第四幕 054話 ヘズの守将_2
さすがだ、と。
純白の巨大な盾。噂には聞いたことがある、影陋族の英雄の少女。
珍しい赤髪だと聞いていたから間違いない。
お互いの力が強すぎて、留まれなかった。
突進してきた大楯を棍棒で打つと、反動でブリスの足も地面を大きく削る。
「ボクより!?」
弾き返された大楯の少女から漏れる驚愕の声。
「ぬるいぞ!」
凄まじい力だった。この力では城壁でも砕くだろうが、今のブリスはそれを上回る。
押し負けて態勢を崩した大楯の少女。それを叩き潰そうと踏ん張り、やめて横を薙いだ。
「くっ!」
右手の大槍。
これはムストーグが、かつてロッザロンドでの戦いで倒した強者から奪った大槍なのだとか。
全てが密度の高い煌銀製で出来た大槍で、かなりの重量の為にまともに使える者がいなかった。ムストーグは敗者の武器だと使おうとしなかった。
槍の一撃を受けた鉄棍は、イジンカの女傑コロンバのものだろう。
鈍色に輝く鋲を打たれた双鉄棍。
この連中はムストーグたちだけでなくイスフィロセの英雄も倒してここに来ている。
英雄級の戦士が二匹。
それに加えて中位の冒険者並みの兵士が千を超えるなど。
ムストーグたちが敗れたのも仕方がない。こんな戦力、エトセン騎士団の総力のようなもの。
本来ならヘズの防衛隊で抑えきれるような敵ではなかった。
だが。
「……ふ、はは」
腹が震える。
ブリスの焼け付く腹が、嗤いを堪え切れない。
英雄級の敵を複数相手にしても、己の敗北がまるでイメージできない。
勝てる。
大楯の戦士が、ぐっと踏みしめる大地の音が耳に届く。
鉄棍の戦士が、左右にステップを踏もうとする足の指先まではっきりと見える。
異常に研ぎ澄まされた感覚が、周囲の状況全てを頭に叩き込んでくれた。
今なら落ちてくる雨粒さえひとつひとつ見て避けられるだろう。
生き物の限界を踏み越えた領域。
襲ってくる敵の動きが子供の悪戯のように感じられた。
「むぅ!」
大楯の斜め後ろから光の筋のような矢が飛んできた。
風切り音よりも速いそれが一瞬だけ視界に入り、見えているのだから棍棒で打ち払う。
動いてみてわかるが、己の動きも遅い。重い。
感覚の速さに動作がついて来ない。そうは言っても非常識な速度ではあるが。
頭は相変わらずぐるぐると回る。
視覚を中心とした感覚器官が、全ての瞬間の周囲の様子をつぶさに捉える為に、頭の中が回転しているようだ。
「こんな奴!」
地面を踏みしめながら、猛烈な勢いで突進してきた大楯の少女。オルガーラとか呼ばれるのだったか。
踏み込む一歩一歩が大地に足形を残して、ブリスに肉薄した時には巨大な岩がぶつかって来たような重さになっていた。
「ははぁっ!」
棍棒で突いた。
大楯の勢いと直線でぶつかるように。
「ぐ、のぉ!」
十分な勢いをつけての突進だっただろう。だがそれでもブリスの片手で止められる。
「やぁ!」
反対から鉄棍の戦士が襲ってくるのを、右の大槍で突く。
左に躱す踏み足は囮だ。重心が右にずれている。
ブリスの槍の穂先がしなるように変化して、連続で向きを変えた女の胸に吸い込まれた。
「そうだと――」
ぐるりと回転して、内側に入る。
予測していたというのか。
ブリスが見えていることを知っていたかのような動きで、突いた槍の内側に潜り込むなど。
「思ったわ」
「甘いわ!」
突いた姿勢から、即座に横に振った。
無造作な叩きつけだが、ブリスの力が尋常ではない。
滅茶苦茶な姿勢からでも絶大な破壊力になる。
「っ!」
それすら予想していたのか、振り払った大槍に向けて回転した勢いのまま鉄棍を叩きつけた。
回転しながら右、左、また右と。
伸ばした槍に凄まじい力で連続で叩き込まれては、さすがに押し負ける。
「ええぃ!」
槍を引き、代わりに押し合いになっていた大楯に向けて肩で激突した。
「うびゃっ!?」
棍棒が抜けた次の瞬間にブリスの体当たりで、大楯の戦士がひっくり返る。
止めを刺す前に、槍を押し返した側の戦士が迫っていた。
「俺もそう思っていたぞ!」
隙と見て肉薄してくるだろうと。
大きな武器を手にするブリスに対して、距離を詰めるだろうと予想していた。
「しかぁし!」
槍の柄で殴るように叩き込んだ。
「くっ!」
咄嗟に受けたことを褒めるべきか。
だが、ブリスの力の方が上だ。受け止めた鉄棍が一本宙に舞う。
「このブリスはぁ!」
続けざまに左腕が振るわれ、残った方の鉄棍を叩き落とす。
丸腰になった女が、歯を食いしばる音が耳を掠めた。
「見えておるのだ!」
足を上げて、次の瞬間には落とす。
「うがあぁぁっ!?」
大楯の戦士が、転がりながら鎌を振り上げようとしたその手を踏み砕いた。
心地よい悲鳴と、体を貫く快楽。
体を貫く?
