第二幕 045話 密偵の立ち回り_2



 数日前の出来事だ。

 思い出せば、また涙が滲む。


「あ、あんなことしておいて……」


 記憶を辿ると、また体が熱くなってしまう。

 ノエミだけではない。マルセナも加わっての責め苦は、苦ではなかったから。


 ノエミは困った顔でイリアに手を伸ばした。

 頬に触れて。



「ですが、悦んでいただけたかと」

「……っ」


 身を縮めて顔を逸らす。

 あの後、マルセナも興が乗ったのか熱く応じてくれたので、それを嬉しく受け入れてしまった。

 口では嫌だやめてと言いながら。


 イリアの様子にマルセナは満足したのか、ノエミにまた望みを聞いた。

 それに対するノエミの答えは、イリアに触れる許可を。

 マルセナの命令で、イリアはノエミが触れてくることに抵抗できない。



「マルセナ様にも、イリア様にも。悦んでいただけたと思うのですが」


 首筋から襟の中に指をなぞらせながら、ノエミは澄ました顔で悪くなかったでしょうと言うけれど。


「やめ、なさい……よ」


 ぞくりと体を震わせながら、言葉だけは抵抗する。


 マルセナの命令さえなければ、こんなことは許さない。

 イリアの体を自由にしていいのはマルセナだけだ。



「嫌わないで下さいませ、イリア様」


 意外と素直に、ノエミは手を引いた。


「私はイリア様に悦んでいただきたいのですから」

「こんな、ことして……何を」

「お慕い申し上げております、イリア様」


 勝手なことを。



 ノエミの気持ちなどイリアの知ったことではない。

 マルセナではない者に触れられるなど、イリアにしたら苦痛なだけだ。


「……私は、あんたが嫌いなの」

「それでも私はイリア様が好きですから」


 イリアの気持ちもまた、ノエミには関係ないのか。


「マルセナ様からのご寵愛をイリア様に感じていただけたと、我ながらうまくやったつもりなのですが」


 自分の欲望を果たすついでに、マルセナからイリアへの行為をもたらした。

 その事実は、確かにイリアも認める。



「イリア様は、マルセナ様に冷たい言葉をいただく時、どう感じられますか?」

「どう、って……そんなの決まってるじゃない」


 寂しい。悲しい。つらい。

 こんなに愛おしく思っているのに、どうして。


 言葉にしなかったイリアの気持ちに向けてノエミは頷いた。



「同じだと、思っていただけませんか?」


 澄ました顔が、少しだけ自嘲的に歪む。


「私も、イリア様に……嫌いだと言われたら」

「……」



 ずるい。

 そういう言い方をされたら罪悪感を覚える。


「決して、マルセナ様に取り入ろうだとか、イリア様に淫らな欲求を押し付けようなどとは致しません。ただ」


 身の丈を越える願いなどしないから、ただ。


「ほんの少しだけでも、好いたお方の近くにいたいと。それだけです」



「……なんで私なのよ」


 理解が出来ない。

 イリアの外見は悪くはないかもしれないが、冒険者生活が長く性格は尖っている自覚がある。

 好かれる理由がない。


「なぜと仰られても……イリア様はなぜマルセナ様をお慕いしているのか、言葉に出来ますか?」

「それは……」


 どうしてマルセナを愛するのかと言われても、言葉にしにくい。


「マルセナだから、よ」

「それも同じです。イリア様だからです」


 ずるい。

 やはりこの女はずるい。


「こういうことに理由は、考えれば色々とつけられますが。そういう言葉よりも何よりも、惚れた結果が理由のようなものですから」

「……わかったわよ」


 別に好かれること自体が不愉快なわけではない。

 恩も、ないこともない。

 肩掛けショールのこともそうだし、マルセナの噛み跡のことも、恩に感じないわけではないのだ。



「……嫌いだって言ったのは、ごめん。でもマルセナの見ていないところでこういうのはやめて」


 浮気をしているような気分で落ち着かない。

 当のマルセナが許可していることでも、イリアの方の気持ちが整理できない。

 ほんの少しでも、心地よいと感じてしまうこともまた嫌なのだ。

 マルセナが優しく触れてくれることは、あまりないから。



「イリア様のお望みであれば」


 嫌われたくないと言ったのは本心だったのだろう。

