第三幕 085話 惜しみなく捧ぐ



 サジュの町は荒れている。

 人間どもも占領した町を無用に荒らしたわけではないが、それでも戦いの後だ。荒れていないはずもない。


 壊れた瓦礫を片付け、隠れ潜む何者かがいると聞いて駆けつけてみれば隠れていた清廊族だったり。

 まともな食事も出来ずにいた疲弊した彼らを介抱して、あるいは誰かの遺体を安置所に運び。



 安置所で、家族や友の顔を見つけて嘆く者も少なくない。

 無事を喜び合う姿を見れば、安らぐ気持ちの一方で暗い感情も。振り払おうと、また町の片付けの作業に勤しんだ。


 戦いの疲れも抜けてはいないが、その忙しさはセサーカの心を紛らわせてくれる。

 苦く痛い胸中が、忙しさのお陰でほんの少し忘れられる。




 ニーレの傍にはいられない。

 あの場は悲しみが強すぎて、囚われてしまう。

 考えなくてもいいことを考え、自らの無力さに立てなくなってしまいそうだ。


 ずっとニーレに付き添っているルゥナの強さには敵わない。

 ルゥナとて決して強いわけではない。戦う力は強くても、その心の作りはセサーカたちと大差ない。

 ただ、責任を負う者としてそうあろうと。そういう強さがセサーカには足りない。


 放置するわけにもいかないけれど、あの場にいれば誰もが苦い感情で己を苛む。そんなニーレの傍に、ルゥナはずっと寄り添っていた。


 目が覚めたら、真っ先にひどく責められるかもしれない。

 あるいは暴れるかもしれないと思えば、誰でもというわけにもいかなかった。

 ルゥナとて辛いだろうに。




 小雨が降る中、サジュの町の隅々まで歩き回る。

 ずっと西に来たのは、東から逃げたかったからなのだと思う。


 気が付けば、もう夜になっていた。

 そういえば食事もしていないが、食欲などまるで感じない。



 ああ、だけど。

 一度、隠れていた人間を見つけた時には感じたのだ。

 飢えた腹にも似た、ひどく暴力的な欲求を。


 隠れていた人間など大した力もない。従軍していた小間使いだったのかも。

 なのにすぐに殺せなくて、足を砕き、指を砕き。目を抉ろうとしたところでサジュの住民に見つかった。


 後は彼らに任せてしまったので、その後はわからない。


 気が付くと町を出ていた。

 今日は小雨だったけれど、夜になり雲の隙間から姿を見せた月明かりがサジュの西の草原を薄っすらと照らす。




 西側。

 人間が逃げていった方角で、また襲ってくるかもしれない。


 あの飛行船だってまた……

 冥銀の細かな鎖を大量に使っていたので、そうそう数を作れるはずもない。だがあれで終わりとも限らない。


 警戒する必要があるかもしれない。

 そんな言い訳を考えながら、雲に隠れたり現れたりする月を眺めていた。




「冷えるのは、よくないわ」


 不意に声を掛けられた。

 気配を殺して近付いたわけではなく、ただセサーカが呆けていただけだろう。


「アヴィ様……」

「初夏に近いけれど、濡れた体で夜風はだめよ」


 清廊族が寒さに強いと言っても、それはまた別の話だ。

 労わりの言葉と共に横に並んで月を見上げる。



「……お体は、大事ありませんか?」


 大怪我をしていた。治癒の魔法薬を使ったと言っていたが、それでも治らないほどの。

 さらに忌まわしい呪術を受け、体力の限界の中で魔法を放って。

 しばらく動いては駄目だとルゥナに言われて、エシュメノと共に休んでいたはず。


「平気よ。少し痛むけれど」


 体を伸ばそうとして、左腕にぎこちなさを感じたのか何度かゆっくりと回す。


「呪術師のあれは大丈夫ですか?」

「あれは……よくわからないの」



 ダァバが放った呪術を、アヴィは弾き返していた。

 敵の手にしていたのは普通の魔術杖ではない。女神の軸椎と呼んでいたのだから、世にある魔術杖よりずっと強力な力を持っていたと思う。


 なのに、それを受けて弾き返すなど。どういう理由だったのかアヴィ自身もわからないと。

