第四幕 091話 王都焼亡



 焼け崩れる王城。

 眼下に広がる亡国の光景。

 目にするのは二度目か。


 災厄は振り撒かれた。

 築かれた栄華が、そこに至るまでの時間と金と血に見合わぬ呆気なさで崩れ去る。


 壊すことは築くことより容易い。

 後のことを考えなければ、ただ壊すだけでいい。むしろ今は、次を作ることが困難な混乱をもたらす方がいい。



 頭上の黒い船団から降り注ぐ無慈悲な暴虐はもうない。

 必要であればまだ放つだろうが、目的の半分は果たした。


 惨劇、惨状。

 戦争と呼ぶことのできない非道な光景。

 怨嗟と嘆きの声ばかりが、異様に鋭くなった聴覚に届く。




 パッシオも、一年前はそこにいた。

 場所は違うが、今見下ろすものと同じ悪夢の地べたから空を見上げていた。


 自分も嘆いていただろうか。

 声は上げなかったと思う。ただ何も成せぬ己の無力さに打ちのめされていただけ。

 空から続けざまに降り注いだ爆発の衝撃に打たれ、まともに動けなかったということもある。



 故郷コクスウェル連合の戦士として、祖国を守れなかった。

 そんなことを思ったのではない。


 見返してやりたかった。いつか復讐を成し遂げようと。

 復讐を成すどころか、その相手に認識すらされぬまま朽ち果てる己の無意味さに、ただ空虚な気持ちを感じて空を見上げた。

 強い爆発をする球を降り注ぐ黒い船が、ゆっくりと空を進んでいくのを。


 パッシオには父がいない。

 生物的にというのではなく、社会的な意味で。


 父は軍の有力な高官で、小さな貴族の妾腹だった母はその男の欲望の捌け口になっただけ。

 養ってやるとか、そんな口約束を信じて。

 パッシオが生まれる前に男はカナンラダ大陸に行き、それきり音沙汰はなかったと母に近い者から聞かされた。


 母は愚かで、父が約束を守ると信じていた。

 生まれた子に、父親にちなんだ名前を付ける程度には。

 傷物の娘ということで家での母の扱いは端女以下となり、パッシオは下男として育った。



 それでも血は争えない。

 コクスウェル軍の有力な将軍だった父に似たのだろう。パッシオは武芸で相応の才覚を見せ、軍に入ることになる。


 公には父と呼べぬその男は、コクスウェル連合トゴールトの守将パシレオス将軍と言った。



 父への復讐の為に軍に入った。

 本国で上り詰め、母を捨てパッシオに苦しみの日々を強いた男にいつか復讐しようと。


 復讐を成すどころか、そこに取り掛かることも出来ず。

 当のパシレオス将軍は、パッシオが生まれたことすら知らないかもしれない。そんなままに死ぬのかと。




「面白そうだね、君は」

「……」


 地面に転がっていたパッシオに、神が声をくれた。


「呪術の才はない。けれど」


 そう言って、血のように赤い環を翳す。

 ちょうど黒い空飛ぶ船が通り過ぎて、環を通して空が覗いた。


「僕の実験には良さそうだ。頷くのなら、力をあげるよ」

「……」


 復讐を成す力を。



 選ばない理由もなく、死ぬ理由もなかった。

 力を得てから、復讐の相手もなくなっていたことを知ったけれど。

 それとは別に生きる理由が出来た。


 どうしようもないこの世界を、主なら壊してくれる。

 復讐も出来ず、復讐する相手さえパッシオの手から遠ざけてしまうこんな世界に意味などない。


 無意味な世界なら不要だ。

 消し去ろう。主ならば今よりもマシな世界を築いてくれるかもしれない。

 どんな世界でもいい。今よりはいい。




 パッシオの主ダァバは船を嫌った。

 というか海を嫌うらしい。波に揺らされると悪夢を見るようなことを口にしていたこともある。


 ――水の上を浮かんで進むなんて気持ちが悪い。


 その為に飛行船を作ったのだと。



 膨大な労力と資金が必要で、さすがの主も個人でそれだけのものを用意できない。

 だから国と協力関係を結んだのだと。イスフィロセに技術を提供して、主の目的を果たす手とする。


 コクスウェル連合を滅ぼしたのは飛行船の実戦試験の為に。

 そこでパッシオは拾われ、ダァバの下僕となった。

 感謝している。人間社会を壊す力を与えてもらい、主の一助となれることを。




 主が負傷することなど思いもしなかった。

 慌てて主を庇い、その場を逃れた。人間ではない影陋族には強大な魔物のような存在がいるのかもしれない。


 怒り狂うかとも思ったが、ダァバは冷静だった。

 女神の遺物を失い、このままでは支配する予定だった湖の魔物を落とせない。

 即座にロッザロンド大陸に戻ると判断し、パッシオの翼で海を渡った。船は嫌うのだ。



 船を嫌う理由については、この時に理解した。

 湖の魔物レジッサに対しての苦手意識がある。主は認めないかもしれないが。


 飛行船までレジッサの魔法が届いた時、不自然なほどの慎重さで引き下がった。

 最初から湖の魔物のことを知っていたのは、過去に対峙したことがあるから。

 それを支配し、使役しようと。


 強大な相手だと認めていたのだろう。湖のそれが海にまで進出できるのか知らないが、底の見えぬ水には恐怖を覚えるのだと思う。


