第二幕 023話 見ているもの。見てきたもの



 クジャには三名の長老がいると聞いていた。

 背筋が伸びているというのは、農作業などに従事していないという見方も出来る。

 腰を屈めて作業をすると背中や腰に負担がかかり、年齢と共に曲がってしまうものだから。


 真っ直ぐな姿勢でルゥナ達を見る長老たちの視線は鋭い。

 二名の老齢の男女。

 清廊族のまとめ役として上に立ち指示を出す役割を、長いこと務めてきたはず。




「あまり感心しませんね」


 老女の口から洩れたのは、硬く冷たい声音だった。


「力を見せて要求を通そうなどというのは」


「メメトハから、長老に取り次ぐ条件として力を示せと言われたのです」

「だとしても、このクジャに来て性急に話を通そうとしたことは事実でしょう」


 ルゥナとすればこちらにも言い分がある。

 言い分はあるが、確かに言われることは事実だ。


 訪れた初日に、長老に会わせてくれ、話をさせてくれと。

 逆の立場から見て、その態度が性急でやや強引だったと言われれば、それは否定できない。

 反論したいが、それも心証を害するかと考えると言葉が出てこない。



「カチナよ。長い逃亡生活を過ごせば、気持ちに余裕がないのも仕方あるまい」


 男の長老の方が、少しだけ宥めるように女性――カチナに言葉を掛けた。


「メメトハの方にも問題がなかったとは言えぬ」

「困ったものですが、そのメメトハに何かあれば清廊族の未来が潰えることも有り得ました。この者らの行いは軽率です」


 長老カチナの姿勢は崩れない。

 軽率だというのならメメトハも同じなのに。

 同じだとしたら、見知らぬ余所者と氷乙女のどちらの側に立つのか。

 そう考えたらカチナの立場は明らかだ。



「西部での戦いの支援を希望すると言うことですが」


 男の方も、別にルゥナの味方をしようというのではない。

 重い空気のまま話が進む。


「これまでも、何度となく要請はありました。西部を助けてくれと」

「それでは――」

「自分の見ているものだけで判断するのではありません。イザットのルゥナ」


 ルゥナの言葉を遮り、淡々と続けた。



「有志を募り、必要なだけは送り出しています。蔑ろにしていることなどありません」


 事実なのかもしれないが、拒絶の意思として響く。

 これ以上話すことはない、と。

 ルゥナは唇を噛んで長老カチナを睨む。



 最初の印象が悪い。

 ルゥナ達の要求は過去にも聞いたような話であり、それを無視しているという前提で話してしまった。

 仲間たちの中ではルゥナが一番経験豊富ではあるが、ルゥナも若く交渉事が得意なわけではない。

 まずい伝え方だったと後悔するが、いまさらどうにも――



「視野が狭いのはあなたの方だわ」


 アヴィが口を開いた。

 手詰まりになったルゥナを庇うように。


「アヴィ……」

「自分たちの見ているものだけで判断しているのはどちらかしら」


「アヴィ、もう」

「続けなさい」


 これ以上関係を悪化させたくないと止めようとしたルゥナだったが、カチナが促す。

 生意気に意見しようというアヴィに、ひどく冷たい視線を向けて。



「西部を助けてほしいだなんて言っていない」


 アヴィが臆することはなかった。

 真っ直ぐに、ただ言いたいことだけを言葉にする。


「清廊族の勝利の為に。全ての同胞が穏やかに暮らせるように戦う。その為に戦う時が今だと言っているのよ」


 ぴくりと、カチナの瞼が痙攣した。


「クジャがどうだとか、西部が、南部が。そういう話じゃない。カナンラダ全ての人間どもを殺す。ちゃんと生きられる世界を取り戻す為に私たちは戦う」


 アヴィの言う通りだったが、やはりルゥナの視野は狭かったのだと思う。

 ルゥナは西部出身で、そこに思い入れがある。

 現状で最も厳しい西部の戦いに気持ちが行っていたのは間違いない。


 アヴィは違った。

 人間全てを滅ぼす。

