第四幕 055話 咲かざる花
見えていなかったのだろう。
自分自身の有様が。
ユキリンに跨り、上空から狂戦士の四肢や首を斬り落としていたウヤルカは、敵将に近付けなかった。
四方八方に目を走らせ、ニーレの矢を無造作に躱す強敵だ。
迂闊に近付けばウヤルカも迎撃されてしまう。
アヴィとオルガーラに任せるしかないと。
だが彼女らでさえ、異常な力と反応を示して自らの傷をものともしない狂った敵に危地に陥った。
強すぎる。
覚悟を決めて、ただせめて少しでも視界に入らぬよう真上から攻めようと思ったのだが。
セサーカは、迷わず突っ込んでいった。
幻術を展開していたようだが、それがどこまで通じるのか。
とにかくアヴィを助けようと、他のことを投げ出して突貫していく。
声を掛けるわけにもいかない。
セサーカがその覚悟なら、ウヤルカがその後に続くだけ。
「
苧環は冬を越して春に咲く花だ。
へそのようにも見える幾重にも重なった蕾の奥で冬を越して、春に花咲く。
けれど、それが花開かない年がある。
平年にない極寒が続くと、中の水分ごと凍り付いてしまう。
そうすると春先に、氷の花をつけた苧環が見られることがある。
水分が凍り、開くべき時でない時に花開いた雪の花。
死の花だ。
これが見られる年は清廊族の村でも犠牲が少なくない。
忌まわしい雪花の伝承。
オルガーラの全身の突撃を片手で受けた敵将ブリスは、肘辺りの骨を砕かれていた。
アヴィの連撃で大きく弾かれた槍を持つ手も折れていただろう。
ブリスもまた他の狂戦士と同じく、己の痛みを見失っていた。
英雄を超える異常な力を手にしたとしても、所詮は偽りのもの。
だから、棍棒が手から離れたことに気が付いていなかった。
胸から咲いた雪の花が男の体を
血が凍ったからだろうか。
男の体から狂気じみた気配が薄れる。
「Qu!」
ユキリンが短く鳴いた。
いけるということだろう。その声を疑わない。
セサーカが危険を顧みずに作ってくれた好機だ。もっと自分を労われと文句も言いたいが、言えるのも戦いに勝利してこそのこと。
「ヘズは――」
右手の大槍を改めて構え直し、吹き飛ばされたセサーカに向かうアヴィへと向けた。
「俺の故郷だ!」
そうかもしれない。
人間の一生を考えれば、この男にとってはそうなのだろう。
清廊族が奪われた土地だけれど、ブリス・オーブリーとやらにとっては生まれ故郷。
だとしても。
お互いに嘘がないのだとして、だからこそどこにも赦しがない。
何一つ譲れるものがなくて、ただ敵と自分たちとの埋まらぬ穴があるだけ。
「これで!」
猛速で下降したウヤルカの鉤薙刀が、ブリスの脳天から脇腹までを叩き切った。
忌禍の雪花。
あれはおそらく体の中を凍り付かせる魔法で、聴覚なども失われていたのかもしれない。
反応はなかった。
「終わりじゃ!」
「おひゃ、わぬ……」
崩れかけたブリスの体が、ぶるりと力を取り戻した。
「なっ!?」
頭を断ち割られたにも関わらず、裂けた口から声を漏らす。
「ヘスのあひゅをぉぉ!」
凄まじい速度で大槍を投げつけ、その反動で砕け散るブリス・オーブリー。
なんという執念なのか。
「アヴィ!」
名を叫ぶ。
セサーカを抱き上げたアヴィの背中に向けて穂先が突き刺さろうとした。
ウヤルカの叫びに咄嗟にアヴィが黒布を引っ張り、結わえられていた鉄棍が飛んでくる槍にぶつかる――けれど、弾かれる。
勢いが止まらない。
「アヴィ様!」
セサーカが、どこにそんな力が残っていたのかアヴィを引き倒した。
代わりに自分が前に出るのに、躊躇わず。
「ばっ――」
己を犠牲にアヴィを守る。
セサーカならそれを率先してやるだろう。喜んで、かもしれない。あれの狂信も常軌を逸している。
「うああぁぁっ!」
俊敏さなら仲間内で一番を争うのだ。
ミアデは。
アヴィとセサーカを貫こうとした切っ先に向けて、やはり少しの躊躇もなく。
貫かれた。
※ ※ ※
「これでここの狂戦士は最後じゃな」
「はいっ」
メメトハの確認に、ラッケルタに騎乗したネネランが答えた。
川寄りではない左翼側を支えていたメメトハは、かなり多くの人間を相手にすることになってしまった。
そのせいで中央側への手助けがまるで出来ていない。
ネネランとウヤルカの支援を受けながらなんとか狂戦士を片付け、残るは普通の兵士ばかり。
どうにか凌いだが、被害も大きいしメメトハも魔法を使いすぎた。
「後ろに食い込んだ連中は」
「それならエシュメノがやっつけた」
後方から駆けてきたエシュメノの報告を聞き安堵する。
「ラッケルタ、痛そう」
大型のラッケルタを見つけてこちらに来たらしい。
「Ge!」
体のあちこちの鱗が剥がれ傷ついたラッケルタだが。エシュメノの言葉にやや強く返事を返した。
「うん、よく頑張った」
壱角ではないラッケルタと言葉は通じないはずだが、エシュメノはそういう枠を超えている気がする。
お互いに健闘を称え合うような笑顔を。
