第四幕 063話 老婆の怖れ



「うぇっうぇっうぇ、ひぃ様のお好きになさるがええ」

「言われなくてもそうするわ」


 はみ出し者と母は言う。

 突出した力を持つ勇者英雄を指してだけれど。

 異様な力を持つ者も、またはみ出し者だろう。


 ハルマニーは苦手にしているのだが、リュドミラはそうでもない。

 ミルガーハの家に長く務める呪術師ジルダ。

 影陋族を扱うことの多いミルガーハは多くの呪術師と関りがある。まあ多いと言っても呪術師の数自体は少ないのだが。



 ジルダはリュドミラが生まれた時から家にいた。

 幼い頃から老婆だったし、もちろん今も老婆だ。皺が増えたのかよくわからない。

 父が幼い頃から老婆だったというのが本当かどうかは知らない。


 とにかく、長く務めている呪術師だ。

 何人か、呪術の才能のある子を育てて、呪い士として独り立ちもさせていた。



 高い貢献度の割に大した対価を求めるわけでもない。

 衣食住の他には、使い道は知らないが割と高額な器具を買い求めさせて、それを使った呪術の薬なども結局はミルガーハの商売に役立つ。


 娯楽的なもので言えば時折若い男を嬲るくらいか。

 影陋族の時もあれば、人間の男の時もある。どちらにせよリュドミラから見れば安いものだ。



 ジルダに限らず、呪術師は呪術を扱うことが何よりの愉しみのようだ。

 だから呪術を存分に使える環境を喜ぶ。

 リュドミラが自分の力を思うさま使いたいと思う気持ちと同じなのか。


「いつまで経ってもジルダはジルダなのね」


 同好の士というか、この呪術師の前ではリュドミラも気取らない。


「ひぃ様ひぃ様って。いつも子供扱いですわ」

「ババの目は悪うございましてな。ひぃ様の尻にまだ殻が見えますのじゃ。うぇっうぇ」

「もう」


 あるはずもないのに、産まれたばかりの雛鳥のような扱い。

 リュドミラが小さな影陋族シペーとテクを求めたのも、ジルダの影響があったかもしれない。


 せっかく我が侭を言える立場なのだから、好きなだけ楽しく生きようと。

 影陋族なら法に触れるわけでもない。

 もしこれに飽きたら、次は人間で遊ぶのもいい。それすら咎められる者はいないだろうし。



「ジルダは逃げようとか思わないのかしら?」


 町には噂が広がり、ロッザロンド大陸への渡航を手配している者もいる。

 平和だとばかり思っていたこのカナンラダ大陸で、イスフィロセの町が滅びたなどと聞けばただ事ではない。


 裕福な者の中には逃げ出そうと考える者がいても不思議はない。

 貧しい者は、どちらにせよ今の暮らしが守られることを祈るだけだが。


「おお、まさにそう思うたところですじゃな。うぇへっ」


 ひときわ楽しそうに息を吐く。


「我が師ダァバが現れたとか。そして逃げ去ったなどと聞けば。なんとなんと恐ろしい。うぇえっうぇ」



 ダァバ。

 噂には聞いたことがある。

 ロッザロンド大陸で百年以上前に名を馳せた伝説の呪術師だ。


「ジルダはダァバの弟子だったの?」

「ババがひぃ様のように幼い頃でございますよ」


 当然ジルダにも若い頃はあったのだろうが、想像がつかない。少なくともリュドミラのように色鮮やかな頃があったとは考えられない。


 何にしても時代がおかしい気がするけれど。

 噂では、ダァバは代替わりしているのではないかという話もあった。

 二代目、三代目のダァバがジルダの師なのかもしれない。



「伝説の呪術師……流郭るかくのダァバ、でしたわね」


 そんな呼び名だった。どういう意味か知らない。


 様々な新しい技術や奇妙な理論を話したとか。

 新大陸進出にも関わったと言われるが、ダァバ自身がこのカナンラダ大陸に渡ったという話は聞いたことがなかった。



「イスフィロセから逃げてきた兵士の話ですじゃ」


 戦いに敗れた他国の兵士だが、よほど恐ろしかったのだろう。

 とにかく南にと逃げて、南の港町ネードラハまで辿り着いた者もいくらか。


「空飛ぶ船から爆炎の魔法を放つダァバ。船を失い、下僕の魔物と共にロッザロンドへと去ったと」

「それって」


 リュドミラの耳にも入っている情報もある。


