ」


 昔話を始めたのは、ビムベルクが知らないことだからなのか、感傷だったのか。


「結局、二十年以上かかったということだが」

「んでも、こんだけの城壁を築くとなりゃあ早すぎるんじゃないですかい」

「元々あったらしい」


 原住民である清廊族の町が、ということだろうか。


「十分な量の石材が。白く巨大な岩山があったと」

「へえ」

「当時の英雄、勇者たちがその岩山を切り、人足で積み上げた」



 なるほど。

 エトセン周辺はなだらかな丘陵と平原。

 良質の石材で長大な壁を作ろうとすれば、その材料の調達が一番の苦労になる。ニアミカルム山脈から運ぶとなれば労力が倍では済まない。


 もともとそこにあった巨大な岩山を崩し、町の壁とした。

 そう聞けば納得だが、それにしても壁に使う石材の量がどれほど必要だったのかを考えると、その岩山とやらの想像がつかない。



「南側だけ妙に広い区画があるだろう?」

「気にしたことはなかったんで。まあ言われてみれば」

「岩山の中心部だけ、どうやっても切り崩せなかったそうでな。仕方なく、そこを残して町を広げた」


 計画通りに進まなかったわけだ。


「過去の英雄たちでも破れなかった壁だ。南西の区画は少数でも簡単には落ちんよ」

「そういうもんですかね」

「そういうことにしておけ」


 城壁の強固さはともかく、守る人手の問題もある。

 敵は大軍。とはいえ、別の方角から攻めようとすれば、外にいる敵の方が長く走らねばならない。

 守備側の方が有利だから、今のところは持ちこたえられているが。



「いざ攻められれば、住民たちも黙ってはいないか」

「それもワットマ様の人徳でしょう」


 ビムベルクではなく、戻って来た副団長のサロモンテが答えた。


「住民も冒険者たちも協力してくれています」

「自分たちの家だからであろう?」

「気に食わない領主だったら手伝いはしないもんですよ、冒険者ってのは」


 ビムベルクも肯定しながら苦笑を禁じ得ない。

 冒険者というのは、損得も考えるが好き嫌いの方が優先される種類の人間だ。


 自分に得がなくても、気に入らない相手なら邪魔をしたくなる。

 損なことでも、ちょっとした義侠心で力を貸すこともやぶさかではない。

 馬鹿な連中の吹き溜まりで、ビムベルクもまたそういう種類の人間だった。




「……よくやってくれた。お前たちは」

「……」

「そんな顔をするな。本当に感謝しているのだ」


 望まぬ形で始まってしまった戦いに、ビムベルクはエトセン騎士団団長代行として、サロモンテは副団長として。


「先代団長スバンクに、引退した英雄モデスト老らまで巻き込んでしまった」


 エトセンの町に住んでいた隠居の元騎士団員。

 町の大事として、彼らもまた武器を手に戦っている。


「……」


 ビムベルクはあまり良い印象のない男だった。戦いよりも政治向きの人物という。

 勇者級の実力者でもあるが。



「スバンク前団長はずっと悔んでおられました」


 サロモンテは、ビムベルクに言いたかったのかもしれない。


「いたずらに部下を死なせ、ワットマ様に迷惑をかけたことを」

「……」

「この危急に真っ先に駆け付けて下さったのも、あの方なりの罪滅ぼしだったのでしょう。エトセンを守る騎士として」


 誰にも、ただ一面しかない人間などいない。

 ビムベルクが見ていた先代団長スバンクとて、その反対側には別の顔もあったのだと。



 エトセンの総力を挙げての戦い。

 それも限界が近い。

 というか、さすがに菫獅子騎士団が痺れを切らした。


 この朝は不気味な静けさ。

 態勢を整え、一気に攻勢に出る為の準備であることは疑いようがない。


 田舎の一都市相手に十日もかけて、正騎士団としての威厳にも傷がつく。

 当初はあまり町に被害を広げないようにという配慮もあったのだろうが、予想以上にエトセンの抵抗が強く陥ちない。

 ならば、全面攻勢で片付けようと。



「チューザは……」

「……」


