第二幕 021話 意地悪と意地張り_1



 氷乙女。

 清廊族の中に稀に産まれる、戦いに長けた者。

 希望であり、象徴。

 自分もそれだと、恥ずかしげもなく。



「ならば……」


 メメトハを怒らせない方が得策。

 そう思っていたはずのルゥナの考えが、一言で消えた。

 心が制御を離れてしまう。


「なぜ、こんな所に……なぜ戦わないのですか」


 非難の言葉が漏れる。


「西部では、たくさんの清廊族が戦っているのに……」


 怒りが溢れる。


「南部では、多くの仲間が苦しめられているのに、どうして!」



 我慢できなかった。

 拳を震わせて詰め寄ろうとするルゥナを、今度はミアデが抑える。


「無礼者!」

「メメトハ様になんと」


 従者の少女二人が間に立ち、ルゥナを叱責した。



「これだから田舎者は困る」

「西部には十分な戦力を出している。このクジャを守ることも清廊族全体を見てのことです」

「貴女達が何を守っていると……」

「ルゥナ、やめぇ」


 ウヤルカの言葉は、静かだったが、ルゥナの口を閉ざすくらいの重さがあった。


「クンライやヤフタも同じやね。そこで暮らすのも楽なわけじゃないけぇ」

「それは……わかります、けど」


 ここまでに見てきた清廊族の集落と同じく、クジャに暮らす人々にも脅威がないわけではない。

 やることがない、などと断じられるほどにルゥナもクジャのことを知らない。



「それでも、私は……」


 認めたくない。

 戦う力があるのに、こんな場所で、こんな恵まれた暮らしをしていて。


 西部では、ほとんど靴を脱がない。

 いつ敵が襲って来るかと考えれば、いつでも駆けられるよう備えるのが当たり前だから。

 奴隷として暮らす清廊族は、靴を与えられないことも多い。


 外敵から守ってくれる壁の中で、肌触りの良い絨毯の上で暮らすことなど、知らない。

 こんな贅沢を。


(……羨ましいだなんて、思いたくない)


 悔しい。

 悔しくて妬ましくて、でもやはりそれは羨ましいという気持ちで。



「ルゥナ、大丈夫」


 口を開いたら恨み言になりそうで、沈黙するルゥナの背中にアヴィが手を添えた。

 時折、本当に時折だけれど、アヴィはやけに大人びた雰囲気を見せる。


「西部で戦っている清廊族はわかっている、でしょう?」


 そうだ。

 ルゥナの気持ちは、このクジャで暮らすメメトハ達にはわからないかもしれないが、西部の仲間はわかっている。

 アヴィは、わかってくれている。



「……わからない者には、わからないわ」


 淡々としたアヴィの言葉に、再び従者たちの目が吊り上がった。

 馬鹿と話していても仕方がない、という態度に。


「無礼な」

「人間などに玩具にされた者が大口を――っ!」



 ぞくり、と。

 隣にいたルゥナは、真夏だというのに背筋が凍るほどの寒気を覚えた。


「な……」


 罵声の途中で凍り付いた従者の少女は、その口を閉ざすことが出来ない。

 アヴィの瞳と全身から発せられた冷気は、室内の温度を一瞬で氷点下にしてしまう。


(魔術杖もなしに……)


 いくら氷雪系の魔法は得意な系統だとはいえ、まともな詠唱も魔術杖もなしでこんな真似は普通ではない。

 そして、これは敵対行為だ。

 今の一言にそこまでの怒りを覚えて?



「私たちの過去を侮辱するのなら、お前たちも人間と同じ。私の敵よ」


 人間の奴隷として、陰惨な辱めを受け続けてきた。

 その過去は消えない。



「殺す」


「ひ……っ」


 汚辱に塗れた思い出したくもない過去。

 ようやく取り戻した尊厳を踏み躙るような言葉。

 それを吐くのなら、同族だとしても敵だと。

 ミアデたちのこともまとめて、彼女らは侮辱しようとしたのだ。だから殺すと。


(アヴィ、私は……)


 ずきりと、胸が痛い。

 皆を守るように、ルゥナを守るように立つアヴィの横顔に、心が締め付けられる。


(私は……)



「やめよ。我らは敵ではない」


 メメトハの声に、前に立っていた二名の従者が気まずそうに半歩下がる。


「……」

「アヴィ」


 謝罪の言葉はないが、ここで戦うわけにもいかない。


「アヴィ様」


 ミアデが背中に触れると、アヴィの瞳から力が抜け、噴出していた冷気が収まる。


「っ」


 よろけたアヴィをミアデが支えた。



「無茶をしよるのぅ。魔術杖もなしにこれほどの力を」


 部屋の中にまだ残る冷気を見渡してぼやくメメトハは、どこかしら楽しそうにしている。

 珍しい余興を見た、という態度。

 アヴィが何に怒りを示したのか、メメトハにしたら所詮は余所事なのか。


 踏み躙られた者の気持ちは、踏み躙られたことがない者にはわからない。

 メメトハの視点では、従者のちょとした失言に田舎者が怒り出したという程度の認識。

 堪え性のない野蛮な田舎者、とでも思っているのかもしれない。


 違う。

 許せる話かどうかの境界が違う。

 育ってきた環境が違いすぎる。


 力及ばず人間の虜囚となったルゥナ達にも責があると、そんな考えもあるように見えた。


 ――見ているものが違う。


 クンライの村長がそう言っていた。

 見てきたものが違いすぎて、相互理解が出来ない。

 戦争というものを、話でしか聞いたことがないメメトハたちには、ルゥナたちと共通の認識など持ち得るはずがなかった。



「……ご理解をいただくのは難しいようですね」


 クンライの村長からは、説き伏せてくれと言われた。

 人間との戦いに清廊族の総力を挙げるべきだと、南部の悲惨さを知っているルゥナ達に説得してくれと。

 だが、難しい。


「貴女と話していても意味がありません。長老とお話をします」

「妾の頭を越えてとは、ほんに無礼な話じゃな」


 知ったことではない。

 たとえ氷乙女だろうが何だろうが、先に礼を欠いたのはそちらの方だ。


「取り次がぬ……とは言わぬが、そなたらの話を信ずる根拠がまだ不足じゃな」

「これ以上なにを?」


 クンライ、ヤフタの村長たちからの文は見せた。

 事情も説明した。

 他に何をしろと言うのか。


「そなたらが本当にそれほど強いのか、妾は知らぬからのう」

「……力試し、と?」


 にぃっと笑う金髪の少女。


 その表情は知っている。

 人間が、弱者をいたぶることを愉しむ顔だ。

 こんなところでそれを見るとは、本当に……


「妾がひとつ試してやろう」



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