第三幕 027話 心、移り変わり_1



 皆が色々な準備をしているというのに、何をしているのだろうか。

 ふと疑問に思う。


 いや、逃げて行った人間どもが戻ってくる可能性もあるから、見張りというのも必要な仕事だけれど。

 鋭い視線で南を睨む大好きな横顔を見ながら、疑問に思う。



 ――どうしてニーレちゃんはわたしの手を離さないんだろ。


 手に平に温もりが伝わってくる。もちろん嫌いじゃない。

 ユウラは気配に鋭敏なところもあるから、見張りにも不向きではない。人選として間違っているというわけではないが。


 でも、砦の近くに人間が潜んでいないか見回るのに、手を握っているのはおかしいのではないか。

 口に出して離れてしまったら寂しいから言わない。だけど。



「近くに気配はない、かな」

「うん」


 少しだけ息を吐き、凛々しい表情が緩んだ。

 かなり前からわかっていたと思う。ただ何か、言葉を交わすまでの気持ちの整理をしていたようで。


「……ユウラ、疲れていない?」

「ニーレちゃんの方が疲れてるでしょ」


 そんなに、気を張って。

 そんな風に気を遣って。


「平気だ」

「そんなに心配しなくていいんだよ、ニーレちゃん」


 敵のことをではなくて、ユウラのことを。

 心配させるように仕向けた自覚はあるけれど、最近のニーレは特に過敏だ。ユウラを壊れ物のように扱う。

 触れたら砕けてしまう氷の花。そんな扱い。



「……」


 触れ合っている手の温もりが、なんだか遠い記憶のように不確かに感じられる。

 しっかりと握り締めているのに、そこにある熱は座っていた椅子に残っているだけのように。


「あ、ニーレちゃ――」

「ぅん、む……」


 不安が顔に出ていたのだろうか。不意にニーレの顔が寄せられ、口をふさがれた。


 優しく、強く。繋いだ手だけで足りないのならと、ニーレの気持ちを直接に伝えてくる。


 ここにいる。

 愛している。

 ユウラは愛されているのだと、確かに。



 ニーレは昔からそうだ。自分を押し殺してトワやユウラを守ろうとしてくれていた。

 トワを守りたいというついでに、だったのかもしれない。

 出来るだけトワが過酷な扱いをされないように、出来る範囲で自分の身を盾として。


 ユウラは、そのトワの隣にいることが多かったから、ニーレに庇われているという形が多かった。


 トワのついで。

 それでもいい。ニーレの献身に救われることもあったし、そんなニーレが好きだった。


 奴隷の身であれば、ユウラの好き嫌いなどなににもならない。

 だから、ただ、好きだった。



 解放されて、自由になってみて。

 自分の意思のままに物が言えるようになっても、言えなかった。

 ニーレの瞳に映っているのはトワのことばかり。儚くて美しい銀色の娘。


 特に目立ったところもなく、要領も良いとは言えないユウラのことは、二の次に。

 改めてそう認識して、辛かった。奴隷の時には思いもしなかったけれど、大好きなニーレが自分を見てくれないことが悔しくて、悲しくて。



 トワに相談した。


 最初は、善い子にしていればいつかは伝わるだろうと。

 いつかって、いつ?


 トワはニーレに対して恋愛感情を抱いていない。そのことは前々から気付いていた。

 ユウラが心配することはない。

 そう言われたけれど、不満は募る。言いたくないけれど、憎悪が積もる。

 そんな悪感情を、姉妹であり友であるはずのトワに感じてしまう自分が嫌だった。



 欲しいものを手に入れるのに、何を犠牲にするか。


 改めてトワと話した時に、ユウラは迷わず言った。

 何でも。

 何であろうとも、欲しいものを手に出来るのなら。


 そうして、手に入れた。

 この温もりを。

 この熱を。




「ん、はぁ……ニーレちゃん、お仕事中だよ」

「……ごめん」


 堪えられなかったと言うように謝る。

 耐えられなかったと言うように。


 ニーレの口付けは、愛情に根差してではない。

 怖れて、怯えて。

 ユウラがまた何を言い出すか、何を仕出かすかわからないと、その恐怖に囚われて口づけをする。


 蓋をするように。

 封をするように。



「……もうちょっと、しよ」


 それでもいい。何を代償にしてでも手に入れたいと思ったのだから。

 ニーレの温もりを感じられて、その瞳を独占できるのならそれでいい。


「はぅ、んっくぅ……」

「ん、ユウラ」


 やや低音の声で名前を呼ばれる。好きな声だ。



 大好きで、ずっと求めていたものを手に入れた。

 手に入れたはず。なのに。


 なのにどうしてなのだろう。

 確かに欲しかったはずなのに。

 その代償にユウラは何を失ったのだろうか。


 耳元で低く響く声は、ユウラの胸の中のなくなってしまった場所を探すように、とても遠くに聞こえた。



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