第四幕 035話 海商の家訓



「知らぬ海は後を行く」


 初老と言うが、衰えた様子など微塵もない。

 今が全盛期と言われても信じるものも多いだろう。重厚な存在感。


「家訓は守るものだわい」


 人によれば、この口が開くだけで震えが走るのだとか。

 リュドミラからすれば強面のお爺ちゃんというだけなのだが。



「これが北部開拓を先導しなかった理由でしたの?」

「理由と言うほど根拠もないが、知らぬ道は誰かを先に行かせよというのが代々の言いつけでな」


 リュドミラの質問に祖父の顔のしわが深くなる。笑った。


「それで救われたということだの」



 アトレ・ケノスの軍が北部に進攻すると。

 影陋族の守りの拠点を奪えば、残った連中などどうということもない。

 小うるさいイスフィロセを黙らせ、目障りなルラバダールに先んじる。


 アトレ・ケノスの軍部がそう考え、増援の戦力として竜公子を頭とした飛竜騎士たちを揃えて進む。

 表立ってそう言いふらしたわけではないが、この近隣で祖父の耳が届かないことなどないだろう。


 ニキアス・ミルガーハ。

 政治に関わるわけではないが、このカナンラダ大陸で最も強い影響力を持つ人間の一人。

 リュドミラの祖父だ。



「初代も、このカナンラダで足場を築くまではずいぶんと苦労したそうでな」

「だから知らない道を先行してはいけないって?」


 侵攻作戦の前にミルガーハにも打診があったのだろう。戦力的なものか金銭的なものか、作戦に一枚噛まないかと。乗らなかったようだが。


「どんな落とし穴があるとも知れぬ。まさか竜公子が落ちるとは思わなかったがの」


 口にして再び声を出さずに笑う祖父に、リュドミラはふふっと笑い返した。

 落とし穴に落ちる飛竜とは間抜けな話だ。



「先走ってあれをお前の夫になどと言わんでよかったわい」

「我慢の出来ないお坊ちゃんでしたのね」


 勝手の分からぬ土地に来て、未知の領域に踏み入って死んでしまうなど。


「ハルマニーなら好んだのでは?」


 短慮な者同士、妹となら相性がよかったのではないかと。


「かもしれんが、死んでしまってはのう」


 正式な発表はないけれど、ニキアスは当然知っている。

 溜腑峠を越えて北部に進攻しようとした軍がどうなったのか。



「お前もハルマニーも儂には可愛い孫娘よ。つまらぬ男になどくれてはやらん」

「あら、夫の見定めは任せて下さるって言いましたわ」

「言うたかの」

「言いました、お爺様」

「言うたか」


 ふむぅと口を噤むニキアス。

 ニキアスに対してこう遠慮なく物を言えるのは、リュドミラ達だけだ。


 リュドミラの父スピロは、祖父に苦手意識があってあまり話したがらない。むしろ母ゾーイの方がずけずけと物を言う。



 ミルガーハ本家など巷では人外の魔物の巣のように思われているらしいが、家族の関係など世間とそう変わらない。


 ニキアスの風貌が他の家族と似ていないのは、先祖返りなのだとか嘯いていた。

 すらりとした体型のスピロやリュドミラ達と違い、ニキアスはやや背が低くずんぐりした体格。



 ミルガーハ初代がこのカナンラダに来る前は、イスフィロセとコクスウェル連合の間の諸島群で商売をする船主だったのだとか。

 船主というけれど、腕っぷしが強くなければ成り立たない仕事で、海賊と商売人の両面とかそんなもの。


 イスフィロセが見つけた新大陸に進出して、今の地位を作る始まりとなった。

 命知らずな人だったからチャンスを掴めたと言えるけれど、その途中で何度死んでも不思議はなかったと。


 だから子孫には伝えた。

 知らない道を行く時は誰かを先に立たせておけ。

 既に大きな富を手にしていたミルガーハが、危険を冒して先に行くことはない。


 富を守る為に金を使う。権力的には落ち目でも血筋の確かな貴族から息子の嫁を見繕った。