「コクスウェル連合を滅ぼしたっていう、イスフィロセの空飛ぶ船?」

「ババも知りませぬ」



 様々な筋から、昨年のうちにコクスウェル連合が崩壊したと聞いていた。

 国が亡びるなど簡単にあることなのかと思ったが、歴史ではわずか十数日のうちに滅びた国もあるのだとか。

 その倍ほどの時間でコクスウェル連合が滅びたというのだから、ないとは言えない。


 ネードラハの港にも、コクスウェル本国から逃げて来た者もいた。

 国力的にそれほど大きな差がなかったはずのイスフィロセが、どうやって。


 それが空飛ぶ船だと。

 主要拠点の上空から雨のように爆炎の魔法を落として、地上ではまともな指揮も出来ずに敗戦。

 都市国家群だったコクスウェル連合だが、いくつかの拠点を落とされて崩壊。全面降伏と。



 ロッザロンド大陸の北西は巨大な湾のようになっていて、突き出した半島を拠点とするイスフィロセと、その西の諸島群と大陸北西部を領土とするコクスウェル連合。

 その湾全体がイスフィロセの勢力下になったということだ。


 落ちたからといって、ただちに全てを管理できるわけでもない。今は混乱期だろう。

 占領政策にしろ同化政策にしても、当分は戦勝国でも身動きが取れないはず。


 国境を接するアトレ・ケノス共和国としても警戒は高まっているはず。

 空飛ぶ船というのがどういうものかわからない。迂闊に手出しも出来ず、けれど飛竜騎士を抱えるアトレ・ケノスなら対抗できるのではないか。

 おそらくそういう睨み合いの状況なのだと思う。




「案外と情けないものですわね」


 ロッザロンド大陸の状況はよくわからないが、こちらの状況ならまだ見えている。


「伝説の呪術師と言う割に、逃げ帰ってしまうだなんて」


 影陋族ごときに敗れ、おめおめと旧大陸に逃げ延びるなど。

 口ほどにもない。

 名が泣くとはこういうことか。



「うぇっうぇっえ!」


 またいっそう、しわがれた声を張り上げて笑うジルダ。


「ほんに、ほんにひぃ様ときましたら」


 皺皺の手を叩いて、卓にあった何やら濁ったものを呷る。

 濁った酒なのかなんなのか。リュドミラは飲もうとは思わない匂いだけれど。


「尻だけでなく頭にも殻がついておられる。うぇひ」

「まあ、失礼ね」


 物が見えていない若造だと。先ほど母にも言われたようなことを。



「ババが逃げようと思うたのはですな」


 もう一度、杯を呷って空にしてから。

 気づかなかったが、ジルダはこれで案外本気で怯えていたのかもしれない。喉の渇きを忘れるほど。


「師ダァバが、空飛ぶ船より恐ろしいものを用意するじゃろうと思うてのことですじゃ」

「……」


 逃げ去ったことを、ではなくて。

 戻ってくることを怖れて。


「あれはほんに見事なまでの欲の塊。欲しいと思えば必ずや手に入れ、いらぬと思えば塵すら残さぬ」

「でも……負けて逃げたんでしょう」

「だからこそ、ですじゃな」


 もう一度杯を手にして、空だったことに首を振った。



「見境をなくす」

「……」


「恐ろしいのは、見境のないわりに目的を遂げるのにいるものは徹底的な準備をするもので」


 敗れて逃げただけならいい。

 そうではなくて、呪術師ジルダでも想像できないような手段を準備して戻ってくる。

 ジルダはそう信じて、だからカナンラダから逃げたいと思ったのだと。



「女神の遺物を得る為に」


 世界にはいくつか、女神の遺物と呼ばれるような物品が存在する。


「灼爛の住む山とその周り全てを、全てを擂り潰しましたのじゃ」


 昔を思い出しながら言って、身を震わせた。



「生きるものも、ただそこにあった岩や山も。ひとつひとつ砕いては均して」

「……」

「十年をかけ、命の一つもない死の大地と成り果てるのをババも見ておりましたゆえ」


 ロッザロンド大陸の中央には険しい山岳部がある。

 アトレ・ケノスとルラバダールの間というか、どちらの土地でもない山脈。いくつかの山脈が重なって出来ているとも言われる。

 その面積はアトレ・ケノスやルラバダール国土の半分ほどにもなるとも聞く。


 野生の飛竜が住む場所もあるし、魔境も多い。

 その一角のことなのだろう。


