第三幕 052話 緩んだ鍵_1



 イスフィロセという国は実力主義の傾向が強い。

 国土の狭い海洋国家としての色が濃い小国だったために。


 海では権威は役に立たず、実力や経験が何よりの頼りで、勘と運も重要だ。

 全く権威主義がないわけではないが、ルラバダール王国やアトレ・ケノス共和国と比較すればかなり差がある。


 ただ、人間というのは大抵、自らが得た利得は失いたくないと思うもの。

 自力で上まで登れば、今度はその場所を守ることを考えてしまう者も少なくない。


 コロンバを疎む軍の一部の将官は、自分が実力で彼女に打ち勝つことは不可能だと知っているからなのだろう。

 大味で血の気の多いコロンバの失態を探し、自らの力を磨くことを忘れる。


 兵士たちの人気は当然ながらコロンバに集まり、また自身の立ち位置を危うくするというのに。


 阿呆な話だ。

 コロンバの足を引っ張るより、彼女をうまく使って成果を稼ぐ方が良いだろうに。

 あるいはコロンバが女でなければ、そうした手を選んだ者ももっと多かったか。



 イスフィロセの将軍ライムンドは、決して個人として他を圧倒する資質があるわけではない。

 そうした自分の力を認め、自分より秀でた才を持つ他人を活用することで将軍の地位にまで上り詰めた。


 一応は勇者級などと称されるが、それは甘く見積もってという部分も大きい。

 実際には上位の冒険者の中で勇者に届くのではないか、というくらいの実力。勇者見習いというところ。


 この年齢――四十を過ぎて、勇者見習いという肩書も恥ずかしい。

 大抵の勇者、英雄と呼ばれる人間は、若い頃からその際立つ資質を発揮している。


 中年も過ぎてから勇者になるような者は、遅咲きのマダラスミレなどと言われる。


 秋に咲く花だが、時期が遅くなれば冬になり見る者もいない。

 また、まだら模様の花弁が、長い冒険者生活で傷の残る顔などを揶揄しているとも。あまり良い意味ではない。



 卑下しても恨んでも仕方がない。ライムンドは今の自分の持つ資質で勝負をするだけ。

 コロンバとの相性が悪くないことで侵攻作戦の指揮を任された。


 兵士たちの高い支持と確かな力を持つコロンバ。彼女にうまく働いてもらう為、あまり多くの口出しをしていない。

 コロンバだけでは不安な部分もあるが、グリゼルダが管理していればそうそう悪手になる心配もない。


 とはいえ、責任者はライムンドだ。

 不測の事態が起きた場合には自分の裁量で行動すると、コロンバやグリゼルダにも認めさせていた。




 就寝中だったので、初動は遅れた。

 だがそれも悪いことばかりとは言えない。

 仮住まいとしていた建物を出て異変に気が付く。


 地面が水浸しになっていたのは、二日ほど続いた雨のせいばかりではないだろう。

 春も中頃だというのに氷が張り始め、道が滑りやすくなっている。

 異常事態で、この異常事態はどう考えても影陋族の手口に違いない。


 影陋族が何を仕掛けて来たのか、この時点では判断がつかない。

 だが、対策は打てる。

 ライムンドは駆けて来た二人の供と、急ぎ日差し塔に向かった。



 日差し塔は背の高い建物だ。

 町の中央側にあるので、外に対する見張り台としての用途ではない。

 何かあった時に誰もがコロンバとグリゼルダを呼べるよう、目立つ場所に彼女らは寝泊まりしていた。

 他の理由もあるが。


 広い吹き抜けのような一階部分から、壁伝いに螺旋階段で登ればいくつかの部屋があり、その上は日差し塔の球を磨いたりする為の点検口。


 部屋の一つはコロンバたちが寝るように整えていた。

 別の部屋には、捕虜が一匹。

 ライムンドも興味がないこともないが、とりあえずコロンバから取り上げるほどの気もなく任せていた捕虜。


 影陋族が氷乙女と呼ぶ、連中の間での英雄級の戦士が。

 わざわざ作らせ持ってきた専用の拘束具で捕らえているのだから、コロンバはかなり執心のようだった。