 長寿な生き物をロッザロンドに輸出し、特に見た目の良いものを有力者に寄贈することも惜しまず。


 百五十年の時を経て、今のリュドミラの暮らしがある。


 欲しいと言えば何でも手に入る。

 気に入らぬと思えば消し去ることも可能。

 社会的に潰すこともできれば、この手で塵にすることも。




 戦う力と経済力。兼ね備えれば恐れるものなどない。

 ミルガーハ家は新大陸の王に等しい。


 あまり政治的な方に足を踏み込まないことも家訓のひとつ。慣れぬ波に乗らないという。


 先ほど話題にした竜公子ジスランとの婚姻など最初から選択肢にない。

 あれは政治に近すぎる。

 適度に距離を保ちどう利用できるか見定めようとは考えていたが、その矢先にあっさりと死んでしまった。情けない。


 そんなこともあるから、政治とは一定の距離を保つ。

 政治的な付き合いで変な波に乗って、引き返せないところで立ち往生などごめんだ。


 家訓に従い、着実に一族を繁栄させてきた。

 ミルガーハ初代は海賊上がりなどと言われているが、外見よりずっと理知的で計算高い人物だったのだろう。



「エトセンに協力するのです?」

「せっかく向こうが重い戸を開けてくれるというのだ」


 ルラバタール王国領エトセンに向かった妹と使用人の話はリュドミラも知っている。

 大陸最強を謡われるエトセン騎士団にも不測の事態があったようで、金の無心だとか。


「儂らから金を引き出しながら、こちらの動きは適当に抑えておけると思っておるのだろうが」

「それでハルマニーだったのですね。お爺様の名代に」

「スピロやお前では隙がなさすぎる」


 祖父の名代としてなぜ妹だったのか。

 妹は短慮で、きっとヘタを打って損を出す。


「あの子が下手なことを口にして、エトセンの騎士様が扱いやすいと油断することも計算のうちですのね」

「それもよしと。イオエルもおれば酷いことにもなるまいよ」


 ニキアスがハルマニーを使者にしたことをただ悪手だと思ったリュドミラだが、祖父の考えの方が深い。


 目先の損があっても、相手の懐に入る隙間を作る。

 経験の差を感じた。



「馬鹿も使い様、ですわね」

「そう言ってやるな。ハルマニーもお前も儂には可愛い孫娘なのだて」

「わかっていますわ」


 ふんと、口を尖らせる。


「新しい土地にミルガーハの紋を刻む。面白そうな仕事を任せてもらえなくて残念なだけです」

「最初からお前がそのつもりでは、エトセンも簡単にかんぬきを緩めてはくれんのだ」


 直情的で視野の狭いハルマニー。演技ではない妹の行動が他の者には隙だらけに見えて、見知らぬ土地で動きを取りやすいよう地均しをしてくれる。


 リュドミラも何のかんの言いながら妹が嫌いなわけではない。

 ああいう気性は商売には向かないと思っていたが、向いていないことを活かす使い方もあるのかと。


 ミルガーハも噂ほど警戒する必要はない。

 力を持って浮かれている成り上がりもの。

 そう見てくれればいい。



「こちらはどうされますの?」

「どう、とな」


 わかっていないわけではないだろうが、ニキアスは答えを返さない。


「イスフィロセが大敗北だとか。ヘズの町から支援要請を受けて、このネードラハの冒険者にも声がかかっていると」

「らしいの」


 エトセンで問題が発生した以上に、大陸西部の異常事態の方が大きい。



 イスフィロセ軍が壊滅。

 影陋族の反攻で十万の軍勢が破られるなど、カナンラダの歴史にない。


 アトレ・ケノスも砦で敗北しているとはいえ、それとは規模が違いすぎる。

 国軍が総力を挙げて負けるなど。


 次に標的になるだろうヘズの町は大騒ぎになっているはずだ。

 ネードラハに援軍を要請する正式な使いが来たのは昨日のことだが、既にミルガーハの耳には入っていた。イジンカから逃げて来たという難民も数日前からいるので、一般にも知られつつある。

