第四幕 058話 淀みなく澱む



「サジュからの荷物、無事に人間に奪われたそうです」


 その報告を受け取ったのはわかるが、わざわざイバが伝えにきたのは下心があるからだろう。

 共に行動していたイバが現場を見て来たはずがないのだから。


「誰も捕まっていませんか?」


 運び手を気遣ったわけではない。


「はい。人間に見つかってすぐに逃げたということで全員無事です」


 それならいい。

 トワが胸を撫でおろしたことを、イバはトワの慈愛のように捉えたようだった。



「人間もかなり警戒していて、あまり追ってこなかったという話です」


 惨敗した後なのだから当然だ。


「ですが、食料を敵に渡してしまった形で……」

「それでいいんですよ」


 イバの疑問はもっともで、段取りがうまくいったのなら教えてやってもいいか。



「鈴目麦と呼ぶことは知りませんでしたが」


 多くの鈴のような穂をつける植物で、食用にもなる。


 だがまずい。

 癖が強く、えぐみと苦みが口に残る穀物。自生しているので雑草のようなもの。


 トワは生まれ育った飼育場で、それらも食料として清廊族に与えられていたことを知っている。

 食えて栄養になるのなら別にいいだろうと。春の半ばから夏にかけて放っておいてもよく育つ。


 北部にも似たようなものは多く見られ、ただよほど飢えた状況でなければ食べ物として扱うことはない。

 似ているが、南部の鈴目麦とは少し違った。環境のせいなのかわからないが。




「あれの調理法を知っていますか?」

「ええ、まあ……」


 サジュで育ったイバも、食料が不足すれば食べる必要があっただろう。誰からか聞いている。


「塩茹でして水を切ってから、もう一度真水に一晩浸けておいてから煮るんでしょう?」

「南部ではそうとは知られていません。味は酷いですがそのまま煮て食べます」


 南部と北部で性質の異なる植物。

 ニアミカルムを挟んで、同じ花でも大きさや花弁の形が違うものもあった。

 鈴目麦もそうした性質の違いがあるのだろう。



「でもそれだと」

「ええ、だからいいんですよ」


 ルゥナには相談していない。

 いちいち説明するのも面倒だし、戦士の手法ではないとか言い出す誰かもいるかもしれないと。


 あれこれトワの望みの為に画策しているが、それらも全て人間を滅ぼすことを前提にしてのこと。

 だから、トワはトワなりにルゥナの足りない部分を埋める。


 ルゥナは甘い。その甘さも嫌いではないが、それで手詰まりになってしまってはいけない。

 トワの手で、未然に毒を払っておく。毒を撒いておく。


 実際に動かす手はイバだったりティアッテだったりするけれど。



「塩で水がよく染みるようになって、柔らかくなるのだとか」

「はい。十分に水に浸していないまま煮ると、中の芯が腹の中で棘になるはずです」

「人間はそれを知りません」


 だから、それを知っているだろうサジュの運び手が捕らわれるのは問題だった。

 人間の町には今も囚われの清廊族はいて、その中には調理法を知っている者もいるだろうが。


「でも鈴目麦なんて普通食べません。いくら人間でも」

「イジンカの南には、人間どもの大きな港町がまだ二つあると聞きました」


 そこから来た遠征軍は倒したが、町にはまだ人間が多く住んでいる。


「そうらしいですね」

「滅びたイジンカの町から逃げた人間は、山や森に隠れ住むわけではないでしょう。大きな町に逃げていったはずです」


 イバに説明をしながら自分でも確認する。



「少なくない数の余所者です。きっと食料には困っているでしょうね」

「ああ」

「清廊族の輸送部隊から奪った食料。だけれど、普通なら口にもしない雑穀です」


 それをどうするのか。

 見れば、貧民ですらあまり食べないような屑物だけれど。



「わかりました。町に群がる余所者に、これでも食べて当座を過ごせと」

「彼らの中に、北部の鈴目麦の調理法を知る者なんてほとんどいないでしょう」


 与えられた雑穀でも何でも食って飢えを凌ごうとする。



「町の者から与えられた食料を口にして、喉や腹を掻きむしって苦しむ人間が転がるでしょうね」

「でもトワ姉様。用意した鈴目麦ではせいぜい数千程度までしか行き渡りません」

「それでいいんですよ」


 イバの言葉を聞いて、トワの意図通りだと微笑んだ。


「共に逃げて来た住民が、町から与えられた食料でもがき苦しむのを見て。彼らはどう思いますか?」


「……裏切られた、とか?」

「切り捨てられたと言うのかも。どちらにせよ碌なことにはなりません」



 清廊族に敗れ、住み慣れた町を追われて逃げ延びた人間ども。

 体力的にも精神的にも追い込まれているはず。


 そこで食べ物に毒を混ぜられたなどと噂が広がれば。

