第三幕 086話 無際限の手



 忙しさで気が紛れる。

 特に、怪我人の治癒が出来る者など少ない。


血道ちみち疵口しこうに、ふる偲悶しもん痍莎いさ


 魔法の言葉を紡ぎ、魔術杖を傷口に向けた。


「う、ぐぅぅ……」


 脂汗を流しながら、癒えていく痛みに耐える清廊族の男。



 深い裂傷を治すと言われる薬草の言い伝え。

 命に関わる傷ではなかったので、時間をかければ普通に治療することも出来ただろう。

 だが、トワの手を煩わせていい。今は。



 ニーレの傍にはいられない。

 だから今はつまらないことでも手が塞がる方がいい。


「う……う、ありがとう……助かり、ました」

「いえ」


 苦痛に歪む顔も嫌いではないので、多少は気も休まる。


 清廊族だと言っても、トワにとっては大して思い入れもない。

 敵ではない、程度。

 嫌悪する理由もないけれど、親愛を感じることもない。



「トワ姉様、お疲れではありませんか?」


 一日中、トワの近くから離れたがらない少女。サジュで解放するついでに気まぐれに口づけをしたイバ。

 トワを気遣い、水を差しだしながら訊ねてくる。


 口をつけた器に後でこっそりと唇を当てていることを、トワが気付いていないとでも思っているのだろうか。



「こうしている方が気が楽ですから」


 咎めるつもりはない。返答も嘘ではない。


 傷の痛みに耐える顔や、それが癒えていく時の疼きを見せる表情には、それなりに面白みもある。

 その程度の対価で治癒を受けられるのだから感謝してもらってもいいだろう。


 これが人間相手だとすれば――



「……」


 魔術杖を握る手が震えた。


 ユウラの受けた痛みを、何十倍に、何百倍にしてでも飽き足らない。

 無限の苦しみを与えて殺してやらなければ気が済まない。



 トワのせいだ。それはわかっている。

 ニーレを追い詰め、追い込み、ユウラとの間を歪にしてしまった。


 もし何もしていなかったのなら。

 無意味な仮定。だけど、ニーレが平静であったなら、きっとこんなことにはならなかった。


 弱いユウラに注意を払い、ユウラが無茶をしないように見てくれていたのではないか。

 ユウラが死んだのはニーレの判断ミス。だとしても、その間違いを引き起こしたきっかけはトワに違いない。



 許せない。

 トワは、トワを許せない。

 けれど、だからトワが死ねばいいのかと。あの時はそう思ったけれど。


 違う。

 ユウラはそんなことを望んでいない。

 トワも、自分の幸せを諦めたくない。


 ユウラが死んでしまって悲しいことと、トワが諦めることは違う。

 だから、だけど。

 許すことのできないこの感情はどこに向けたらいいのか。

 決まっている。人間どもに。



「……」

「あの……トワ姉様、やっぱりお疲れなのでは……?」


 はっと我に返る。

 恐る恐る訊ねるイバの顔には、戸惑いと共に怯えの色も見えた。

 よほど怖い表情をしていたのだろうか。


「もう、夜も遅いですから……」

「そうです、ね」


 疲れているということにして、もう切り上げてもいいか。



「トワさまぁ」


 と、気持ちを切り替えたところに入ってくる者がいた。

 怪我人などを集めた広い室内に、元気よく。

 眠っていた者も含めて、皆の視線を集めるのも気にせずに。


「あったよ、ボクの武器あったぁ」


 嬉しそうに、真っ白な大楯を掲げて。



 武器、なのだろうか。

 巨大な盾にしか見えないけれど。


 どうかと見れば、大楯を掲げるのと反対の左手に、やはり白く長い草刈り鎌のようなものを持っていた。


 印象は大楯が圧倒的だけれど、あれで敵を制しながら右手の鎌で攻撃するスタイルなのだと思う。

 かなり大雑把な戦法のようだが、異常な剛力ならそれも有効なのか。


 大楯の裏に収められるらしく、鎌をしまいながらトワの下までかけてきた。




「オルガーラ様が……」

「お元気そうで」

「これなら人間どもを……」


 絶対に意図してのことではないけれど、オルガーラの快活な様子を見て、傷病のサジュの民にも活力が湧く。

 それは人間に対する戦意にも置き換わる。悪くない。


「へへ、ボクもっとトワさまのために頑張れるよ」

「良かったですね、オルガーラ」


 トワの役に立てて。


「と、トワ姉様。自分も姉様のためなら、なんでも」


