第五幕 31話 義を欠く正道



「いいですか、お嬢様」


 直情的な幼い主にこれを言うのは何度目になるだろうか。


「これは私たちには無関係な争いです。手を出す必要はありません」


 隠れているように言われた。

 町の宿で、ただの民間人として。



「わぁかってるって、るっせえな」


 まるでわかっていないことだけは伝わる返事だ。



 エトセンと、ルラバダール王国正騎士団との戦い。

 ミルガーハ家には全く関係ない。

 一時的にでもエトセン騎士団の英雄ビムベルクと交流を持ってしまったのは間違いだったか。


 まさかこんな事態になるとは思わなかった。

 なるはずがない。内戦など。



 エトセン公はカナンラダの異変の為に本国に増援を頼んだと言う話だったから、正騎士団が派遣されたこと自体はわからないでもない。

 時間の計算が合わないとしても。


 本国からの戦力派遣と、被害を受けたレカンの町の復旧。

 その為に相当な金が必要で、資金繰りの為にミルガーハ家に話が来た。

 まさか援軍と戦闘になるなど。



 想定外の事態。

 思えば年明けからずっとそうだった。いや、ニアミカルム山脈から魔物が溢れ出た昨年秋から考えると丸一年。

 異常事態が続いた末にこの状況。


 ミルガーハ家が本拠を置くネードラハは山脈から遠い。

 影陋族とイスフィロセとの戦いも、コクスウェル連合の滅亡も。

 どの異変にしろ、自分たちには直接関係ないことだと思っていたのに。


 関わるとしても商売として。

 表舞台に立つわけもなく、ただ裏で利得を計算して立ち回るはずがなぜ。


 やはりハルマニーの補佐となったのは貧乏くじだったと、イオエル・ユーガルテは己の不運を恨めしく思う。



「敵と言っても菫獅子騎士団はルラバダール王国軍です。町の住民に無体なことはしないでしょう」

「アタシらは別にこの町の人間じゃねえけどな」

「そんなの向こうにはわかりません。ですが、ミルガーハの人間と知られたら面倒かもしれません」


 最初から勝ち目などない。

 菫獅子騎士団の総戦力はエトセン騎士団の五倍。

 海を渡ったのはその半数程度のようだが、エトセン騎士団は先にトゴールトの戦いで被害を受け、団長のボルド・ガドランも不在。


 防衛戦だから持ちこたえられているが、相手が被害を嫌って本気で攻めてきていないからという理由もある。

 いい加減、ある程度の被害を覚悟して攻勢に出るだろう。

 そうなれば防ぎきれない。


 エトセンは陥落する。

 混乱に乗じてここを出た方がいい。ネードラハに戻る。

 あちらも影陋族の襲撃を受けたと言うのだから、どういう状況なのか把握する為にも帰らなければ。



「そうは言ってもこの状況で町を出るのを見つかれば、密偵や関係者を疑われて取り調べを受けるかもしれません」

「はっ、アタシを捕まえるって?」

「並大抵の兵士なら振り切ってしまえばいいでしょうが、相手がそれなりの強者だったら……」

「おもしれえ、ぶっ潰す」

「それをやめなさいって話ですよ」



 正騎士団ともなれば、部隊長や幹部には勇者、英雄級の猛者が揃っているだろう。

 一対一というわけでもない。


「師匠も水臭ぇよ。アタシだって師匠に頼まれれば一緒に戦うのにさ」

「だからぁ、それをしたら駄目って話をしているんです」


 ビムベルクの方が分別があったというか、まあ他国の小娘の扱いとすれば当然だ。

 無関係なお前らは隙を見て出ていけと。



「面倒なことになりそうだったら、何を差し置いても逃げる。いいですか?」

「あー」

「お嬢様に何かあれば私がお館様に殺されます。それに、ゾーイ様も心配されているでしょう」

「わかった、わかったって」


 ハルマニーに言うことを聞かせられそうな名前を挙げて言い含めた。


「アタシだってバカじゃねえ。さすがに軍隊相手に喧嘩なんかしねえって」

「……」


 求めた答えのはずだが、まるで不安が拭えない。

 やれやれ、と肩を落として宿の外の様子を窺う。



 町は静まり返っている。

 息を潜めて。


 この辺りに軍関係の建物はない。行政府と合わせてもっと中央側に集中している。

 町を守ると息巻いた連中は、城壁側か主要拠点にいるだろう。

 騒がしいそちらとは違う。


 外の連中が町に入っても、こんな宿や民家をいちいちあらためることはないだろう。

 まず行政府、軍拠点を制圧に向かうはず。

 混乱の中、町を逃げ出す住民も出てくる。それらに紛れて町を出てしまいたい。




 この仕事が終わったら。

 イオエルは思った。


 ミルガーハの家を出よう。

 ニキアスやスピロに頼んで勤めを辞める。絶対に。


 イオエルは冒険者上位程度の力はあるし、礼儀作法や教養もある。他にいくらでも生きていく道は選べる。


 ハルマニーに付き合っていては命がいくらあっても足りない。

 こんな危難は生まれて初めてだが、これが最後だとは思えない。きっとまた似たような目に遭う。



 もうごめんだ。

 自分はあくまで商家の使用人のはず。商売的な生き死にはともかく、現実の命の取り合いなど性分ではない。

 ハルマニーやビムベルクのように戦いに悦びを見出す変人とは違うのだ。


 世の中の多くの人間はそうだろう。

 命を危険に晒すような仕事をしたいわけがない。