 それでダァバが動揺してくれたから何とか撃退できたのだと思う。


 女神の軸椎とやらも砕け散った。

 同等の武具など簡単に手に入るはずもない。



「私のことはいい」

「……」

「貴女よ、セサーカ」


 ぐいと、強く抱き寄せられた。


「……何かあった、でしょう」


 どうしてわかるのだろうか。

 何も言っていない。誰にも言っていない。



 雨に濡れた服が、じんわりとアヴィの体温で温まっていく。

 冷えたセサーカの心を溶かすように。


「……アヴィさま」


 甘えたくなってしまう。みんな辛い時なのだから、よくないと思うのだけれど。



「戻ってきた時から、変よ」


 セサーカが戦場に戻った時、アヴィは既に大怪我をしていたし疲労困憊だった。

 ルゥナに頼まれてセサーカはその身辺を守っていたから、そこで気が付いたのか。


「元気がないわ」

「……」

「ユウラのことより前から」


 アヴィはそれほど察しがよい方ではない。それに、あまり他の誰かに対して強い関心を見せない。

 それでも知られるほどセサーカの様子がおかしかったのだろうか。


 違う気がする。セサーカが思っているよりずっと、アヴィはセサーカを見てくれているのか。




「話しなさい」


 命令口調だけれど、とても優しく。


「聞くだけしか出来ない、けど」

「……」


 アヴィなりに、周囲への気遣いをしている。

 ユウラのことで皆が傷つき、サジュの住民たちも疲弊と悲嘆に暮れている。誰にも余裕などない。

 本来ならルゥナが気を回したかもしれないが、それも難しい。


 セサーカとて、今のルゥナにこれ以上の負担をかけられない。

 自分の中の葛藤など小さなことだ。

 こんなもの、後回しでいい。


 消化しきれない感情をそうやって押し込めていたのに、アヴィがそれを話せと命じた。




「私は、卑怯なんです」


 命じられたのなら。アヴィの命令に逆らうことは出来ない。


「……」


 胸の中で呟く。後回しにしようとしていた感情を。



「私は……サジュの住民を盾にして、逃げた……犠牲にしたんです」

「そう」


 アヴィは責めない。ただそっと、まだ水滴の残るセサーカの髪を梳くように撫でた。


「戦う力なんてなかった。でも私を手伝うと……サジュを取り戻すと言ってくれた女の子を……」

「……」

「人間の、強い戦士が……あれに近付いたら死ぬとわかっていたのに、止めなかった」


 見殺しにした。

 それだけでなく、少女やサジュの普通の住民を目くらましにして、その敵を倒すことを優先した。


「私が戦っていたら……私が、勇敢な戦士だったら、あの子は……」



 ――力が、ない。


 初めて会った時にアヴィにそう言った。

 戦う力がないと、最初にセサーカは嘆いたのだ。アヴィに。


 恩寵を授けてもらって、戦う力を得て。

 なのに逃げた。


 サジュの少女は、逃げなかった。

 戦う力などろくになかったのに、サジュの為に、仲間の為に。セサーカの為に。



「私は……ユウラは、あんなに……なのに私は……っ!」

「……」

「卑怯者! 私は、臆病で卑劣な……アヴィ様に慰めてもらう資格なんてない!」

「セサーカ」


 頬に添えられるアヴィの手が、セサーカに熱を伝える。

 強く、優しく。


「……頑張ったの、ね」


 ご褒美に、口づけを。



「……ちが、う」

「違わないわ」


 もう一度。


 ずるい。自分が嫌になる。

 こんな風に言ったら、アヴィがセサーカを甘やかすのはわかっていて、なんてずるい。



「貴女は、私の命令に従って自分の役目を果たした」

「……」

「言ったはずよ」


 幼子を諭すように。

 なぜ覚えていないのかと、ほんの少しだけ責めるように。


「他の何を犠牲にしても、死んではいけないと」

「……」

「貴女が死ぬことは許さない。生きて帰りなさいと」


 ふるふると、首を振る。