 欲するものがあったとは言え、数年がかりでそんなことを。

 呪術師というのは誰も常軌を逸しているけれど、この場合はそれだけのことをやった力も信じられない。



「ダァバという者は」


 仮にリュドミラがそれをするなら、どうするだろうか。


 やはり時間はかかる。規模がわからないにしても数年程度は必要になる。

 飽きもせずそんなことを続けられるか、やったことがないから知らないけれど。


「強力な魔法使いでもあるのですか?」


 英雄級の魔法使いであり、伝説級の呪術師だったりするのだろうか。

 代替わりしたダァバというのも、そういう血筋だと考えた方が自然だ。


「師は」


 ジルダは首を振る。横に。


「魔法ではなく道具を使いますのじゃ」


 呪術師なのだから、その方がそれらしい。



「ババや他の弟子も手伝いましてな。混ぜ物をした薬をひたすら作っておりましたのじゃ」

「薬?」


「はて、にとろーぐだとか、だいなまとだとか……師はそのように呼んでおったかと」

「それで山を溶かしたり?」

「吹き飛ぶのですじゃ。うぇっうぇ」


 当時の様子を思い出して、ジルダの皺だらけの指がぶわりと上に向けて広げられた。


「強烈な爆裂の魔法のように。それで崩れかけた山を手で砕きながら、弟子にはまた薬を作らせておりました」


 女神の遺物を探す為とはいえ、気の長い話だ。

 それで見つかるとも限らないだろうに。



「薬の製法は?」

「さて、覚えておりませぬのじゃ」

「?」


 使えそうな話だったけれど、ジルダが覚えていないというのが意外だ。

 師から伝授された業ではないのか。


「あれは呪術ではありませぬゆえ、ババも他の弟子たちも面白くもなく。ただ十年も……うぇっうぇっうぇ」


 面白くないと言いながらも、思い返したら面白かったらしい。

 無駄な時間を過ごしたと笑えるこの感性がよくわからない。



 その爆裂の薬は呪術の関係ではなく、ジルダたちは覚える気にならなかったということはわかった。


 空飛ぶ船が放つ爆裂の魔法というのは、たぶんその薬を使っているのだろう。

 それだけの魔法を連続で使える魔法使いなど数を揃えるのが難しい。

 飛竜が飛ぶよりずっと高い場所から魔法を放っても、十分な威力で届くわけもない。


 リュドミラなら。

 その距離からでも敵を打ち砕く魔法を放てるかもしれないが。


 つまり、英雄級の魔法使いの技に近いことをするわけか。

 空飛ぶ船と爆裂の薬を使って。手の届かない上空から。

 コクスウェル連合が短期間で滅びるわけだ。



「そのダァバが、影陋族に敗れて逃げ去った……」


 聞いてみれば腑に落ちないというか、逆に納得だ。

 それだけの力を持つ影陋族がいる。だからこその異常な事態。


 祖父や両親は見誤っているかもしれない。

 リュドミラに避難しろなどと持ち掛けて、勝てるつもりで。


「……ありがとう、ジルダ」


 話を聞けて良かった。


 聞いた以上は、油断をしない。

 リュドミラの出来るだけの準備はしよう。伝説のダァバも準備は入念だというのだから。



「ひぃ様がお逃げになるのなら、ババも逃げたいのですじゃ」

「逃げることなんてありませんわ」


 いくら伝説的な呪術師だと言っても、所詮は呪術師。

 人類の頂点に立つリュドミラとは比較にならない。


「影陋族など、私が全て擂り潰して差し上げますわ」


 呪術師には出来ないだろうけれど。


「新しい奴隷と呪術の材料をたくさん用意しますから、楽しみにしてなさい」


 普通に手に入りにくい呪術の材料も、戦争となれば色々と手に入るだろう。

 嗤いながらも弱気なジルダにそう言って、リュドミラは思いついた準備の為に自室に急いだ。




「ババは」


 空の杯を手に呟くしわがれた声を聞く者はいない。



「あれに貪られ枯れ果てた世界を」


 空っぽの杯を逆さにして、一滴だけ垂れた雫が老婆の舌に消えた。


「生きてそれを見ねばならぬのが恐ろしいのですじゃ」



  ※   ※   ※ 

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