 世界を取り戻す。

 西部のことは通過点に過ぎない。



 改めて感じた。ルゥナはアヴィを見誤っていると。

 物心つくかどうかの頃から奴隷として生きてきたのだから、もっと目の前のことしか見えないものだと思っていた。

 復讐心のこともそうだ。

 目の前の復讐対象だけに気を取られるかと思えば、そう短絡的でもない。


 目の前の一人を殺すことよりも、より多くの人間――全ての人間を殺す道を選択できる。

 子供っぽいところもあるけれど、感情に振り回されて道を見失うことがない。

 感情を殺して……感情を、失くしているような気さえする。



「セサーカは少し前まで戦ったこともなかった。それが今は氷乙女だとかいうあの女に勝つだけの力を手にしている」

「その話が本当なら、驚くべきことです」


 長老たちはセサーカの過去を知らない。

 法螺話だと思われても仕方がないことだが。


「事実や。ウチもクンライからここまででわかったけぇ」


 ウヤルカがアヴィの言葉に大きく頷いてみせた。


「信じらりゃぁせん話じゃゆぅて思う。じゃがほんまの話なんよ。ウチも二十日ばかりでつようなって、驚いたたばけたけぇ」


 拳を作りながら、自分の力が信じられないという目で言うウヤルカに、長老たちも真実味は感じたようだった。

 ウヤルカは作り話を出来そうなタイプではない。


「虚実はともかく、この者らがメメトハに並ぶほどの力を持っているのは事実じゃな」

「だとしても、人間全てを倒すなど……」


「おかしいわ」


 否定的なカチナの言葉に、アヴィが短く切り込んだ。



「氷乙女は英雄と呼ばれる人間と同等の力がある。そう聞いている」

「……」

「私も見てきた。人間の英雄が戦う姿を。あれを殺すには普通の者なら数万の犠牲が必要になる」


 ソーシャがいたから逃げられた。

 伝説の魔物であるソーシャだから、あの英雄ビムベルクと互角以上に戦えた。

 その姿を忘れることなどない。


「私たち皆が氷乙女と同等の力があれば、人間を駆逐することは出来るわ」

「……何が言いたいのです?」


 冷たいだけだったカチナの顔に、苦々しい感情が浮かぶ。

 男の長老は、やや気まずそうに額に手を当てた。


「メメトハ。あれは氷乙女じゃない」


 彼女はそう名乗っていた。

 事実、かなりの使い手だとも見えた。

 けれど圧倒的な、絶対的な強者ではない。

 氷乙女ではない。



「私はティアッテの戦いを見たことがあります」

「……そうですか」


 呟きながら、カチナが目を閉じる。

 返答をすべきかどうか、それを判断する為に。


 次に目を開けた時には、既に迷いはなかった。


「その通りです。クジャに暮らす者の安らぎの為に氷乙女を名乗らせています」


 皆が安心して暮らせるように。

 仮初でも、そういう心の支えとして。


「欺瞞だわ」

「いずれは氷乙女に届く力を持つでしょう。メメトハは……氷巫女ひみこです」


 誤魔化すことよりも、事実を明かすことを選んだカチナの言葉だが。



 氷巫女。

 聞いたことはない。

 ルゥナの知識にはない言葉で、ウヤルカを見てみるが彼女も首を振った。


「他言は無用です。あれは氷巫女を継ぐものですから」

「……もう一人、御不在の長老と関係が?」


 継ぐ、というからには、その先達がいることになる。

 ルゥナの推測に、カチナは静かに頷いた。


「先ほども言いましたが、メメトハに何かあれば清廊族の未来が失われると」


 それが氷巫女。

 氷乙女以上に、清廊族の存続に関わる存在なのだとすれば、いったい。


「今は不在の長老……氷巫女パニケヤはニアミカルム山脈の真白き清廊にいます。私たちが代理を務める時以外は」


 室内からは見えない、この南に聳えるニアミカルムの峰に顔を向けるカチナたち。

 ルゥナ達の視線も、同じように向かう。

 ソーシャが駆けたはずの峰々に。



「……真なる清廊の魔法」


