第四幕 075話 嵐の中で燻って



 吹き荒ぶ風と雨。

 夏の終わりから秋にかけて沿岸部で嵐は珍しくはない。毎年恒例なのだと。


 海上で発生した嵐が港を襲い、勢いを弱めながらも内陸まで進む。

 収穫前の果実や穀物が暴風に晒され、失われて。自然の猛威には何が出来るわけでもない。

 ただ激しくなるなかれと祈るだけ。


 そんな中でも空を行く。

 一年前なら無理だった。

 強すぎる風雨は空を飛ぶ生き物にとって苦難でしかない。



 強くなった。

 ユキリンは強くなった。雪鱗舞は戦いを得意とする魔物ではないけれど、飛ぶ速度も強風に負けない強さも以前とは比べ物にならない。


 騎乗する己はどうか。問いかける。


 冷静に判断して、やはり強くなっている。

 一年前よりも格段に。

 アヴィの恩寵を受けて、多くの人間の命を食らった。数えきれないほど。


 ウヤルカは強い。

 強くなってみて思う。足りないと。



 自分がアヴィのように強ければ。

 たとえば、敵陣の真っ只中に単騎で飛び込み、人間どもを狂乱の渦に叩き込めるかもしれない。

 そういう作戦が取れたらルゥナも楽だろう。


 覚悟は一丁前でも、力が半端だ。

 死地を怖れないと言っても、ウヤルカがただ死んで戦況を変えられないのでは無意味。

 命を張り、それが皆を助けられるのなら。


 死んだユウラの代わりになれないとニーレを責めたこともあったが、結局は自分の不甲斐なさに憤っているだけだ。

 ウヤルカの力が不足で、半端で。

 偵察や連絡という役割が何より重要だとルゥナの言い分もわかるが、ウヤルカの性分とどうしても合わない。



「ウチは……情けないのう」


 例えばユキリンとラッケルタでは求められる役割が違うように、ウヤルカだって役割が違う。


 オルガーラのように先頭に立って敵の攻撃を防ぎ、押し返す。

 ああいう役割がウヤルカの理想で、けれどウヤルカの力はオルガーラに劣り、ユキリンという相棒がいる為に別の重要な任務を請け負う。

 認めるべきことが飲み下せない。



「情けないんじゃ」


 もっとやれるはず。怠けているんじゃないかと己の非力さを認められない。

 悔しい。


 ユキリンとの絆がなければ、ウヤルカの戦場は違っていたのだろうか。

 それではユキリンを邪魔者にしているようだ。

 己の無能を棚に上げて、救えない愚物の思考に囚われそうになる。



「すまんなぁ、ユキリン」

「Qui」


 嵐の中を飛ぶ相棒の喉が高い音を鳴らした。元気出せと言うように。


 幼い頃から共に育った家族だ。

 他の家族は母親だけだった。父は知らないが、それ自体は清廊族では珍しいことでもない。



 母は、頼もしい戦士だった。

 幼い頃のウヤルカは、村のどの男にも負けない母を誇りに思い、自分もそうありたいと願った。


 その母が、大して強くもない男と夫婦になると言いだして。

 裏切られた気がして、反発して、縁を切った。

 後から自分の幼稚さを悔いたものだが、威勢よく啖呵を切ってしまった手前歩み寄れない。


 母は男と共に別の村に住み、会う機会もなかった。作ろうとも思わなかった。

 今は、少しはわかる。


 相手が男とか女とか関係なく、やはり生きていくのに少しばかり寄り添う手掛かりが欲しくなる。

 母とて木石ではなく生きている誰かで、そんな母の当たり前の弱さを理解できなかった己の幼さ。


 ウヤルカの力は強くなったが、幼稚さは今も大して変わらない。

 母のせいでもない。ユキリンのせいでもない自分自身の壁なのに。認められず愚痴が漏れそうになる。

 そんないじけた自分が大嫌いだ。



「もっとつようなりゃええんじゃ」


 気持ちを切り替える。切り替えようと言葉にした。


 アヴィの恩寵のおかげで、今のウヤルカにならいずれ届く。

 確かに自分の力が増していく実感があり、このままいけばアヴィやオルガーラにも追いつく日がくるだろうと。


 今ではない。

 今、ないものをねだって愚痴を言っているようでは進めない。

 ウヤルカに与えられた役割を確実に務める。それも誇り高い戦士の在り方だ。




「それにしても、ほんにひどい嵐じゃ」


 吹き付ける雨粒のせいで周囲がよく見えない。

 まだ夕方のはずだが、空はほとんど真っ暗だ。だからこそ偵察に飛んでいるわけで。


 ヘズの町は落とした。

 逃げた人間どもはこの先の港町に向かった。

 備えているはず。


 敵の備えを確認したいが、この港町にはいるのだと。

 飛竜を従えた戦士が。



 溜腑峠で出会った飛竜騎士。

 俊敏さではユキリンの方が上だが、飛行速度や力強さでは飛竜が上になる。

 迂闊に近寄ることは出来ない。


 町に近付いてくると、嵐に見舞われた。