「が……は?」
無手となった黒髪の女が、左の手刀で貫いていた。
ブリスの胸を。
「……」
脈動の感触が伝わる。
女の手を通じて、己の鼓動を知るとは初めての感覚だ。
なんとも。
なんとも、今までにない快楽。愉悦。
敵だが美しい女とブリスの鼓動が一つに繋がったような一体感。
「は……はは、はははっ!」
面白い。
生まれてこの方、こんな行為に悦びを感じたことなどない。
呪術師を羨ましいと思った気持ちを思い出し、それを越える高揚感だと。
なんと面白いのだ。
世界を変えるほどの力を有して、それを振るう自由とは。
「う!」
「まあ待て」
頭に向けて飛んできた氷の矢を、それも凄まじい速度ではあったが、首を大きく傾けて躱した。
せっかくブリスの体深くに繋がった美しい手を抜こうとする女に、ぎゅうとその手を肉の圧で握り締めて囁いた。
「もっと楽しませろ」
「くあぁぁっ!?」
ぼきゅぼきゅと、胸筋で噛み砕くようにその手を握ってやった。
駄々をこねるように殴りつけてくる右手を、今度は首と鎖骨の間で挟む。
「綺麗な手ではないか」
頬ずりをすると、その拳からもばきんと砕ける音が耳をくすぐった。
「ぐ、うぅ」
美しい顔が歪み、ブリスの視界もたわむ。
背中から飛んでくる矢を片手で振り払い、足元でまだ悪足掻きしようとした大楯の少女を蹴り飛ばした。
「ぎゃん!」
「お前たちを殺せばこの町は救われるのだ」
片手の槍をぐるりと回して持ち替え、掲げた。
「ヘズに栄光を!」
見えている。
全てが見えているはずだった。
聴覚は、己の心音が大きすぎて他を漏らしていたかもしれない。
嗅覚は、血の臭いで役に立たない。
見えていたはずの視界が、いつから歪んでいたのか。
最初からだったのかもしれないが、頭がぐるぐる回っていたせいで認識できていなかった。
すぐ傍に、姿を隠したもう一匹の敵が迫っていることを。見えていなかった。
「
突き付けられた魔術杖が魔法を放つが、ブリスには何の痛痒もなかった。
「邪魔を」
左手の棍棒を。
と、思ったが、なかった。
いつの間にか手から棍棒が落ちている。
感覚が薄く、また頭が混濁していてわかっていなかった。
「邪魔だ!」
なければないでいい。
自由になった左腕で、魔法を放った清廊族を殴りつけた。
「ぶっ――‼」
「セサーカ!」
腕を振るったはずみで黒髪の女の手を離してしまった。
ブリスの胸に突き刺さっていた手も抜けている。
力を抜いたつもりはなかったが。
ひどく混ぜこぜになっていた意識が少しずつ醒めてきた。
視界が自分の意思で動くようになり、穴の開いた己の胸を見る。
血が噴き出しているだろうと。
ブリスの胸にあったのは白い氷の花。その中心を彩る花弁のように赤黒い血が咲いていた。
※ ※ ※
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