 アヴィがぽつりと言った。

 ぎょっと、長老たちの目がアヴィに突き刺さる。


「どこでそれを?」

「なぜ知っているのです」


 驚き、責めるように。


 ソーシャが言っていた。

 ニアミカルム山脈は越えられぬ。

 もう長く、真なる清廊の魔法で閉ざされている、と。


「まさか、人間がそれを……?」

「違います。先ほども説明しましたが、千年を生きるニアミカルムの三角鬼馬から聞いたのです。真なる清廊の魔法で閉ざされていると」


 知っているはずがない知識をなぜ得ているのか。

 驚きは怖れと変わり、怖れから敵意を産もうとした誤解に弁明する。


 氷巫女の存在と共に伏せられていたはずの事柄だったのだろう。

 そこまで伝えるつもりはなかったのに、こちらはその言葉を知っていて、氷巫女の役割と結びつけられた。


 どこでその知識を得たのか。

 人間がそれを知っているとすれば、由々しき事態だと。


 ルゥナの言葉を受けて、動揺は残るものの、多少は落ち着きを取り戻した。



「伝説の魔物……ならば、知っていても不思議ではありませんか」

「この者らの言葉、信ずるに値するやもしれん」


 長老たちの胸中に変化を産む。


 ただの力自慢の田舎者というわけではない。

 伝説の魔物の言葉を聞き、誰も不可能と思えた苦難を乗り越えてここまで来た。

 法螺話ではなく、少しは話を聞いてもいいのではないか。

 そんな風に。



(アヴィ……)


 ルゥナの判断ミスを、アヴィが助けてくれる。

 頼もしい。

 戦いの中だけでなくこんな風に助けられて、自分が情けないこともあるけれど、その背中を見られることが嬉しい。



「……しばらくクジャに滞在なさい」


 考える余地があると。

 風向きが変わり、ルゥナの中で閊えていたものが外れた。


 これでやっと、前に進める。

 検討の結果、協力を得ることが出来なかったとしても、もうそれは仕方がない。



「ありがとうござ――」


「違うわ」



 今日はよく言葉を遮られる日だ。

 先ほどは長老カチナに。今度はアヴィに。

 話がうまく進みかけたというのに、アヴィの表情は厳しく長老たちを捉えている。


「何ですか?」


 不満そうなアヴィに、カチナの眉が寄せられた。

 ひどく不愉快だというようなアヴィの表情に、ルゥナも不安になる。



「あなたたちは、清廊族の長なのでしょう?」


 確認するというよりは、自覚させるように言葉にする。


「……取りまとめる代表ではあると思っていますが」

「それならば」


 ずい、と。

 ルゥナの腰に手を回して、前に出された。

 長老たちの目の前に。



「感謝の言葉があって然るべきよ」

「……」

「誰にも出来なかった。人間どもから仲間を助け出してここまで連れて来た。ルゥナは頑張ったわ」


 責める言葉や、拒絶の言葉はたくさんもらったけれど。


「清廊族の代表だというのなら、労わりの気持ちの一つもないのは、違う」


 褒められたくてやってきたわけではないけれど。



「絶対に、違う」



「……カチナよ」

「恥ずかしいことです。このような若者に諭されるまで気付かぬとは」


 初めて、長老たちの表情に優しい色が浮かぶ。

 申し訳なさも含んだ雰囲気で、和らいだ。




 長老たちの感謝と賛辞は、耳に入ってこなかった。

 アヴィの優しさで胸がいっぱいになり、溢れる涙を堪えられずに、ほとんど聞こえなかった。


 ルゥナは頑張った。

 自分だけの成果ではない。だけどアヴィがそう言ってくれて、それが誰かに認めてもらえて。

 褒められてこんなに嬉しいことなど、幼い頃以来に覚えのない充足感。


 アヴィがくれた。

 戦う力も、仲間たちも、この成果も。

 ルゥナに必要なものは、全部アヴィがくれたものだった。



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