第四幕 045話 新勇者_2



「いい槍、ですねっ!」


 躱して、弾いて。

 ケビンが持つ剣も決して悪くないのだが、刃を合わせれば明らかにわかるほど違う。


「君を殺して、もらいましょう、かっ!」

「ばぁか!」


 ケビンの挑発に対して、ソーシャは即座に罵声を返した。

 見かけ以上に中身が幼い。



「バカだ! このっ、人間のばかっ!」


 幼稚な罵声と共に、けれど突き出される槍の鋭さに可愛げなど全くない。


 ニアミカルム山脈に生息する大きなカマキリの魔物を思い出す。

 視認できない速度で鎌を伸ばして、一瞬で肉を切り裂く。あれよりもまだ早い。


 大きいと言ってもあれは膝位までの体高で、普通の人間でも首を斬られたりしなければ叩き潰したり出来る範疇だが。


 攻撃速度はそれと同等で、その破壊力は岩をも貫くほど。

 そんなものが左右から繰り出されて、ケビンでなければまともにやり合っていられない。


 普通なら視認できないが、ケビンの目は追い付く。

 自分の体もそれに合わせて動く。

 ケビンと同等の速度で戦える個体など珍しい。守勢に回らず仕留めようとすれば大怪我をするかもしれない。



 もったいない。

 これだけの力があるのに、倒してもケビンの力が増えるわけではない。

 影陋族が本当に魔物だったなら、これを殺せばまた一歩上にいけるのに。


 まあ今回はこの槍を戦利品とすることで良しとしよう。

 この娘も中々可愛いものだが、それに気を取られて自分が死んでしまっては意味もない。



 この林のことは知っている。

 ケビンは知っていて、このソーシャとやらは知らない。


 草や落ち葉に隠れているが、かつてあったと言われる大木の為にあちこちに溝がある。

 穴というか、おそらくかつては根が這っていた場所が。


 中心部に開いた大穴は燃えた大樹の残骸が埋めたというけれど、その後に土中で腐った根の部分が空洞になり、地表に近い場所だけ溝として残った。

 根とは言うが、根だけでも普通の木の幹なみの太さはあったようだ。



 ケビンが踏み越えたその溝を、次の踏み込みで娘が踏む。伸びた草がその窪みを隠しているから気付くまい。

 ほぼ実力が伯仲する戦いでその隙は致命的だ。


 実際、自分もここに出入りしていた時に嵌まったことがあるからこその作戦。環境の利用。


 ああ、それならば。

 せっかくだからこの娘は生かして捕えようか。

 物好きが高値で買うかもしれない。


 溝で足を滑らせたところで顎に膝を叩き込み、ふらつきながら逃げようとするその右腕を叩き切る。

 そして足もどちらか切って、失血死しないよう焼いても生きているようなら。


 影陋族の若い女戦士だと言えば高値で売れるだろうし、ケビンの名を売る為にもこの娘を晒しものにした方が都合がいいかも。

 どうせ殺しても無色のエネルギーになるわけでもない。



 敵の足が、溝に突っ込まれた。

 周囲に伸びていた草と共にずるりと。


 予定通り。

 沈む女の顎に膝をと思ったが、思った以上に勢いよく突っ込んで沈みすぎだ。仕方ない爪先を叩きこむか。


 と、わずかにバランスを変えた。


 敵は罠に嵌まった。

 思惑通りに進んだはずなのだが、思った以上に低い。


 慌てて……そう、慌てて蹴りを放つが、擦り抜けた。



「なっ!?」

「ばぁか」


 草むらに隠れていた溝に片足を突っ込みながら、ぎりぎりまで体を低くした小娘の頭は地表すれすれ辺りに。

 顎を狙ったケビンの蹴りを、冷静に下に避けた。


 予想と違ったという段階でケビンがすべきことは、仕切り直すべきだった。

 勝った後のことが頭を過ぎり、予想外のことに焦った末での行動。


 ケビンは若い。若き勇者と呼ばれるのだから当然若い。


 地面に飲み込まれるように一気に沈んだソーシャの槍が、蹴りを放った姿勢のケビンに向いた。

 足場が低くなっていることを承知で、思い切り踏み込んで体を沈ませて。



「しまっ」


 蹴りの姿勢を変えた時に重心を強引にずらしている。

 片足で後ろに跳ぼうとするが。


「りゃあっ!」


 螺旋の筋が、後ろに跳んだケビンの体の上を走った。

 下から突き上げ、ちょうど股間から腹を滑るように撫でる。



「てぇっ!」


 鋭い痛みを感じながらも、次の一歩で大きく距離を空けた。

 初めて入ったはずの林の地形を、一目で看破されるとは思わなかった。


「く、痛い……です、ねぇ」


 紫の槍が掠めた。鋭い痛みと共に、破れたズボンが左右にはらりとはだける。


 涼しい。夏だというのに。

 股間を屋外で晒すことは少ないので、風が吹き抜ければ涼しいものか。



 刺すような痛みを感じながら、腰に提げた治癒薬を飲もうと手を伸ばした。


 飲むより、直接患部にふりかけた方がいいのかもしれない。とはいえ股間とは、なんて無様な。

 新たな勇者ケビン伝説の始まりとしては、あまりに恰好が悪い。



「ん?」


 目が離せない。槍を突き上げた空中から、地上に戻ってきた敵に。

 だが治癒薬が手に当たらない。

 腹辺りを斬られたせいで、腰帯に提げていた薬の瓶や予備のナイフなどが垂れ下がっている。


 舌打ちを堪えながら、大急ぎでしゃがんで瓶を取ろうとしたが、


「う、ぐぁっ!?」


 激痛が走った。

 しゃがもうとして、股間からの激痛に声が漏れる。



「ってぇ、こんな……血がぁ!」


 掠めただけ。

 体の表面を撫でただけだったのに。


 下半身は大量の血でドロドロになっていた。

 流した血だまりの中に、ぼとりと落ちる。


 ケビンの……?



「く、っそぉ!」


 許さない。

 絶対に許さない。


 痛みを無視してしゃがんで薬を取ろうとしたが、ケビンの片足に垂れ下がっていた瓶は屈んだせいで余計に逃げて、手につかなかった。



「エシュメノは言った」


 声は、ケビンが治癒薬を拾うのを待ってくれはしなかった。


「ばかだから死ぬんだ、お前は」


 地形を利用するのが自分だけではなかったとか。

 判断を間違えて。

 体に提げた薬瓶は、自分が屈んだらもっと逃げるだろうこともわからない。



 馬鹿だから。

 だから死ぬのだと。


 黒い滑らかな槍が、屈んだ姿勢のケビンの頭を貫く前に、一つだけわかった。


 そうだ、この娘の名前は。

 エシュメノ、だった。



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