メメトハの目にも、なんとなくラッケルタが笑ったように見えた。
「ルゥナの方はどうなのじゃ?」
「ティアッテが助けに行ったってミアデから聞いたぞ」
溜腑峠から南下した彼女が間に合ったのなら、そちらも問題はないだろう。
「ならばエシュメノ、続けて済まぬがアヴィを頼む」
「わかった」
余計な説明は抜きにして駆けていくエシュメノを見送り、メメトハはまだやることがある。
「戦士たちよ!」
強者だけを打ち倒せば終わりというわけではない。
人間の厄介なところは数の多さだ。
ここで多くを取り逃がし、後から数を頼みに昼も夜も攻め続けられてはたまらない。
「今一度、奮い立て! 清廊族の明日の為に!」
「おぉぉ!」
思った以上の被害を出してしまったが、立ち止るわけにはいかない。
傷ついた戦士たちを鼓舞して、まだ攻め寄せる敵兵に立ち向かう。
日が中天を過ぎるまでにはルゥナ達が戻り、敵兵が散り散りに逃げ始めていた。
敵将を始めとする幹部の多くを討ち取ったらしい。
左翼側の敵は壊滅して、ネネランは中央側に向かった。
「良さそうな魔術杖じゃな」
「使っていた人間はクズでしたが、武具には変わりありませんから」
波打つように捻じれた冥銀の魔術杖を手にしていたルゥナに声を掛けると、わずかに表情を歪めながら答える。
「それよりアヴィは?」
「敵将を討ったようじゃが……」
メメトハも把握しきれていないが、大体の状況は耳に入ってきている。
敵将を討った。
アヴィとオルガーラが負傷して下がる。
ウヤルカとエシュメノが中央を支えているから、他もこのまま維持してくれと。
人間の死体が大地を埋め尽くしている。
故郷の町を守るのだと、多くの者が必死に戦っていた。
そのせいでこちらの被害も少なくない。
清廊族の戦士たちの亡骸も、踏み荒らされてしまって。
心苦しいが、彼らを集めて弔っていられる余裕はなかった。
「私は平気」
「アヴィ」
ルゥナの声が少し熱を増した。
「異常な敵の様子でしたが大丈夫でしたか?」
「……平気」
短く答えたアヴィだが、鉄棍を握る手が少し震える。
「私は……」
治癒薬で癒したのだろうが、両手ともに腫れが残っているのが見えた。
「無理を」
「こっちに逃げていく敵が多い。追うわ」
ルゥナの言葉に首を振り、駆け出した。
様子がおかしい。
メメトハとルゥナが問う間もなく遠くなり、その先で人間の血飛沫と絶叫が響いた。
どうすべきかと見送ってしまったメメトハ達だが、放って置くわけにもいかない。
「妾たちも――」
「ルゥナ様!」
追いかけようとしたところで、若い戦士がルゥナを呼ぶ。
「ミアデさんが……」
「……ミアデは、無事ですか?」
大地を埋めつくす人間の死骸と、清廊族の亡骸と。
そんな戦場の中で聞きたくないことを聞かされそうで、ルゥナの声が震えたことは責められない。
「ひどいケガをされて、治癒薬が足りません。トワさんは?」
「……そう、ですか」
安堵の息というのも不適切だろうが。
ミアデが命を落としたと聞かされるのかと身構えて、つい気が緩んだのだろう。
指揮官として徹しきれないルゥナだけれど、そういう部分があることをメメトハは悪く思わない。
感情があって当然だ。
「トワは後方の怪我人を診ています。治癒薬なら冒険者から奪ったものがいくつか、私も持っていますからこれを」
伝令に渡してアヴィを追いかけようとするルゥナだが、伝令が言いにくそうに顔を歪める。
「それが……その、難しい状態で」
「……危険なのですか?」
治癒薬で解決しない状態なのかと、顔色が変わった。
「確かに怪我も酷いのですが、それと別に……来ていただけないでしょうか」
「……」
アヴィを追うか、ミアデの容態を確認するか。
今のアヴィがそうそう敵に遅れを取るはずはない。だとすればルゥナを必要としている方に向かうべき。
理屈はそうでも、やはり心は迷う。
迷いを断ち切るものがあった。
「あれは」
アヴィが追っていった方角から少しずれて、巨大な戦斧が振り回された。
やはり逃げた敵を追っていたのだろうティアッテが。
「ティアッテに妾が頼んでこよう。アヴィを単独にせぬよう」
「お願いします、メメトハ」
気になるが、ミアデだけの為に他を疎かには出来ない。
ルゥナは伝令と共に川の方へ。
メメトハはいくらかの戦士たちと共に敵の追撃を。
そういえば、気を付けなければ。
ティアッテはミアデに異様な執着を示していた。
彼女が重傷を負って何か問題が発生していることは伏せておいた方がいい。
オルガーラにしてもティアッテにしても、戦い以外の部分で色々と気を遣わされる。
トワやニーレもそうだ。一筋縄ではいかない。
素直で快活なミアデの存在は、ルゥナにとって大いに助けとなっているはず。
何事もないよう祈らずにはいられなかった。
※ ※ ※
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