 両腕両足を大きく広げ、裏表両面に人間二人を拘束できるようにしていたが。残念ながら捕えられたのは一匹だけ。

 強度については、制作時にコロンバ自らが試したと聞いている。



「っ!?」


 階段を駆け上がろうとしたところで足が止まった。



「……誰だ?」


 少し穏やかに訊ねてしまったのも仕方がない。

 ライムンド達よりも先に日差し塔に入り、階段に足を一歩かけていた少女。


 銀色の糸のような髪が、しゃらりと音を立てた気がした。

 わずかに差し込む朝日がその姿を照らすと、薄い色素の肌がきらきらと輝くように。

 およそ人間とは思えないような美しさ。



「影陋族、なのか?」

「……そうですね」


 素直に、ライムンドの質問に答えて階段から足を離す。

 町に住む影陋族にこんな娘がいたのだろうか。


 影陋族の外見的特徴とは大きく異なる。

 なのに影陋族かと訪ねてしまったのは人間に見えなかったからで、相手からは肯定の返答があった。


 それならそうなのだろう。

 わざわざ嘘をつく必要もない。白い首には呪枷もないから、町で軟禁していた中にいたのだろう。



 一応、家族を別々の建物に軟禁するよう住民全員を表に出させたはずだが、どこかに隠れていたのかもしれない。


 これだけの美しさなら、誰かしらが己の物にしようとしたはず。

 案外、ライムンドに隠匿していた者がいたとしてもおかしくない。その方が納得できる。




「ここで何をしている?」


 とりあえずの疑問を飲み込み、再度訊ねた。

 落ち着いている場合ではないのだが、たった一匹で逆らうような素振りもない。

 少し言葉を交わす程度ならいいだろう。


 あまりに落ち着いた雰囲気の少女に、ライムンドが取り乱す方が恥ずかしいような気がしたこともある。


 影陋族が何をしたところで、コロンバやグリゼルダを崩せるはずもない。

 この町で現状最も上の立場にある自分は、鷹揚に構えていた方が周りも安心するだろう。

 そんな気持ちもあった。



「オルガーラ様のお世話をと申し付かったので」


 捕虜の世話係だったか。

 美しさのあまりに飲まれて、やや張りつめていた気持ちが緩む。


 理解出来ないと思ったものが、納得を見ることで気が安らぐ。

 そういう理由か、と。



「ならば不要だ、下が……ここで待っていろ」


 どこかに行けと言いかけて、惜しい気がした。


 今まで見たどんな女よりも美しい少女。

 影陋族とはいえ、これはかなりの価値がある。最高級の美術品のようだ。


 どうせ影陋族。何をしてもいいのだし、ましてこの町は今はライムンドの支配下にある。ならばこれも。



「お前たち、この女を見張って置け」


 必要ないかもしれないが、不安だったのだ。誰かがこれを持ち逃げしてしまうのではないかと。

 信頼できる部下に確保させて、自分は本来の役割に向かう。


 この上にいる捕虜を――


「はっ!」


 部下たちも少女に魅入られたのか、素直にその指示を受けて姿勢を正した。

 この中で危険なことがあるはずもなく、上に行き戻ってくるだけの上官を待つだけのこと。

 その時間だけでも目の楽しみになる。



 敵意は見えなかった。

 影陋族なら大抵、人間に対しての嫌悪を隠し切れるものではないはずだと、ライムンドは警戒すべきだったろう。


 戦う気構えだとか悲壮な覚悟などなく、ただ人間の言葉に素直に従う姿。

 通り過ぎるライムンドに対して道を譲るのを確認して、その横を通り過ぎる。



 影陋族の女というのは良い匂いがする。

 通り過ぎる時に銀色の少女が香らせた。


 朝にはちょうどいいような爽やかな、花水木だろうか。そんな感じの。

 そしてその中に混じる微かな――



  ※   ※   ※ 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る