第二幕 044話 密偵の立ち回り_1



 ノエミの顔を見た瞬間、びくっと、体が硬くなった。

 それから顔が熱く、体の芯も何かを思い出して熱くなる。


 イリアの態度を見れば色々とわかっただろうに、だがその相手は表情に出さない。

 身を守るように両手を胸の前に抱えて、睨んだ。



「……何よ」

「魔物の襲来も少し落ち着いたので食事をと、御準備いたしました」


 しゃあしゃあと、澄ました顔で。

 イリアを泣かせたくせに。

 裏切ったくせに。



  ※   ※   ※ 



 山から魔物があふれ出てくる前のこと。

 真夏に肩掛けを贈ったのは、確かにおかしかったかもしれない。


 最初は防具を、と思った。

 マルセナが少しでも安全になるのなら。

 だけどそれでは無骨だし、いかにも冒険者的な考え方だ。


 ノエミに相談したら、それならショールのような肩掛けで火に強い素材をと提案を受けられた。

 相談してよかったと思う。

 彼女は密偵として領主に仕えていたので、幅広い知識とセンスがいい。


 クロエは駄目だ。

 あの女はきっと、イリアが贈り物をすると知れば、自分がもっと良い物をと考えるに違いない。

 マルセナに好かれたい、と。


 その辺はノエミは違う。弁えている。

 マルセナの命令に従いその身も差し出すけれど、寵愛を受けようと媚びを売り込むことはない。

 冒険者稼業が長かったイリアにとっては、今までにないタイプの知人になった。



 だというのに、裏切られた。

 イリアの信頼は、簡単に裏切られた。



「イリアは、貴女にご褒美をと言いましたわ。そして貴女は褒美にイリアを望んだのでしょう」

「はい、マルセナ様」


 ノエミの声は、イリアのすぐ背後から。

 密着して、首筋に息がかかるほど近くに。


 いやだ。

 マルセナの見ている前で別の誰かにこんなことを。

 見ていないところでも嫌だけれど。



「イリア、わたくしはノエミにご褒美をあげないといけませんの。そうでしょう?」


 だからって、こんなことを許せない。


「マルセナ、違う。私がマルセナに喜んでほしくて」

「ええ、イリアの気持ちは嬉しいですし喜んでいます。イリアはそれで十分だと言いましたわ」


 確かに、そう言った。

 喜んでもらえたらそれで充分、褒美ならノエミに。

 そう言ってしまった。


「でも、私はマルセナのものなんだから。こんなの」

「あらあら、イリアったら」


 おかしそうに、くすくすと笑われる。


「わたくしのものを、わたくしがどうするか。別にいいのではありません?」



 泣きたい。

 いや、もう泣いている。

 涙を流して、いやいやと首を振って見せる。

 笑うマルセナに、考え直してと訴えた。



「マルセナは……マルセナは、私が……」

「愛していますわ」


 欲しい言葉をかけてくれるけれど。


「約束、ですから」


 それは心からという意味ではないのではないか。

 ただ約束したから、義務的に。

 イリアを捨てずにいてくれるだけなのでは。



「どうしたら、イリアはわたくしの気持ちをわかってくださるのかしら?」


 呆れたように言って、溜息を吐く。

 その姿さえ愛おしい。



「僭越ながら、マルセナ様」

「何かしら、ノエミ」


 まだ何かひどいことを言うのか、この女は。

 警戒するイリアに、少し寂しそうな笑みで頷いてみせた。


「私は、イリア様に悦んでいただきたいのです」

「そのようね」

「お手を……いえ、お口を、お借りしてもよろしいでしょうか?」


 何を言い出すのかと思えば、マルセナに向かってずけずけと要求を出す。



 言われたマルセナは特に怒りもせずに、興味を抱いたように小首を傾げた。


「イリア様は素直ではありませんので。きっと言葉では嫌がられますが、マルセナ様の愛をその身に感じればお悦びになります」

「あら、それは……」


 ノエミが、抵抗を許されないイリアの体を開いた。


「どうぞ、少し痛むくらいに噛んで差し上げていただけたら、と」



  ※   ※   ※ 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る