 


「今から軍を編成して援軍に向かって間に合うかどうか、影陋族次第だの」


 軍を動かすのに、昨日言われてそれなら明日という段取りにはならない。

 小規模なら出せるだろうが、それでは援軍の意味もない。



「軍のことではなく、私たちのことですわ」

「さてのぅ」


 十万の軍勢を破ったという影陋族の方にも被害がなかったはずはないけれど、その勢いでヘズの町を襲うのならこちらが勝てる見込みは少ないと考える。


 軍が間に合わないのなら、冒険者でも。

 あるいは、このネードラハ周辺の冒険者全てより頼もしいミルガーハ家にも協力を。

 戦力としての要請があるのではないか。



「ヘズにもうちの拠点がありますのに」


 大陸西部の各町にはミルガーハの所有する建物も財産もある。

 それらを守る為にも、そして戦後に軍から協力の対価として多くを得る為にも。今後の取引に融通を利いてもらう権利などでも利益になる。


 リュドミラ達も戦うべきではないか、と。



「主だった財産はこちらに持ち出しておる。ムストーグが死んだと聞いた時にな」


 祖父は前もって手を打っていた。


「ネードラハの高官にも、無理にヘズに兵を出すなと伝えておいた」


 切り捨てると決めて。

 その判断に疑問もなくはないが、慎重な手が悪いと言えるはずもない。



「よいか、リュドミラ」


 孫娘に教えを説くように、厳つい顔で頷く。


「豪傑ムストーグ、竜公子ジスラン、そしてイスフィロセのコロンバ」

「はい」

「これらを破るほどの力を持っているとなれば、儂らの知る影陋族の常識では測れん」


 英雄たち。

 ただ単独で戦ったわけでもない。軍を率いていたそれらを次々に撃ち破ったとなれば、ただの偶然では考えられない。

 常識を外れた影陋族の戦力。


「知らぬものを見定めるのに、ヘズの者には儂らの前に立ってもらうのだ」

「家訓の通りに?」

「そうだ」


 生意気な影陋族が攻めてくると聞いて、すぐさま飛び出すのではなく。



「仮に影陋族どもが既に種切れでヘズが落ちぬのならよし。何も損などない」


 ヘズが落ちて、拠点や使用人に多少の損害が出たとしても、この状況では損として切り捨てる。


「帆が破れても船底を破るな。船が沈んでも己は沈むな」

「大事なのは私たち、ということですね」

「このネードラハで迎え撃てば良かろう」


 何しろ、と。


「ここは儂らの海も同然。影陋族は知らぬ海よ」


 敵の姿を見定め、慣れた土地で戦う方が圧倒的に有利になる。



 祖父の言葉に、リュドミラはしっかりと頷いた。


「勉強になりましたわ、お爺様」

「ヘズが善戦して撃退してくれるのなら、その方が良い」


 ミルガーハ家は軍人ではない。商売人だ。

 情勢に合わせて利益になるように。

 損が避けられないとすれば、それを最小に。


 政治的に囚われぬようしてきたのだから、国家や住民に忠節を尽くす理由はない。



「異様な事態に、私も家の本分を見失ってしまいました」

「なに、儂とて年甲斐もなく大刀の手入れなどしておったわ」


 血が騒ぐというのか、つい戦いに気持ちが寄った。

 リュドミラだけでなくニキアスも。


「ムストーグを倒した敵を倒せば、儂の名も大英雄と轟くか、などとな」

「お爺様は今も私の英雄ですわ」


 知らぬ道は進まないと言うくせに、祖父の顔は未知の強敵を迎えることをひどく楽しみにしているようだ。

 たぶんリュドミラも、同じ笑みを浮かべているのだろう。



 ミルガーハの財産を多少なり削るのだから、こんな余興は精一杯楽しまなければ。

 追い風も向かい風も楽しむ。これもまたミルガーハの家訓だった。



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