 言っていない。そんな命令は一度も。



「悪い子ね、セサーカ」

「アヴィ、さま……?」

「私は確かに言ったわ。役目を果たして生きて戻ることを命じたの」


 どうしてこんなに、優しいのだろう。


「言って……聞いていません……」

「そう、じゃあ貴女が聞いていなかったのね」

「……」


 悪い子、ともう一度言いながら口づけを。

「難しいことを頼んだ。けれど貴女は、私の命令を果たしたの」


 アヴィは、ユウラのことも思って言っているのだ。

 生きて戻れと。どうしてそれを果たさないのかと。


 ユウラを責めることは出来ない。だけど、この上セサーカまで死ぬべきだったなどと言うのはやめてほしい。そういう。



「責めるなら、私よ。貴女に望まぬことをさせた……そう、奴隷みたいに」

「違います!」


 悲鳴を上げる。

 違う。絶対に違う。


「アヴィ様は……違います。私は……」


 奴隷などではない。誰が奴隷に向けてこんな温かい言葉をくれるというのだ。

 姉のように。母のように。

 あるいはそれ以上の何か。




「もう一度言う」


 セサーカの瞳を真っ直ぐに見つめて、おでこを当てて。


「貴女は私の命令を果たした。ちゃんと戻って来た」

「……」

「セサーカ、貴女は私の誇りよ。よく頑張ったわ」



 こんなに多くの言葉をもらうのは初めてだと思う。

 それだけアヴィも心に痛みを残していて、それだけセサーカはアヴィに大事に思われているのだ。


「……はい」


 抗えるはずがない。

 敬愛するアヴィがセサーカの為にここまで心を割いてくれて、首を振ることなど出来ない。



「その子の名前は?」

「……」

「知っているのなら教えて。私のセサーカを助けてくれたサジュの戦士を」


 私の。

 そう、セサーカはアヴィのセサーカだ。

 勝手に死ぬことは許されない。そういうこと。



「ウィネー」


 聞いていた。

 セサーカの手助けをと真っ先に言ってくれた、セサーカより年若の少女の名を。

 サジュのことなら詳しい。目の届かぬ路地も兵士が使いそうな大きな建物も。

 そう言って助けてくれた少女の名だ。


「ウィネー、ね」

「はい……ウィネーです」

「忘れないわ」


 涙が零れた。


「私も、その名は忘れない。それくらいしかしてあげられないけれど」

「……いえ……いいえ、アヴィ様」


 涙が止まらず、縋りついてしまった。

 報われたとは言えない。これで報いになるとは言えない。

 けれど、それしか出来なくて、それなら出来る。


「私も……私も、忘れません……」

「ええ、そうね」


 それきり、アヴィは何も言わずに、縋りついて泣くセサーカを受け止めてくれた。




 死のうと思った。

 この敬愛するアヴィの為に生きて、その為に死のうと。


 セサーカの命を使うのなら、アヴィの為でいい。それより他に使い道などない。

 そんな気持ちさえ迷惑なのかもしれない。だけど。


「アヴィ様……ありがとう、ございます……」


 臆病で卑劣なセサーカでも、アヴィの為なら何でも出来る。何でもしよう。


「貴女に拾われて、良かった……」


 望んで得られるものではない。

 心から、自分の全てを捧げたいと思えるような主など。


「私は……セサーカは、アヴィ様と一緒にいられて、幸せです……誰より、幸せですから」



  ※   ※   ※ 



 想いから逃げる。想いに囚われる。

 逆のことのはずだが、似ているのかもしれない。


 ユウラの想いから逃げ、目を逸らしたニーレの過ち。

 なら、一つの想いだけに目を向けて、他に目を瞑って正しい道を選べるのか。


 ニーレのような間違いはしない。大事なものは見失わない。

 ひどく一途な想いは、狂気や妄執のようにまた道を誤らせるのかもしれない。



  ※   ※   ※ 

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