第三幕 002話 戦禍の大地へ_2



 それなりの数の魔物がいて、片付け終わる頃には日が傾き始めていた。

 倒した魔物も食料に出来るので、そのまま野営にする。


 ラッケルタと共に戦うネネランはウヤルカと並んで目立ち、その活躍を称えられて恥ずかしそうに俯く。

 自分の活躍が霞んでしまったと、エシュメノがやや膨れているのが可笑しい。

 一番の大物を仕留めたのはエシュメノだということは皆がわかっているのだが。


 ボスの魔石以外はラッケルタとユキリンが噛み砕いて飲み込んでいる。

 持ち運んでいては荷物が増えてしまう。それならそのまま力と出来る二体の糧とする方がいい。


 ボスの魔石は、何かの役に立つかもしれない。

 サジュについてからでも、武具などに活用できないか検討するよう保留とした。




 湖のほとりの町、サジュ。

 北西部にある清廊族の町。ルゥナの生まれ育った集落はそれよりもう少し南にあった。

 ずっと昔に行ったことがある。物資の運送に幼いながらに手伝いとして。

 クジャほどではないが大きな町だった。清廊族の守りの要。


 ルゥナの住んでいた村や他にもいくらかある集落は、サジュの南西に広がる湿地帯に。場所によっては底なし沼のような場所も。


 サジュの南東、ニアミカルムと湿地帯との間には、魔境溜腑峠りゅうふとうが。

 遥か昔、魔神の臓腑が落ちたと言われる場所で、大地から突き立つような岩山と、窪みに広がる沼。


 両手に鋏を持つ甲殻類の魔物が多く生息する魔境。足場の悪さと沼に潜む魔物という組み合わせで、何者も立ち入ることを許さない。

 空を飛ぶ魔物でも、粘ついた泥玉が猛烈な勢いで沼から放たれ、それらを撃つのだとか。


 清廊族でも立ち入れない魔境であり、もちろん人間の侵入も許さない。

 サジュへの侵攻を阻む要衝としてのそれは、別に魔物が意図しているわけではないだろうが、清廊族の助けとなってきた。


 湿地の方は人間でも入れるが、やはり足場が良いわけではない。土地勘のある清廊族が有利な地形。

 サジュまで行きオルガーラとティアッテ、そして彼女らと共に守り戦い続けてきた清廊族の精鋭と合流すれば、本格的な反攻作戦が現実となる。




「もう少しで……アヴィ?」


 目的への道筋が次第にはっきりしてきたと話しかけようとして、ふとアヴィの視線がどこか泳いでいることに気が付いた。

 野営の中、狩った魔物を焼いている仲間たちの方へ。


「……ネネランですか?」

「食べたことがある」


 ネネランのことを、性的にだろうか。

 唐突な言葉に理解が追い付かず、妙な方向へ飛んでしまった。

 なんだろう。ルゥナは自分がもしかしたら欲求不満なのかもしれないと恥じる。



「……言ったかしら。食べたことがあるの」

「ラッケルタのことですね」


 初めて見た時にそんなことを言っていた。


「美味しかったのだとか」

「母さんと食べたの」


 ああ、なるほど。

 魔物の肉を焼く火の揺らめく影がラッケルタの姿を照らしている。

 遠くを泳ぐように見えたアヴィの視線は、記憶を懐かしんでいたのか。



「……もうすぐ、母さんの望みを叶えられますから」


 この大地から人間を消す。

 世界から、人間を滅ぼす。

 伝説の魔物だった母さんが残した望みで、アヴィとルゥナの誓い。


「私の、望みだわ」

「アヴィと私の誓いです」

「……」


 瞳にラッケルタの姿を映したまま、アヴィは何も言わない。

 何を思うのか、ルゥナには推し量ることは出来ないけれど。



「……美味しかったの」

「駄目ですよ」


 何を思っていたのか、紡がれた言葉は思い出とともに喚起された食欲。


「ネネランが泣きます」

「尻尾、なら」


 なぜそれなら許されると思うのだろうか。生えてくるわけでもないだろうに。



「駄目です。ほら、鉤手暴駝の肉も美味しいですよ」

「……胸肉じゃなくてもも肉がいい」


 珍しく注文を付けられた。食べるものに。

 きょとんとすると、アヴィは少し口を尖らせて横を向く。

 まるで子供のよう。


「母さんは、私が食べやすいところをくれた」


 本当に子供のような理由だった。母さんは魔物なのに、そんな気遣いまでしていたのか。



「そう、ですか? 私はこれ、胸の肉も好きですけど」


 何というか、脂っぽさが違う。


「そっちはルゥナが食べていい」


 都合のいい言い方をするものだ。まあ好みが違うのも取り合いにならなくていいのかもしれない。



 昔のことを思い出して子供っぽくなるアヴィも可愛い。苦笑しながら、もも肉の焼いたものを用意する為に少し離れた。

 こんな我侭は初めて聞いた気がする。


 母さんはきっとアヴィを甘やかしていたのだろう。だとしたらルゥナも、出来るだけアヴィを甘やかせてあげたい。

 人間との戦いが終われば、もっと――



「……」


 人間との戦いが終われば、その先は。

 もう、こんな会話も出来ないのかもしれない。

 アヴィと共に進むことに迷いも後悔もないけれど、もし悔いることがあるのだとすればひとつ。


 笑顔を、取り戻してあげられないこと。



 アヴィの幸せは母さんと共に失われてしまった。

 時折、気まぐれのように浮かべる笑みもあるけれど。

 肌身離さない黒いマフラーに唇を押し当てながら。

 耳に揺れる耳飾りに触れながら。

 見られていることに気が付くとすぐに消えてしまう微笑み。


 もっと。もっとたくさん。いつも、いつまでも。

 そんな笑顔をアヴィに与えられないことが、ルゥナにとってひどく辛いひとつ。



「……」


 考えていても仕方がない。思い悩むよりも、とにかく目の前に迫ってきた人間との本格的な戦いに目を向けなければ。

 アヴィの希望するもも肉の、美味しそうに焼けたものを手にしてルゥナが立ち上がった。その時だった。



 ――っ


 遠くから、何か呼ぶ声が聞こえた。

 いや、さほど遠くはない。夕陽も落ちかけて薄暗くなってきた西の空。

 揺らめく影があった。



 気が付いた者がそれぞれそちらに目をやり、西から近付く影を指差す。


「……誰か、来ます?」


 薄暗いことと逆光になっていることで見えにくかったが、清廊族の女性だった。

 気持ちばかりが焦るのか、体は前に、けれど足は気持ちについていけずに引き摺るように地面を這って。



「どうした? おぬし、クジャの者か?」


 駆け寄って訊ねたのはメメトハだった。見覚えがあったのだろう。

 倒れそうな女に肩を貸して、ただならぬ様子に何事かと問い掛ける。


「め、メメトハ様……う、うぅ」


 相手もメメトハだと気が付いて安心したのか、唇を震わせて嗚咽した。



「何が」

「サジュが……」


 そこで言葉が途切れ、一度首を振る。

 信じられない事実を自分でも信じたくないと。けれど伝えなければならないと、もう一度上げた顔には涙が溢れ。



「サジュが、落ちました……っ!」



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