第二幕 056話 山の摂理_2



「いるもんじゃのう。いても不思議はないんじゃが」

「あれだけ魔物が押し寄せてきたわけですから、そうですね」


 気が抜けたようなメメトハとセサーカの会話。実際に何だか拍子抜けという感じもする。

 壱角という伝説の魔物が、こんな風に。



 勇壮なソーシャの姿が記憶にある。

 洞窟で遭遇した顎喪巨蟲は壱角ではなかったが、あれも通常の種から逸脱した個体。

 そういう物と比較してしまうと、他の針髪兎と紛れてしまうような個性の見えないそれが伝説の壱角だという事実に、肩透かしのような気分を覚える。


 壱角は変異種ということで他の同種とは異なる外見になりやすいと言うが、必ずということでもないのか。


 壱角だからと極端な戦闘力を持つわけでもない。山に帰せばそれでいいだろう。

 こんな生き物を殺して無色のエネルギーを貪るような真似をする必要もなかった。


「向こう側の壁を解きますね」

「お願いします、セサーカ。エシュメノ!」


 まだ何か針髪兎と話している様子のエシュメノを呼ぶ。

 何を話しているのか。壱角同士、何か通ずるところがあるのかもしれない。

 異種族の互いが心を通わせる光景も悪くはないのだが。


「出来れば、その壱角に。他の魔物たちも落ち着かせることが出来ないか頼んでくれませんか?」

「ん、わかった! ハミウサ、出来る?」

「……」


 個体の名前はハミウサというらしい。



 もにょもにょとやっている間に、セサーカが岩狼の待つ側の氷壁を解除した。

 ぱしゃっと溶けて崩れた水滴が岩狼にかかるが、気にした様子はない。


 ぶるっと体を振って水気を飛ばすと、用事は済んだというように、くるりと踵を返してとてとてと山へと走っていく。

 ハミウサの、おそらく壱角を通じた鳴き声を聞きつけて助けに来たのだとすれば、気の良い魔物だ。


 ルゥナ達には知り得ないが、魔物には魔物なりの関係があるのだろう。姉神の恩寵を受けた生き物として、不思議な共生関係が。

 あの岩狼は、暴走する針髪兎の群れを追っていたのかもしれない。止めようと。



「山の主、という奴かの。あれはまだ見習いのようじゃが」


 壱角などとは別に、そういう役割の魔物もいるらしい。

 あの岩狼も、いずれ千年を生きる伝説の魔物になるのかもしれない。

 清廊族の生活も、人間との戦争も関係がないことだ。ニアミカルムの山には自然の営みがある。



 山に向かって動き出した針髪兎の群れを確認して、氷壁を全て解除する。


「また会おう。ハミウサ、元気で!」


 手を振るエシュメノに、群れの中の一匹が振り返り、また進んでいった。

 見分けはつかないがあれがハミウサなのか。遠ざかる群れの中では、もう全くわからなかった。


「ハミウサ、というのですか」

「うん、エシュメノが名前あげた」

「……そうですか」


 このわずかな時の間に名付け親になっていたとは。

 安易に名前などつけてよかったのかわからないけれど、壱角同士の間では納得出来ているようなので問題はないのだと思う。



「飼う……あれと共に過ごしたいとは思わなかったですか?」


 聞いてしまってから、少し後悔する。

 無神経だったかもしれない。エシュメノの気持ちを知りたいと思って、つい。


「ハミウサは山で暮らす方がいい」


 気にした様子はなく、姿が見えなくなった針髪兎の群れの方を見たまま答える。


 当たり前のことだ。

 山の魔物は山で暮らす方がいい。考えるまでもない当たり前のこと。


「でも友達になったから、また会える。たぶん」

「……そうですね」

「そんなものかのぅ」


 ニアミカルム山脈は広い。環境も優しいわけでもない。

 あまり力強い種族ではない針髪兎と再び会える機会があるだろうか。メメトハの疑念もわかる。

 根拠はなさそうだがエシュメノの顔には確信があるようで、そんな自信がルゥナには羨ましい。



 ルゥナが無思慮に聞いてしまったのは、別の不安に起因している。

 アヴィのことを重ねてしまったからだ。

 通じ合っているのかいないのか、よくわからなかった間柄だったので。

 エシュメノとハミウサ。ルゥナとアヴィ。


 アヴィとは近付いた。アヴィはルゥナを受け止めてくれた。

 特別な関係でいることを認めて、確かにしてくれたと思う。

 なのに、不安を感じる。

 アヴィがとても遠くにいるような気がして。まるで違う時間を生きているような気がして。


 表情がわかりにくいのは最初からそうだけれど。

 ずっと一緒だと誓った。誓い合った。薄暗い洞窟の中で。

 人間を滅ぼして、そして母さんの所に行く。

 一緒だと誓い共に歩んできた。身を捧げて、受け取ってもらえた。


 なのにアヴィの心を遠く感じる。

 ちょうど山に去っていくハミウサの背中のように、遠ざかってしまうような。


(……危険が去って、このゆとりの中で我侭になっているだけですね)


