第一幕 114話 過去の黒ずみ



 セサーカが見張り番をしていると、近付く足音があった。

 ミアデはいない。今頃は楽しくやっているのではないだろうか。セサーカをよそに。


「……」

「呆けとるんと、やらしぃことしてもええんかと思うやんか」

「どんな思考ですか」


 別にぼうっとしてたわけではない。特に相手にするつもりがなかっただけ。

 それを見て襲ってもいいと思うなんて、やはりウヤルカは問題児だ。


「ウチなぁ、あんたもぶちかわええと思うんうやん」

「誰にでも言ってるでしょう」

「そんなこたない。かわええ子だけにしか言わんけぇ」


 適当なことを言いながら、焚火の前に座るセサーカのすぐ隣に密着して座る。

 そのまま腰に手を回された。


「……」

「ん? これってええってことね?」


 特に抵抗しないセサーカに、わきわきとウヤルカの指が蠢く。

 都合のいい思考回路が出来ているものだと感心する。



「試しましたよね。私たちを」


 こうして話す機会があるのなら、聞いておきたかった。

 泉でのことを。


「なんやね、急に。ウチがそがな」

「わざとユキリンに魔物をおびき寄せさせて、私たちと戦わせた」

「……」

「試しましたよね」


 はあ、とわざとらしく息を吐いてから、セサーカの頬にキスをするウヤルカ。


「なんでわかるん?」

「見ていればわかります。ユキリンも貴女も演技は得意ではなさそうですから」


 これまでの役割分担もあり、セサーカは全体の様子を見る癖がついている。

 魔物の群れに襲われたというのに、ウヤルカの反応は動揺がなかった。

 また、ユキリンも泉に留まっていた。そのまま逃げれば良かっただろうに。


「ユキリンの行動が奇妙で、貴女がうろたえないのなら、答えは簡単でしょう」

「そういうもんかね」

「力試しだったのかもしれませんが、次は許しませんよ」


 セサーカの左手には魔術杖がある。

 ウヤルカが清廊族だからと言って、無条件に味方だというわけではない。



「ひやいのぉ。わかった、もうやらんね。勘弁してご」


 敵対するつもりはないのだろうが、間違えれば誰かが怪我をしていたかもしれない。

 その程度の実力なら仕方ない。

 そういうつもりだったのだろう。



「私たちだけならまだしも、幼児や妊婦もいるんですから」

「あー、そりゃあウチも見とるけん。危ない思うたら助けたんよ」


 ウヤルカの言葉にはゆとりが感じられる。

 それだけの実力があるということ。


(アヴィ様の恩寵もなく、それだけの力を?)