 ルゥナは渋ったが、今なら敵に気取られずに偵察が出来る。

 ウヤルカの提案はやや強引だったかもしれない。少しでも皆の助けになりたいと焦りがなかったとはいえない。



 ウヤルカとユキリンの身を風雨が叩く。

 清廊族は寒さに強い。

 そうでなくてもまだ夏と秋の間。そう寒いこともないかと思っていたが、嵐の中では少し肌寒く感じる。


 二股に分かれた光の筋が走り、続けて天の咆哮が響いた。

 あまり高い位置を飛ぶべきではない。

 地上の様子も見えにくく、これでは偵察の役割も十分に果たせない。


 高度を下げた。

 再び稲光が。今度は少し遠かったらしく音が遅れて届く。


 地上に人間の姿はない。

 こんな嵐の中、いつ来るともわからぬ敵を集団で待ち構えることもないか。

 並の者なら風雨に晒されるだけで体力を失う。



 この辺りの地形に詳しい清廊族はいない。

 人間に支配されてからの期間が長すぎて知る者がいなかった。


 馬鹿正直に街道沿いに攻めていくわけにもいかない。

 敵の戦力がわからず、こちらの戦力は限られている。

 数で劣ることだけは間違いない。


 待ち伏せされそうな場所はないか。

 利用できそうな地形はないか。

 攻め寄せたところで退路を断たれ消耗戦になってしまったら困る。

 少なくとも今のところ、大軍が近くに配備されている様子は感じられないが。



 三度、雷光。

 僥倖だったと。天の助けだったかもしれない。


 暴風の中、その風を裂きまさに稲妻のように迫る影を見た。



「ユキリン!」

「PiA!」


 押し流す風の力も利用して位置をずらした。

 一直線だった影が、ウヤルカの動きに合わせて角度を変える。

 雷より速いはずはないが、迫る槍の先端はそれに近い。そう感じるほど。



「ぬぁ!」


 雷を切る。

 もう一度やれと言われて出来るとは思わない。ユキリンの位置取りと運よく先に気付いたからうまくいっただけ。


 ウヤルカの体を貫こうとした金色の槍斧を、鉤薙刀が叩いた。

 だが勢いも向きもほとんど変わらない。

 躱せたのは、それを軸にウヤルカ達が大きく弾かれたからだ。


 重量と速さと力強さ。

 溜腑峠で戦った飛竜騎士の大将に匹敵するほど。



「ぐぅっ!」

「仕留められんか」


 すれ違いざまに淡々とした声を残し、次の瞬間には風と共に遥か遠くに飛び去って行く。

 槍と同じく、黒地に金の縁取りをした兜の男。

 間違いない。噂に聞いたネードラハの飛竜騎士モズ・モッドザクス。



 高度を下げていて良かった。

 あまりの勢いにユキリンから離され、暴風の中地面に落ちる。


 あまり草木の多くない大地。この辺りは元々海水に浸かりやすかったのか、或いはもっと昔は海の底だったのかもしれない。

 おそらく晴れた日に見れば渇いた印象の大地。

 今は嵐の為に、やけに黒く見える。



「……ちぃ」


 幸いなことは、飛竜騎士は自身の勢いが強すぎて即座に旋回できないところだ。

 ユキリンは――



「逃げえユキリン!」


 ウヤルカと合流しようと近付こうとしたユキリンに向けて叫ぶ。

 同時に跳びかかった。


「敵じゃ!」

「モッドザクス並に目が良いのですわね」


 確かにウヤルカの目は悪くはない。

 だがそれだけのことではない。このふざけた敵は。


 嵐の中で、大きく膨らんだスカートをひらひらと翻してユキリンに向けて動いたのだ。

 暗がりでも清廊族は見えるし、敵の影が大きかった。



「小娘がそんな恰好で!」


 どうなっているのか、風の影響をほとんど受けず、雨も弾いているような。

 この嵐の中を踊るような足取り。


 とにかく何にしろ敵には違いない。

 ウヤルカの鉤薙刀がその頭上に叩き落とされる。



「彼が動いたので追ってみましたけれど」


 鈴を転がすような声。


「綺麗な魔物と、面白そうな相手ですわね」

「っ!」


 受け止められた。

 片手に持った、小さな棒……少し長い箸のようなもので。


 ウヤルカの全力を受け止めておきながら、押し込まれたのはわずかなもの。

 何を叩いたのか。手に伝わってくるのはまるで巨大な鉄塊でも殴りつけたような感触。重さ、硬さ。



「それなりにお強いのですね、あなた」


 子供の技を褒めるかのような感想を漏らした。


 そして反対の手に、同じような棒がもう一つ。

 くるりと回す。



「ユキリン、逃げるんじゃ!」


「原初の海より来たれ始まりの劫炎」


 涼やかなその声は妙に耳にはっきりと届いた。

 激しい嵐さえ吹き飛ばすような爆炎が、ウヤルカを助けようとしていたユキリンを飲み込み――



  ※   ※   ※ 


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