 こうも泥沼化した理由は、それだ。


「彼女が町を抜けていたことを見落としていたのは私の落ち度です」

「こういう中だ。今さら言っても仕方がない。しかしあれは、あまりに……」


 思い出して、歯を食いしばった。

 無惨なチューザの亡骸を。



 最初に敵に仕掛けたのはチューザだった。夜中に、敵陣営で強烈な攻撃魔法を連発した。

 理由はわかっている。反撃の魔法を目にした者から聞けば、それは件の魔女と同じ魔法。


 アン・ボウダを名乗る魔女が敵軍の中にいて、チューザはチャナタの仇としてそれを討とうとしたのだろう。



 大混乱の中で始まった戦闘。

 夜が明け、魔法で一部が崩れた東門の付近に敵が掲げたものは、ぼろぼろにされたチューザの亡骸だった。


 互いに歯止めが利かなくなる。

 エトセン騎士団が攻撃してきたと憤る菫獅子騎士団と、仲間を無惨に凌辱されたエトセンの兵士たち。

 もう一度話し合いをするような空気は、秋の風と共に掻き消えた。



「……すまねえ」

「お前ももうバカな真似はするな。団長代行なのだから」


 サロモンテに叱責を受ける。団長代行なのに。


 言われても仕方がない。

 その亡骸のことを聞いたビムベルクは城壁を飛び降り、そこらの敵兵を薙ぎ倒してチューザを取り戻した。

 菫獅子騎士団の幹部もいて、倒す代わりに手傷も負わされたが。



「仲間をあのように辱められ黙っておられんのもお前らしい。構わんよ、ビムベルク」

「……すんません」

「あんなものが正騎士団など、それこそ国の恥よ」


 もう過ぎたことだと、ワットマはビムベルクの行動の正当性だけを認めて頷く。


「お前こそエトセンの騎士。我が誇りだ」


 そんなに大層なものではない。ただかっとなって、後先考えずに飛び出しただけ。

 サロモンテの言う通り、団長代行としては失格だ。

 しかし、あそこで黙って見ているようでは己を許せない。



 ビムベルクではなくとも、他の誰かが手を出しただろう。

 石を投げたか矢を放ったか。

 チューザの死を辱める連中を皆が許せたとは思わない。


「最後まで、エトセンの誇りを見せてやろう」

「ああ、任せてくれ」


 ワットマも戦装束。ビムベルクも完全装備。

 エトセン騎士団最後の戦いに向け、心構えと共に準備は済んだ。




「どこかに逃れるって考えは……」

「エトセン以外に私の死に場所はない」


 ワットマは主だ。仕える身とすれば、主の命を守りたい気持ちもある。

 そう思えるだけの領主だった。


「今さらどこに存えようと父祖にも住民にも会わせる顔がない。エトセンのワットマ・ロザロ・クルスとしての生き様を全うしよう」

「……付き合います」

「お前のことを責めているわけではない。気にするな、ビムベルク」


 隠し事がうまい性分ではない。

 ワットマはビムベルクのことなど見通している。



「己の譲れぬものの為に戦う。ラドバーグ候に吠え面を掻かせてやるぞ」


 ルラバダールの貴族はその務めとして戦いに臨む。

 その姿は冒険者とは違っていて、凛とした矜持はビムベルクにはない強さに思えた。


「エトセンの騎士の姿、奴らに刻んでやりましょう」


 人を率いる者というのはやはり違うのだなと、こんな時になって思い知る。



 英雄として、人類最強の戦士として。

 ビムベルクより上はいない。同格の敵はいたが、明確にビムベルクを超えるような相手はいなかった。


 だからこそ、自分より頼りがいのある存在には安堵する。

 力だけではない。人柄の大きさ、強さ。

 ボルド・ガドラン然り、ワットマ・ロザロ・クルスもまた。


 英雄だなんだと担がれていたのに、自身の幼さをこうして実感させられて。

 それがなんだか悪くない気がするのだ。



 いつまでたってもビムベルクの本質は悪ガキなのか。

 自分より長く生きる清廊族の娘に甘えたのも、きっと同じような。



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