 人間に個体差があるように、清廊族にも個体差はある。

 氷乙女ほどではないにしても、集落にはいくらか戦いに適性の高い者もいた。

 清廊族の戦士職になるその手の才能があったとしても、今のセサーカ達の戦いについてこられるだけの力があるのだろうか。


「うんうん、そやなぁ。あんたらは今まで見た清廊族ん中でもいっとうつよかね。ウチが言うとると思うっちゃ」


 セサーカの視線に、ウヤルカは自分の言葉が疑われていると思ったようだ。

 そんな力があるのかと。


「別に嘘をついているとは思っていませんけど」



たちまちとりあえず、ウチがあんたをええ具合にしたらわかるんかの」

「え?」


 疑念の声を上げたセサーカだったが、ウヤルカの言葉を頭で理解するのが追い付かなかった。


「あっ!」


 瞬く間に組み伏せられ、両手首を頭の上で押さえつけられる。

 魔術杖は、するっとウヤルカに取られてしまった。



「……」

「驚かんのやね?」

「ええ、まあ」


 片手でセサーカの手首を押さえつけるウヤルカの顔は、地面を背中にするセサーカのすぐ前にある。


 かなり力は強い。

 全力で抵抗すれば抜けられそうではあるが、何となく流れに身を任せた。



「セサーカ、あんたは綺麗やねぇ」

「先に言っておきますが、ウヤルカ……」

「ミアデのことが大好きて話なら知っとるんよ」


 ウヤルカの言葉に、薄く笑って首を振る。


「それもそうなんですけど」


 言いたいことはそれではない。



 ミアデは、どうにかルゥナを元気づけたいと言って向かったのだ。

 方法は、と聞いたら口籠って、もごもごと。

 もちろんセサーカがイヤならやめておくと言ってくれたけれど、ミアデの思う通りにしなさいと言って送り出した。


 言葉を尽くすのが得意なタイプではない。きっと身を尽くしているのだろう。

 嫉妬と、羨ましいのと、両方の気持ちがある。


 今のルゥナには、セサーカのように頭で考えてしまうタイプよりも、ミアデのような情熱先行型の方が適していると思った。

 気持ちを真っ直ぐに伝えるのは、セサーカには不向きだ。


 ミアデがルゥナを元気づけられて、アヴィの助けになるのなら、それでいい。

 後で事の次第を聞き出してのお仕置きはするとして。




「私たちは……私は、人間の奴隷でした」

「……そか」

「汚いことも……口に出来ないような行為を、長くさせられてきました」


 ウヤルカは目を逸らさない。。

 静かに話すセサーカの瞳から、目を逸らさずに聞く。


「人間の男の、獣のような欲望に……吐き気のするようなものを口にして、命ぜられるままに身を任せるしか出来なかった」

「……」

「汚れているんです。汚いんですよ、私は……」

「セサーカ」

「だから、もう……綺麗だなんて、言わないで下さい」



 ざらざらの心には、ひりひりと障る。


 ミアデやアヴィ達となら、つらい過去も共有して、蜜のように粘る塗り薬を互いの心に擦り込むように、癒し合うことが出来る。

 傷痕を舐め合うようなという表現もあるが、それは互いに傷の深さを知っているから出来ること。


 さらさらとした綺麗なウヤルカの瞳には、セサーカ達の心は見えないのだろう。

 消えない黒ずみが。汚濁が。



「私は、もう」

「やめぇや」


 言葉を遮られた。

 ウヤルカの瞳に涙が浮かんでいる。

 いじけたように。まるでセサーカがいじめたようだ。


「セサーカは綺麗や。そうウチが思うんを、あんたが違う言うんは違う」

「……」

「ウチは前のあんたを知らん。今のあんたしか知らんのんよ。ウチが見とるんは今のセサーカだけなんね」


 真っ直ぐにセサーカを見つめて、涙を零す。



(ああ……)


 納得してしまう。

 ウヤルカが村で年頃の娘を篭絡していたという話に、納得せざるを得ない。


 手あたり次第に女の子に手を出すような女好きのくせに、なのにやたらと真剣なのだ。

 今、目の前にいるセサーカに対して、真剣で、真っ直ぐで。


(……落ちちゃう気持ち、わかりますね)


 こんな真摯に見つめられて、今の自分の為に涙を零されたら、気持ちが蕩ける。



「そりゃあなぁ、ウチは……ウチは、そがな酷い目におうたこともないし、わかってやれんけども」

「……」

「だけんど、今ウチが見とるセサーカは綺麗なんね。誰がどう言おうが、あんたがそれを違う言うても、あんたは綺麗や」


 そっと触れる唇を、抵抗せずに受け入れた。

 ミアデのことを責められないかもしれない。


 ミアデがいないから、ということもある。

 セサーカだって寂しい気持ちはあった。だから身を任せてしまったのかも。


 また、ミアデに対してはセサーカの方がお姉さん的な立場なので、こういうのは新鮮だったというのもある。

 だけど。


(……ネネランのことは笑えないですね)


 ネネランは奴隷時代に、いつか素敵な清廊族の誰かが助けに来てくれることを夢見ていたと。

 少女趣味だと思ったが、何のことはない。

 セサーカの心にも、少女だったセサーカはいるのだから。


「ありがとう、ウヤルカ」


 案外と悪くない気分だ。こうして誰かに愛を囁かれるというのは。



「それと、ごめんなさい。過去のことを盾に、貴女を拒絶しようとしてしまって」

「……ええんね。ウチも、ちびぃと無神経だったんよ」


 無神経なのは少しではないと思うけれど。

 でも、心からセサーカを思ってくれたのはわかる。


「普段からそういう風にしていたら、村を追い出されたりしなかったんじゃないです?」


 気ままな問題児のようでありながら、その内面はとても真っ直ぐなウヤルカ。

 セサーカの言葉に、ウヤルカは悪戯を見つかった子供のような笑みを浮かべた。


「可愛い女の子見るとつい、なぁ。我慢ができんのよ」


 心根は真っ直ぐかもしれないが、やはり素行には問題が多いようだ。



「……」


 いまだ両手を押さえつけられたままのセサーカ。

 はて、さて。


「あの……離して、くれませんか?」

「?」


 意味がわからないという顔で首を傾げるウヤルカ。

 セサーカはどうしたらいいのだろうか。


 ぱちりと、焚火からはぜる音が響く中、揺らめく影がもう一度重なった。



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