第四幕 036話 流れた時代



 二つの集団が言い争う。

 それらと一歩距離を置いて眺める集まりもあった。


 争いと言っても今すぐ刃を抜くような差し迫った状況ではない。意見の食い違い。


 船乗りは船上で大声で喋ることが多く、荒々しい気性を持つ者が少なくない。

 小さな船ならともかく、大型船を動かすのに無口や小声では意思疎通できないのだから。


 言いたいことをずけずけと言う。

 それが気に障ったのだろう。正規の軍人には。



「イスフィロセだけではない。ロッザロンド全てで禁じられているのだ」


 正論をぶつける軍人に、船乗りの方の神経も苛立つ。


「人を物のように扱うなど。犯罪者ではないのだぞ」

「こんな所まで来て法、法ってな」


 船乗りの先頭に立つ男が言う。


「よく見ろや。この新天地のどこに法律書があるってんだ」


 未知の海に乗り出す際に、十数の船団のどこにも法律書など積んでいない。

 食料と水を出来る限り積んで船出をして、数十日の航海の末に辿り着いた新天地。




 史上初の大航海。

 顔も見せない怪しげな呪術師の言葉などになぜ乗せられたのだろう。


 いや、理由はわかっている。

 石灰水と毒気を混ぜた薬で飲み水の保存を容易にした功績。イスフィロセの高官がこれを高く評価した。


 船旅に飲み水の確保は死活問題だ。

 日持ちのする酒類で補ったり、雨水を期待する部分もある。見通しの難しい雨水を溜めておいても腐ってしまえば腹を下す。


 呪術師がもたらした薬は、不衛生な水で高熱を出す船乗りを減らした。海洋国家のイスフィロセで重宝されるのは当然のこと。



 ならばその呪術師も船に乗り共に海を渡れと言うのだが、船旅は苦手なのだとか。それを理由に船には乗らなかった。


 とにかく、この航路を進めば新たな土地に辿り着くと。

 他にも新たな知識を多く提供したとかで、信頼を得た呪術師の言葉に乗ることになった。



 イスフィロセは新しいことが好きな気質だ。これが古臭いルラバダールやアトレ王国、ケノス公国では受け入れられなかっただろう。


 止まぬ嵐に閉ざされていると言われ続けた海へ。

 呪術師の言葉は正しく、そんな嵐はなかった。


 誰も足を踏み入れたことのない新天地に辿り着く。



 誰もいない。

 そうではなかった。

 遠く海を越えた土地には、そこに住む者がいて。



 この地はカナンラダ大陸。

 ニアミカルムの麓、神の石山カヌン・ラドと始樹が見守る大地。

 かつて女神と魔神が戦い、そして滅びた地だと。


 数十年前から比較的温暖になったのだと、原住民の若者は言った。

 昔はもっと寒い時期が長く、農作物の収穫も少なかったので原住民の数もそれほど増えなかったとか。


 原住民とは逆に魔物の数は多い。

 魔境と呼ばれる未開拓の秘境が各地に点在し、中央に聳える連峰ニアミカルムには手に負えないような魔物も珍しくないらしい。


 なぜ駆除しないのかと聞けば、原住民は怒る。

 魔物もまた自然の中に生きる命。理由もなく命を奪うのは不敬だとか。まあそんなことを。



 言葉は通じる。

 見かけも人と似通っている。服を剥いで確かめたわけではないが、中身も同じだろう。

 辿り着いた近くの集落を見ただけだが、平均してかなり整った造形に見えた。


 随分と昔の話を見てきたように言うので訊ねてみたら、嘘か誠か若者と見える者さえ老人のような年齢だ。非常に長寿。



 清廊族。

 神話の中に名前がわずかに残る、人と別の道を進んだ者たち。

 この新大陸に住むのは、御伽噺に出てくるそれだと言うのか。


 新たな大地に、手つかずの資源。

 それを目的に海を渡ったイスフィロセの面々に、清廊族の代表は言った。

 帰れ、と。


 ここは清廊族の大地。

 女神と魔神が永劫の時を静かに眠る場所。


 水と食料の補給は協力するから、この地から去るよう言われた。

 船員の休息や船の修繕の為にしばらくの滞在をすることを認めさせて、今のこの顛末。



 帰れと言われて、おとなしく帰るわけもない。

 食料の提供はありがたく受け取り、さてどうしようかという話。


 強硬派は、あんな連中を力でねじ伏せてこっちの勝手をやればいいと。

 理性的な軍人も、結論は同じだとしても、大儀もなく行動すべきではないと言う。

 面倒くさい説教臭いと言われれば、言われた方も躍起になる。



 相手は少数。

 こちらも、数十の船団の全員を集めても千人程度と多くはない。近くの集落は二百と少しという程度の数だった。

 清廊族は女子供も含めてだから、戦力というのなら相手にならない。