 追い詰められた者が、助かったと安堵した所でさらに突き落とされて。

 単独なら、嘆き絶望して死ぬだけかもしれない。



「さて、イバ」

「はいトワ姉様」

「人間の一番厄介なところはなんですか?」


 トワの組んだ通りに話が進んでいることを再確認できて気分が良い。

 やはり世界はトワの思惑に沿って進むのが一番だ。

 トワの機嫌の良さを受けて、イバの頬も綻ぶ。


「人間どもの……数が、多いことです。とても」

「そうですね」


 よくできましたと。


 最初からイバはトワに褒めてほしくて報告に来たのだ。

 手を上げると、喜んでその下に頭を滑り込ませる。


「それが人間の弱みです」

「?」


 逃れていった人間の数は万では済まない。

 町の周辺には、数十万の養いきれない余所者が集まっているはず。



「追い込まれた上で攻撃されたら、たとえ小さな獣でも牙を剥くでしょう」

「はい」

「困窮した時に餌で釣られて騙し討ちなんて、なんてひどいことでしょうね」


 ふふっと、笑いが零れた。


「それは……ええ、絶対に許せないと思います」


 イバも笑みを浮かべてトワに擦り寄る。



「きっかけは千でも百でも構いません。人間どもはそれをきっかけに疑心を育て、連鎖して憤懣を暴走させる」


 トワは、ただ彼らに食料を用意してあげただけ。

 あとは人間どもの勝手。


 もっと言えば、きっかけは一匹だっていい。あるいは被害者などいないただの噂でも火付けになる。

 現実の被害者が多くいれば、爆発がより早く強くなるだけ。



「数十万の荒れ狂う兵が出来上がりです」


 取り締まる役割の軍も失われた町で、数十万の暴徒。


「すごいですトワ姉様」


 もともとメメトハやルゥナが話していたのだ。

 敵軍は打ち破った。逃げて行った多くの人間がもたらす混乱で、南の町はこちらへの攻撃など考える余地がないだろうと。


 そこにほんの一滴、トワの悪意を垂らしてみて。



「人間は滅ぶんですよ」


 擦り寄るイバの耳元で囁いた。


「自らが育てた疑心、不信。彼ら自身の悪意によって」


 惜しむらくは、そんな喜劇を目に出来ないことくらい。

 踊るのなら出来るだけ滑稽に。

 出来ればその姿を残しておいてほしいものだ。




「あー、イバずるいぃ!」

「わきゃっ!? ちょ、ちょっとオルガーラさん!」


 部屋に入ってきたオルガーラが、トワと寄り添うイバを見つけて間に体を捻じ込む。


「ボクも! ボクもいっぱい頑張った! ほら、ルゥナ守ったし」

「ルゥナ様を守ったのはティアッテです」

「あぅ……でも頑張ったよぅ」


 適当なことを言ってご褒美をねだるオルガーラを、嘆息しながら右手で抱く。

 左手をイバに回して。

 どちらもトワの手として働いている。機嫌も良いし、少しは蜜をやってもいいだろう。


「えへへ」

「ずるいのはオルガーラさんじゃないですか」


 むぅと口を尖らせるイバの額に唇を当てると、イバの顔もにへっと緩んだ。


「ねえねえ、トワさまボクも」


 言いながら首筋に唇を当てるのでくすぐったい。

 勝手に体をまさぐろうとするオルガーラに触発されてか、イバまでおずおずとトワの尻の方に手を伸ばしてきて。



「……呼んで下さると言ったでしょう、オルガーラ」


 オルガーラが開けっ放しにした扉の向こうから呆れたような声がかけられた。

 一緒に来ていたらしい。ただオルガーラの頭からすっぽ抜けただけで。


「珍しいですね」


 トワに用事があるなんて珍しい。

 というか、避けられていると思っていたのだが。


「セサーカさん」


 おそらく、仲間の中で一番トワを信用していないだろう彼女には。避けられていると。



「話をしたくて……いえ」


 セサーカは自分の言葉を否定してから、納得したように笑顔を浮かべた。



「話を、しなければならないでしょう。私と貴女は」


 へえ、と。

 セサーカに対してこんな関心を抱いたのは初めてだ。

 とてもいい顔で笑うじゃないか、とか。


「お互いに損はないと思いますよ。貴女の望みと、私の望みは」

「……聞きましょうか」



 避けられていただけではなく、きっとトワの方も避けていたのだろう。

 セサーカの胸の奥に、自分と似た色を見て。


 混じりけのない純粋な感情に身を染めたいと。


 自分と、自分の愛する誰かを。

 同じ色に染めて、溶けてしまいたい。

 セサーカの本質にトワと似たものを感じて、お互いに距離を置いてきた。



「協力できることなら惜しみませんよ」


 先行され導権を握られるのも不愉快だけれど。


「だって私たち、仲間でしょう。セサーカさん」

「そうですね、トワ」



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