第四幕 061話 はみ出し者の憂い_1



「お母様、お呼びでしたか?」


 庭先で体の筋を伸ばしていた母を見つけて声を掛けてみると、


「リュドミラ、あんたハルマニーの所に行かない?」


 前置きもなくぶっきらぼうに、リュドミラが頷きそうにないことを言ってくる。

 いつものことなので驚きはしないけれど。


「影陋族が攻めてくるのではなくて?」

「攻めてくるからって話さ」

「嫌ですわ、お母様」



 母ゾーイは冒険者を十年ほどやっていた為か、喋り口調に品がない。

 ミルガーハ家の世間での評判は、もちろん堅気な商売人などということはなく、チンピラ出身の成金だと。


 百年以上経ってもそういう話は消えない。

 有名過ぎて、誰もがそう知っているという印象で固まってしまった。


 そんな風評を払拭しようと教育係に上流階級の振る舞いを仕込まれるのだが、母は今でも酒場で騒いでいる冒険者のような雰囲気だ。

 こんな気質だから冒険者なんて稼業に進んだのか。


 父スピロはリュドミラへの教育を徹底した。

 逆に、ハルマニーは姉と比較されることに反発して、母に似た性分になってしまう。



「もしかしてお母様、私を心配なさっているの?」

「あんたね、あたしだって人の親なんだから」


 何だと思っているのかという顔で腰に手を当て、ふんっと笑った。


「可愛い娘が血みどろになるのなんて見たいわけないだろ」

「見たがっていたと思うのですけど」


 世間一般の親がどういうものか知らないが、ゾーイが世間の常識に沿った母親だとは思わない。


「小さい頃からよく私に魔物狩りさせていましたわ」

「そりゃあ素質を磨く必要があったからさ」

「その後の肉の解体は?」

「そこまでやって一人前ってもんだよ」

「もう」



 父と母と、幼かったリュドミラとハルマニーと。

 魔境で十数日を過ごしたりしたこともある。

 母は家族旅行だとか言っていたけれど。


 生まれつきリュドミラ達は相当な力を持っていた。

 さらに力を得る為と、実戦経験をさせる為の訓練合宿というところ。

 楽しかったといえばそうだけれど、父の方はかなり疲れていたようでもある。



「魔物はいいんだよ。殺しゃあ力になるんだし、肉だって食える」

「そういう所、ほんと冒険者ですよね。お母様」


 食べ物ならいくらでももっと良いものを食べられるのに。


 無駄を嫌うというより、より得だと感じるのだろう。

 強くなるついでに食べ物も得られる。

 狩りも楽しいし、解体作業も好きなのかもしれない。


 珍しい色の魔石だとか喜んでいたのを思い出す。ミルガーハ家の資産から考えたら微々たるものだが。

 宝探し的な楽しみ方か。



「人間は殺したって力にもならないし食えるわけでもないからね」

「影陋族でしょう?」

「同じようなもんだよ」


 母の目からはそういうものらしい。影陋族を認めているというのではなく、雑多な人間も影陋族と同様に無価値に見ているだけ。


「魔物なら強い相手にゃ逆らわないってのに、小狡い頭使って出し抜こうとかさ。吊るされるまでてめえの間抜けさもわからず、いざ死ぬ段になって命乞いってそりゃあ滑稽なもんだけど」


 何か思い出したのかより荒々しくなる母の言葉。

 父が聞いていれば途中で制止したと思う。娘に聞かせる許容範囲外だと。



「それに」


 話が逸れたと、一度言葉を区切ってから。


「戦争ってのはちょいと違うからね」


 体を逸らし、天に向けてふうと息を吐く。



「少人数の殺し合いってのは、やっぱり殺し合いなのさ」

「?」


 母の言葉の意味がわからない。


 少人数なら殺し合い。

 では、多数なら?