 長い船旅の後で、辿り着いた先で門前払いとなれば船乗りが面白くないのは当たり前だろう。


 わかりやすく得られるものを得ればいい。

 軍人とすれば、船乗りに主導権を握られることを嫌った。


 軍船の乗員と、同行してきた船乗りたちとの主導権争い。

 船乗りの方は特にそういう意識もなく、たださっさと話を進めたいだけなのかもしれないが。




「旦那方、そんなに悩むことがありやしません」


 言い争いから一歩引いていた中から、小兵の男が口を挟んだ。


「やることは決まってんだ。つっても旦那の言いようも分かる」


 船団に参加した船乗りの一人で、大柄ではないが腕は確かな男。

 命知らずの荒くれものの頭をやりながら、見かけによらず目端が利く。



「国に戻ったら犯罪者で公開処刑ってんじゃあお話になんねえ。そういうことでしょうや」

「私はイスフィロセの法に反することは出来ん」

「ええ、ええ。わかっとりやす」


「食い物恵んでもらってはいさよならってか? こんだけの船でそんなザマじゃあ、それこそ縛り首だろうぜ!」

「まあまあ、そっちの言い分もわかってるって。どっちも落ち着きなってよ」


 船団の責任者である軍幹部の顔を立てつつ、共に来た船乗りの言い分にも頷く。

 そこそこの実力者として間に入って、両手を広げた。



「このフェルナン・ミルガーハが請け負いやしょう」


 一際大きく声を上げ、低い背丈よりも大きく己を見せた。



「この新天地、カナンラダに人間・・なんざいない!」

「……?」


 皆の視線が小兵の船乗りに集まった。



「清廊族? やつらは女神様に見放された畜生だ! 人間なんかじゃあない。ありゃあ魔物と同じ獣よ!」

「ほう……」


 ざわめきが広がり、次第に理解の色が混じる。


「無意味に人を殺したり奪ったりなんていけねえ。女神様も許さねえが、畜生相手にそんな法もありゃしねえ!」


 法を重んじるという軍人には、法に反しないという盾を用意して。


「獣から物を奪って罰せられるはずもねえ!」

「そりゃそうだぜ!」


 苛立ちを抱える荒くれものを煽る。



「御伽噺の清廊族? いんや、違うな」


 人と祖を同じとする何かではない。



「影陋族だ」


 咄嗟に、適当に語感の似た名前を言っただけだったのかもしれない。


「フェルナン・ミルガーハが発見した新種の珍種。ありゃあ影陋族ってぇ奴だ」


 影陋族、と。

 皆が口々に呟く。



「国にゃあ大発見をしたって報告をすりゃあいい。喋る畜生だぞ。おお、証拠に何人か……何匹か連れ帰ってな!」


「そうだそうだ!」

「フェルナンの言う通りだぜ!」


 船乗りたちの賛意を得て、フェルナンが改めて軍幹部に向けて手を広げた。



「というわけで」

「貴様が……フェルナン・ミルガーハと言ったか」


 念を押すように名前を口にして、軍人は頷く。


「ミルガーハよ、お前が見つけたという喋る獣は、人とは違うのだな?」

「そりゃあもう当たり前ですぜ、旦那。影陋族にゃ女神様の加護がねえんですから、それを人間だなんて言ったら罰が当たるってもんで」

「なるほど、そうか」


 ミルガーハの言葉と現実を頭に収めて、軍人はもう一度頷いた。



「……まあ、そういうことならそれで問題ないな」

「畜生に遠慮することもねえ。遠慮なくこの新大陸のお恵みをいただくとしましょうや」


 ミルガーハの名を盾として、多少強引な理屈でも話を進める。

 どうせ手ぶらで海を戻るつもりもない。


 戦う理由をどう用意するかなどと考えていたわけだが、獣相手に大儀も必要ないだろう。

 どちらにせよ、荒くれものの方が先に暴走してしまいそうだったのだし。



「となりゃあ早い方がいい」


 フェルナンは今度は片手を上げて、ぐるりと指で空をくくった。


「連中の隣の住処は遠いってんだ。あちこち連絡取られる前に囲んで一匹も逃がすな」

「おぉ!」


 小さな集落を、全員で囲んで一網打尽にする。

 そこを拠点として、本国に戻る船とこの地の探索を続ける者とに分かれ、さらに多くの資源を得よう。


 船に呪い士が一人いた。件の呪術師の弟子だとか。

 獣を従わせる呪術を影陋族に刻むのもいい。しばらくは手が足りないのだから。



 イスフィロセの発見した新大陸の資源と影陋族の噂はロッザロンドで瞬く間に広がり、大きな波が次々とカナンラダに押し寄せることになった。



 その地に住む者たちの気持ちを斟酌することもなく、ただ欲望のままに時代は流れた。



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