 厳しい戦いの中では考えなかった余計な不安が、ここにきて溢れてきてしまった。


 きっと、アヴィは変わっていないのだ。

 最初から同じで、人間を滅ぼして母さんの所に行く。それだけが目的。


 ルゥナのことは、伴侶として必要と考えているわけではない。共に母さんの恩寵を受けた姉妹として、共に誓いを果たそうと。

 それを愛情のように勘違いしてしまったのは、ルゥナの思い違い。


 ルゥナとて、自分の目的の為にアヴィを利用している。

 人間を滅ぼして清廊族を救う。それがルゥナの願いで、アヴィの力は都合が良かった。


 アヴィを愛する気持ちは本物だ。それは疑わない。

 トワに揺れる心は、恋心。

 浮気心、という方が正しいかもしれないが。

 トワだって弁えているはず。使命から外れた寄り道の、甘い気持ちだと。


 ルゥナの心身はアヴィに捧げ、アヴィと共に進む。最後まで。

 それを確かにしたかった。ルゥナの気持ちをアヴィは受け止めてくれたのに、何を不安になるのか。

 切り捨てられることなど有り得ない。

 離れることがあるとすれば、それはルゥナが先に死ぬ時以外にはない。




「これで少しは山も落ち着くといいんじゃが」


 いまだ遠くを見やるエシュメノの隣でメメトハが嘆息する。魔物騒ぎが治まらないとクジャの復旧もなかなか進まない。

 エシュメノは、山で暮らすべきだと言ったものの、やはり通じ合った壱角のことが気になるのか、小さく頷きながら聞いている様子ではなかった。


 山が落ち着くようであれば、冬になる前にルゥナ達にはやりたいことがある。

 クジャ近くの魔境に出向いての鍛錬。

 今回、クジャに現れなかった種類の魔物が住む魔境。そこに出向いて鍛え直すことと、魔石の確保を。


 ラッケルタとユキリンは、魔石を食らえばそれに応じて強くなる。先日の襲撃後も、町に過剰に残った魔石を食べている。

 ルゥナ達もまた、魔物を倒せば強くなれる。


 無闇に魔物を殺すことは忌避するが、人間との戦いを考えればそうとばかりも言っていられない。


 清廊族は、アヴィのような例外がなければ、魔物を倒しても大きく力を増すこともなかった。生まれつきの資質による部分が大きく、魔物をやたら殺す理由がなかったとも言える。

 今のルゥナ達はアヴィから受けた恩寵により、人間以上に魔物を倒すことで得られる力が大きい。


 針髪兎のような力弱い魔物を虐殺するのはやはり気が進まないが、魔境にはもっと脅威になり得る魔物が多くいる。山の魔物が減ったことでそれらが溢れ出す危険も考えられた。


 強くなるために好き嫌いを言えるほどの余裕はない。

 カチナとパニケヤの指導もあるが、基礎的な力ももっと必要だ。



「ルゥナ、悩みすぎじゃ」


 黙り込んでいたルゥナにメメトハがかけた言葉は、心をほぐすように。

 共感という力は、何かしら近くにいると感情の色が伝わってしまうのだとか。メメトハは未熟だとパニケヤは言うが。


「姉神は責めはせんよ」

「……そうですね」


 生きる為に魔物を殺す。生きる為に、人間を滅ぼす。

 その戦いを気に病むのは、未来を手にしてからにしよう。清廊族はこれまでに多くのものを失ってきたのだから。


 そう考えればちょうどいい。

 全てを片付けたら、アヴィと共に母さんの下に行く。

 奪った命のことも、戦わせた彼女らのことも。全部ルゥナが背負ってしまえばいい。

 問われる罪などがあるのなら、全てルゥナの手に。



「……山は、いいですね」


 ただ自然のまま。生きるも死ぬも全てに理由もなく、それが摂理。

 清廊族と人間の関係とはまるで違う。何の歪みもない。


「うん」


 ニアミカルムの娘は、遠くの峰を見やったまま今度は聞いていたようで、しっかりと頷いた。



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