 素直に承諾するノエミに安堵した。

 その気になれば、彼女はイリアの体をどうにでも出来る許可を得ている。



「……冒険者の方は、こういうことに開放的なのかと思っておりましたが」


 承諾したものの、少し残念そうに微笑むノエミ。

 他人との肉体的な接触に積極的なのかと言われれば、特に年若い冒険者にはそんな傾向もある。


 イリアとて、過去にはそんなこともあった。


「今はマルセナのことだけだから」

「一途なイリア様のお気持ちは存じております。一般論です」


 マルセナ一筋であることを言われて、ちょっと照れ臭い。

 昔のことを思えば、自分も変わったものだと。


「冒険者って言っても色々だから。趣味も性癖も」

「異性も同性も、色々と?」


 まあね、と頷く。

 流れ者で無頼な者も多い。都合が悪くなればまた流れればいいと、行きずりの関係を結ぶ者も少なくない。


「気持ち良ければなんでもって奴もいれば、純な奴もいるし」


 言って見てから、ふと思い出す。



「パーティメンバーに、人間の女相手は駄目ってやつがいたわね」


 同行していた闘僧侶。既に死体を確認しているラザムの性癖だ。


「人間の女……男色の方ですか?」


 ノエミの推測に首を横に振った。


「そうじゃなくて、奴隷相手だけって。影陋族専門の娼館なんかに出入りしてたみたいだけど」

「それはまた業の深い」


 名ばかりかもしれないが僧侶だというのに、異種族の奴隷相手にしか性欲を抱かないなど。

 どういう過去があったのか知らないが、確かに変わっている。



「それが、例の勇者ですか?」

「あ、ううん別の……シフィークは、逆だったわ」


 マルセナと敵対しているシフィークの名前を、変に隠すのもおかしいかと思って口にする。

 ついでに、あれの悪口も。


「女癖は悪かったけど、人間の若い女にだけね。そのくせ影陋族の奴隷がほしいって言って」


 そう言えば、西部でのシフィークの目的の一つは、影陋族の奴隷を捕えることだったらしい。

 その為に軍の作戦に参加して、影陋族の集落で一匹の奴隷を得ていた。



「捕まえたのはいいけど、今度は野生の影陋族なんてどんな病気があるかわからないって。だったら最初から牧場で買えばいいのに」

「案外と小心者なのですね」

「意外でもなかったかな。私も結構脅したけど」


 昔の仲間で今の敵であるシフィーク。その昔話に弾む会話。



「あ……」


 つい、談笑してしまった。

 ノエミに対する警戒心や敵愾心を失くして。

 バツが悪くなって口を閉ざすと、ノエミはわかっていると言うようにゆっくり瞬きをする。


「イリア様の過去のお話、気が向いた時で結構です。また聞かせて下さいませ」



 ノエミは、上手なのだ。

 自分の立ち位置を作ることが。

 会話の中で自然と、相手にとって不愉快でない距離に立って応対することを得意としている。

 だから密偵などやっていられるのだろう。



「……まあ、その。気が向いたら」

「はい、是非に」


 微笑むノエミに対して、やはりもう敵意は涌かない。


 肩掛けショールの相談をした時にもそうだったが、ノエミは今までのイリアになかったタイプの知己だ。

 戦闘技術ではイリアに及ぶべくもないが、その知識や機転は頼りになる。

 優しい姉のような人がいたら、こういう感じだったのかもしれない。


 マルセナとは違う形で、心の近くにあっても不愉快ではない。

 いや、多少なりイリアの気持ちを安らいでくれる。

 マルセナは、こういう種類の人ではないので。



「その……また、相談してもいい、かな? マルセナのこと」


 先日、ノエミはマルセナから褒美を与えられた時に、自分のことだけでなくイリアも悦べるようにと気を回してくれたのだろう。

 彼女自身の欲求もあったにせよ、イリアがマルセナと触れ合えるように。


 いつも真っ直ぐにマルセナに求めを言って、すげなく返されているイリアには出来ない立ち回り方。

 性格的な部分でイリアに苦手なことを、補ってくれるのではないか。


「イリア様のお役に立てるのであれば」


 心から嬉しそうに答えてくれるノエミは、やはりイリアの心に安堵をくれた。



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