 兵士だって死にたくない。だから脱走兵が出るわけで。


 誇りだとかの為に戦う騎士や、戦いを楽しむハルマニーなどの方がイカれている。

 町に住む者なら、住み慣れた町と己の家を守る為という納得できる理由があるにしても。


 イオエルがハルマニーの為に命を張る理由はない。

 あるとすれば、無事に帰さなければ殺されるから。

 不毛な話だ。



「……嫌な日だ」


 東から差す太陽が西に影を伸ばす。

 ここからは見えないが、城壁の西にはきっと陣容を整えた菫獅子騎士団の旗がはためいているのだろう。


「そうかぁ?」


 イオエルのぼやきを耳にしたハルマニーは何も考えていないようで。

 下手な考えを起こされるよりマシとも言えるけれど。


 東西に布陣する菫獅子騎士団と、その先兵となっている冒険者等の傭兵。

 騎士団はともかく、冒険者どもに規律など期待は出来ない。

 略奪はあるだろうし、暴行も。


 間違ってハルマニーに手を出したりしないでほしい。色気もない小娘なのだから。

 腹の底が痛くなる。



「……変な騒ぎにならなければいいんですけどね」


 口にしてみて、絶望的な願望だと実感した。



  ※   ※   ※ 



「結局、見つからなかったか」

「引き続き捜索せよ」


 落胆する参謀長クィンテーロと、顎で指示を出すラドバーグ候ニコディオ。


「あれほどの魔法使い、そうそういるものではあるまい」

「傭兵どもに聞いても誰も知らぬと。おかしな話です」


 開戦のきっかけになったチューザの襲撃。それを退けた同格以上の魔法使い。


 女だったらしいというだけで、他の情報がない。

 闇に包まれたようにその存在が浮かび上がらない。



「何も咎めようというのではない。条件によってはこちらで召し抱えると言うのに」

「馬鹿ではないということであろう」


 名乗り出てこないのを見れば、仕官を望んでいないことはわかる。


 条件によっては召し抱える。

 だが思い通りにならないのであれば。

 正体不明の英雄級の魔法使いなど、野に放っておけるものではない。


 手駒にならないのなら殺すか、そうでなくとも喉を潰し声を奪うか。

 いつこちらに牙を剥くとも限らないのだから。



「例の、気配を隠す呪術ではないのだな?」

「あらぬ、あらぬ」


 ラドバーグの後ろに控えるローブの男が答えた。


 長身で細身。ひょろりとした体型で、頭からくるぶしまで薄紫のローブで身を包んでいる。



「まともに効果が及ぶのはせいぜい二日。儂でもそれより一日が限度」


 背丈はニコディオより頭半分高く、主に対してへりくだる様子もない。


「十日にもなれば、呪術薬の効果などないに等しい」

「雨が降ればよかったのですが、あいにくこの辺りは雨が少ないそうで。沿岸や山近くとは違って」



 呪術により姿を隠しているのではないかと疑ったのだが。


 傭兵や騎士たちにも見張らせている。

 薬で顔を隠す様子がある者がいないか。見つければ報償も出すと。

 ここまでに報告はなかった。



「常ならぬ呪術とならば、流郭のダァバであらば為すやもしれぬ」

「イスフィロセにいるとか……噂ですな。弟子の系統か、ただの騙りか」


「二百年を生きる伝説の呪術師か。ふん」


 ロッザロンドの呪術師界隈では高名な者らしい。

 実在したのは知られている。やや荒唐無稽な内容を含んだ奇書を書いたのがダァバだとか。

 ロッザロンドに伝わる古い伝説や、当時まだ知られていなかったこのカナンラダのことと思われる記述も。


 正体不明の呪術師。流郭のダァバ。

 その弟子を名乗る偽物の話も珍しくない。その全てが呪術すら使えない詐欺師だったとも。


 ダァバに限らず呪術師というのは奇妙な連中で、権力者にも頭を下げず、嘘偽りは言わない。

 聞いてもまともな回答になっていない時もあるが、そもそも話し方も聞き取りにくいことも多い。

 ただ女神にのみ従うと言う。



「まあよい。エトセンの反逆者どもを片付けてからでもなろう」

「はっ」


 気になる相手だが、今のところは敵対しているわけでもない。


「正体不明の魔法使いに呪術師か」


 構わないと言ったニコディオだったが、話に上がったどちらも得体の知れぬ存在と呟き再び鼻で笑った。


「こそこそと何を企むにしろ、全て打ち破るまでよ」



 菫色の外套をたなびかせ、腰の大剣を抜き掲げた。


「まずは身の程知らずの反逆者、エトセンの田舎者どもを」


 ニコディオの剣に合わせて、居並ぶ騎士たちが姿勢を正した。


「ルラバダール最強の牙、菫の獅子!」

「はっ!」

「王国の敵を討つ! 進めぃ!」

「おおぉ‼」


 ニコディオの号を受け、整然とエトセンの白い城壁に進む騎士たち。

 その先を、乱れた隊列で行く傭兵ども。

 反逆者として最期を迎えるエトセン。証拠が必要なら後でいくらでも用意できる。



「裏切者はどこか。誰も裏切ってなどおらぬ」


 誰ともなく言葉にする長身の呪術師の言葉は、いつもと変わらぬ正直さと無礼さを揃えた発言で。

 ニコディオの口元に苦い笑いが浮かび、クィンテーロもまた無音で笑った。



  ※   ※   ※ 

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