 パッシオとて、怪我をした身でダァバを抱えて海を越えるのは決して楽なことではない。

 翼でも十日近くかかる。港で水や食料を用立て、途中の小島で休憩を挟みながらなんとかロッザロンドまで辿り着いた。



 それからの、この惨状。

 焼け崩れる王城。

 その一角にダァバの姿がある。


 探し物があるのだと。

 必要になったから取りに来た。そんなことを言えるダァバは、やはり神のごとき力を持っている。

 ルラバダール王国の栄光の証である王都を焼き尽くしておきながら、ただ探し物の為と。




 イスフィロセは大国ではない。

 しかし飛行船と爆薬という手段を得た今、他国に対して大きな優位を築いたことになる。


 幼さもあったのだろう。

 力を得たことで、長年目障りだったコクスウェル連合を滅ぼした。


 勝利に浮かれた後に気が付いた。このままではまずいと。

 ルラバダール、アトレ・ケノスがイスフィロセの脅威を放置するとは思えない。


 二大国が態勢を整える前に先手を打たねば。

 やはり軍事力に浮かれ、幼かった。実際他に道がなかったのかもしれない。


 イスフィロセは大国の主要拠点への攻撃準備を急いでいて、そこにダァバが戻った。


 ――やるなら頭だよ。ルラバダール王都を焼き尽くそう。


 飛行船という敵の手が届かない移動手段があるのだから、場所はさほど問題ではない。王都を徹底的に叩けばルラバダールも混乱する。


 ダァバの進言でイスフィロセの目標は決まった。

 やるならすぐに。

 迅速果断は戦にとって重要な要素。


 だが、それにしても。

 数百年の歴史を誇るルラバダール王国首都にしては、脆い。


 パッシオが心配しすぎなのか。

 王城の盾、禊萩守騎士団はこんなものなのか。大英雄と呼ばれるアルビスタ大公なら、天を貫く勢いで投擲槍でも投げそうなものだが。


 思ったほど堅牢ではなかった。

 長年の平和、栄華に緩んでいただけと考えれば、それも人間らしい。




「……あれは、強い」


 ダァバの前に立つ壮年の男。

 年齢ならパッシオの父親に近いのかもしれない。生きていれば。


 だらりと片腕が垂れ下がっているのは、王城中心に集中して落とした爆撃の為だったのだろう。

 いかに英雄とて上級の爆炎魔法を百も続けて放たれたのなら完全に防ぎきることなど出来ない。そういう威力の攻撃だった。


 これがただ戦場であれば、途中で爆発の範囲から逃れれば良かっただろう。

 しかしここは王城。その男にとっては己の誇りと魂の在り処。

 逃げることなど考えられない。殺しきるつもりで放った攻撃に耐えきったことを賞賛すべきかもしれない。



「……愚かな」


 かなり離れていてもパッシオには聞き取れる。


「これでは何も残らぬぞ」


 勝利しても何も手に出来ない。

 無思慮で無意味な蛮行だと。



「……流郭のダァバ、か」

「残るのさ」


 主の声音は楽し気だ。その片腕もまた、敵と同じくだらりと垂れている。カナンラダ大陸で受けた傷のままに。


「混乱と混沌と、怨嗟と悲嘆」

「それで満足だと? 気狂いの呪術師め」

「イスフィロセにこの国を支配する力はない。なら混乱して分裂でもしてくれる方が彼らには有利だろうね」


 後先を考えないような先の発言とは別に、所属する勢力にとっての利害を言葉にする。



「君らの戦力はイスフィロセには脅威なんだよ。それだけのことさ」

「ただそれだけの為に、我が王都を……」


 この戦は、イスフィロセの勢力拡大を狙ったものではない。

 最大の敵対勢力であるルラバダール王国の中枢を破壊し、王国を混乱に陥れる為の一手。

 飛行船という他にない手段があったから出来た強襲作戦だが、イスフィロセにとっては時間稼ぎに過ぎない。



「もちろん、それだけじゃあないさ」


 ダァバが無事な方の手を差しだした。


「何も残らない、なんて嘘はもういいんだ」


 求めるように手の平を。



「何を言っている」

「千年級の……伝説の魔物を倒して、何も残らなかった? そんなはずないじゃないか」


 パッシオは目を光らせる。

 主ダァバに危険が迫らないかと、空の上から。

 会話を楽しみ、相手の反応を見定める主の代わりに主の安全を守るのがパッシオの役目。


「……」

「そう言い伝えた方が都合が良かったんだろう。君ら代々の英雄王にとって」

「……貴様、何者だ?」


 英雄王と呼ばれた男が、無事な方の片腕で巨大な剣を構える。



「眉唾な噂に過ぎぬはずの、あのような……」

「やっぱり、あるんだね」


 ダァバに迫る他の人影はない。

 ならば、パッシオの次の役割は決まっている。


「姉神の残した最も深い魔物・・・・・・、その遺物」

「……」

「君の心臓あたりかな。宝物庫でないのなら」


 主の探し物がそこにあるのなら、パッシオの目標も定まる。


「……痴れ者が」

「ははっ」


 ダァバの笑い声が、炎上する王城を涼やかに抜けた。



「返してもらうよ。それは僕のだ」


 亡国の王と神が刃を交えた次の瞬間、その背中からパッシオの爪が王の心臓を抉り抜いた。



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