「あんまり多くなりすぎると……」

「……」


 ゾーイは首を回しながら言葉を探している様子で、リュドミラは黙って待った。


「作業、って言うかね」

「ええ」

「なんだかそんな遊びをしているような気になるんだよ。特にあたしらみたいなはみ出しもんだと」


 はみ出し者。

 これは母の言い方の、非常識な力を有する勇者や英雄のことだ。


「血に酔うという話ですか?」

「終わった後も、そこらの人間が雑草みたいに見えるのさ」



 す、と。

 母の手が何気なく横に動いたのを、並の者なら見逃しただろう。

 リュドミラの目でさえ影を追うのがやっと。


 一拍置いて、庭木が砕け散った。


「ちょいと気に入らないと思ったらもう殺してる。殺すって気もないうちに」

「……」

「やっぱりねえ」


 にいっと笑うゾーイの顔は、何かを悔いているわけではない。


「殺すなら殺すで、ちゃんと殺意を向けて、命乞いを聞きながらやらないと勿体ない」


 魔物の話と同じだ。

 やるなら多くの得を得たい。

 母もまた大商人ミルガーハの血族ということかも。



「あんたは強い」


 本当に、何気なく。左の裏手で。

 母がリュドミラに向けた拳は、大木でも薙ぎ倒すほどの力で。


「……」


 ともすれば必殺の拳を手の平で受け止めたリュドミラに、笑うゾーイ。


「それに若すぎる」


 いつの間に握っていたのか、反対の手の中に先ほど爆散させた木の葉やら枝やらが。

 それをリュドミラの顔に放った。



「っ!」


 同時に、受け止めた裏拳を一気に押し込まれる。

 とてつもない剛力だ。この体勢からよくもまあ。


 さすがに押し込まれるが、目潰しは悪手だ。

 強靭な腹筋から短く吐かれた空気が、顔に向かってきた木くずを散らす。

 だけでなく、枝の一本をゾーイの顔に打ち返した。


「くっ」


 片目を瞑りながらも母の右拳がリュドミラに向けられた。

 受ければ先ほどの庭木と同じく頭が砕け散るほどの力で。


 開いている右拳でそれを迎撃するが、ゾーイの拳が異常に堅い上に続けざまに三連撃。

 というか、ほとんど三発が同時だ。


 母が得意とする攻撃で、これの二発目以降を受けて無事だった敵をリュドミラは知らない。


「危ないですわ」

「あったりまえだろ」


 リュドミラだから対処できるのであって。

 ハルマニーなら何とかするだろうが、父ならやられて昏倒しているのではないか。


 押し込まれた勢いで足が地面を摺り、体勢が崩れた。

 そして両手の攻撃に意識を割かれたところで、ゾーイの右膝がリュドミラの腹に。


「はっ!」

「うぁっ!?」


 世界が反転した。


 ゾーイの世界が。


 止まなかった右拳の連撃を首をひねって避け、空いた右手で、リュドミラの腹に突き刺さろうとした母の右膝を包み込むように受け止めていなした。

 裏拳を掴んだ左手を引っ張り、右膝の力の向きを横にずらして。

 リュドミラの足がゾーイの股間を撥ね上げて、くるりと宙に一回転。



 投げられて地面に落ちたゾーイが怪我などしないよう、最後はふわりと落とした。


「……若くて、強すぎるのは知っていますわ」


 世間では最強クラスの冒険者と言われる母ゾーイを相手に、最近ではリュドミラの方が戦績がいい。


 幼い頃から頂点の技を見て来たから。

 生来の資質と重なり、今のリュドミラが対応できない敵などいない。



「若すぎる、って言ったさ」


 背中から地面に転がり、それでも笑うゾーイ。

 ふと違和感を覚えて首に手をやると、受けた覚えのないわずかな痛みがある。


 いつの間にか、急所に一撃をもらっていたらしい。

 母も殺すつもりではなかったのだから致命傷ではないが。



「……ずるいですわ。不意打ちですもの」

「戦場じゃ誰も聞いちゃくれないよ」


 よっと立ち上がり、服の土埃を払う。


「ま、あんたがやりたいなら仕方がないね」

「だって敵にはムストーグ将軍や竜公子を倒した相手がいるのでしょう?」


 何も有象無象の雑兵を殺すことを楽しみにしているのではない。

 強すぎる自分の力を、遠慮なく振るえる敵がいる。

 だとすれば、やってみたいではないか。


 こんな機会は二度とないかもしれない。

 ないだろう。



 強すぎる力を持て余す。

 せっかく常人では辿り着くことのない領域にあるのに、存分に発揮する機会もないまま過ごすのは。


 ミルガーハ家は手広く商売をやっているわけで、人間同士の戦争があってもどちらかに一方的に肩入れすることはない。

 手を貸せば確実に勝ってしまう。


 強力な一族係累の力と傘下にある私兵などを合わせれば、エトセン騎士団でさえ打ち破れるのではないか。

 もっともエトセンには騎士団以外の兵士もいるわけで、正面から戦ってミルガーハ家だけで勝てるわけでもないけれど。



 ネードラハの軍に協力して戦うなど過去に例がない。

 それだけの敵がいて、しかも影陋族だというのなら何も遠慮はいらない。


「とてもお強いんでしょうね。影陋族の英雄というのは」

「でなきゃこんなことになるはずないよ」


 面倒なことをと溜息を吐いて見せるゾーイだが、リュドミラが見る限り母の機嫌もそれほど悪くない。


 やはり母は冒険者だ。

 未知の強敵を迎えて、燻っていた闘志に火がついている。

 当然だけれど、負けることなど考えてもいない。


「楽しませてくれるといいのだけれど」

「嬲ったり遊んだりするのは後だからね」

「ええ、もちろん」


 母の言葉に素直に頷き、にっこりと微笑んだ。



「後なら、いいんでしょう?」


 弱者を嬲るのも嫌いではないけれど。

 己が強いと思っている者を叩き伏せて嬲るのは、格別の味がするのだから。



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