 オルガーラに遅れをとるまいと訴えるイバ。

 その心がけは嫌いではない。


「ええ、わかっています。イバ」


 少し鬱陶しいと思う気持ちと、従順な姿に覚える好感とのバランス。



「今日は休みます」


 立ち上がり、二対の瞳に首を振った。


「しばらく独りにして下さい」

「うぇ?」

「わかりました、姉様」


 無理解の声を漏らしたオルガーラと対照的に、イバは素直な返事を被せた。




 傷病者の建物を出て、町を歩く。

 小雨。

 もうほとんど止んでいて、雲の切れ間に月明かりが見えた。


 西に見える月を追う。

 雲に隠れたり、また見えたり。

 幼い頃、まだ呪枷を着けられていなかったユウラとかくれんぼをしていたことを思いして。


 特に意味があったわけではない。意味があったのなら、東に行きたくなかっただけ。

 気が付けば町を出ていた。



 あの時、どうしたら良かったのか。

 これからどうするのが良いのか。


 もう後悔などしたくない。

 トワが痛い気持ちを味わうなんて二度とごめんだ。


 大事なものはなんだ。

 ルゥナだ。それだけでいい。

 他の仲間にも親愛を感じなくもないが、ユウラを失った痛みには遠く及ばない。ルゥナとは比較にならない。


 ニーレのことは……思わなくもないけれど。

 だけど、ニーレはもう死んだ方がいいのかもしれない。彼女自身がそれを望むのかも。

 次の戦場でニーレが死に急ぐようであれば、止めないことにしよう。

 止めたところで、いまさらトワの言葉を聞いてくれるのかわからないけれど。



 ルゥナだ。

 トワにとって、何を犠牲にしてでも守らなければならないもの。

 自分とルゥナだけは、絶対に守る。

 どんなことをしてでも。


 どんなことを……どんな手段を使ってでも、構わない。




「……いたのですか」


 ユウラが死んだ時もそうだったが、何もしていない時の気配がとても曖昧。


 いや、そうでもない。

 月明かりが、草むらに座り込むアヴィを美しく照らす。

 トワでも素直に美しいと思う。これがルゥナの心を占めていなければ、多少は印象が良かっただろうに。



「ええ」


 言いながら、静かにと指を口に当てた。

 見ればその膝にセサーカを眠らせている。


 小雨の後の草原に座れば、尻が気持ち悪くないのだろうか。

 気にした様子もなく、そのくせセサーカには水が滲みないよう気遣う素振りもあった。



「……」


 何を話せばいいのだろうか。

 何も話さない。

 それを選ぶには、トワの心には疚しい気持ちが多すぎる。


 落ち着かない。

 黙って月光を受ける美しい顔は、神秘的とさえ感じさせる。

 トワの胸中など見透かしているのではないか、と。



「……人間を滅ぼす」

「……」

「ユウラを殺した人間どもを……この地上から、全て殺す」

「……」

「それで間違いない、ですよね?」


 たった一つ。アヴィとトワが共感できることがあるのなら。


「そうよ」


 これだけは、間違いがない。



 顔は動かなかったが肯定の言葉に、やや安堵した。


「それなら」


 共通の目的があるのなら、共に歩むことも出来る。


「それを果たすまでは、私は貴女の味方です」

「……そう」


 それまでは。


 アヴィは気付かなかったのだろうか。

 気づいても、どうでもいいと思ったのかもしれない。


 それきり黙り込んだアヴィに、トワも何も言わずに踵を返した。

 月明かりの下、アヴィに背を向けて歩く。




「オルガーラ」


 歩きながら、そこらに声を掛けた。


「う?」


 やはりいた。別に気配を察したわけではないが、いるだろうと思っていた。


「あ、うー……ボクは、その……」

「構いません、オルガーラ」


 勝手についてきたことを責めるつもりはない。


 サジュの西門。東門は崩れたが、西門はそんなことはない。

 町の反対側の東大門。そのさらに東から、こちらに進む者があるはず。



「……力を貸しなさい」

「あ……うん、うん! なんでもする!」

「わかっています」


 人間を滅ぼす。

 ルゥナを守る。

 その為になら、する。


「では……」


 他の何を傷つけても、何を裏切っても。

 それが、なんでもするということだろう。



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