第一幕 104話 洞窟を抜けて



 今度こそエシュメノを飲み込もうと首をもたげる魔物は、見ていなかった。

 ルゥナとは別に、己に迫る魔物を。


 頭に刺された短槍の痛みが、そういった注意を逸らしていたのかもしれない。



「ネネランが!」


 叫びながら、飛びかかったのはネネランを乗せたラッケルタだ。

 自分よりずっと大きな魔物に対して一定の距離を取っていたのだが、エシュメノの危機を目にしたネネランの意志に従う。


 顎喪巨蟲に比べればずっと小さいにしても、こちらでは一番の巨体であり、ネネランも乗っている。

 そんなラッケルタの体当たりだが、ほとんど効果は見られない。

 ほんの一瞬、やや鬱陶しそうに身じろぎさせただけ。



「こんのぉ!」


 一瞬でも身じろぎしてくれたから。

 その刹那に、ミアデの拳が再び腹に突き刺さる。


「ぶぉぉっ」

 先ほどより深く突き刺さった拳に、またわずかだが巨大な体の動きが止まる。


「私もです!」


 ネネランの狙いは正確だった。

 ミアデが、その前の攻防で穿っていた腹の穴に向けて、手にしていた槍を突き刺す。

 そして、即座に――


「ラッケルタ!」

「GOAAAAA!」


 ラッケルタが、ネネランの呼び声を受けて、槍の刺さったそこに向けて熱風を吹き込む。


「ぎいいいぃぃぃぎゃあああああああ!」


 さすがにたまらず身を捩る顎喪巨蟲の鼻先から、ルゥナがエシュメノをかっさらった。

 地面に叩きつけられ、意識が朦朧としている。



「ぼうぅぅばああぁぁ!」


 もう一撃、拳を叩き込んだミアデが、今度は反撃を受ける前に後ろに下がった。

 振り払われる巨体を、どたどたと走ってラッケルタも逃げ伸びていた。


 ルゥナはエシュメノを抱えてアヴィの傍まで下がっている。

 どちらもダメージを負っている。出来るだけ敵から遠ざけたいのだが。




「何か仕掛けてきます!」


 セサーカが叫んだのは、魔法使いとしてそれを感じたからなのだろう。


 ラッケルタが熱風を吐けるのなら、この顎喪巨蟲とて何かの特技を持っていても不思議はない。

 再び首を上げて、丸い口をルゥナのいる方向――エシュメノがいる方に向けた。



 大きく開かれた口が、すぼまる。


「びゅぶぶぶぶぶぶぶぶぅ!」


 エシュメノとアヴィを抱えてルゥナが跳ぶ。

 直前までいた場所に、猛烈な勢いで撃ちこまれた無数の石礫いしつぶてが岩盤の地面を抉っていった。



「くっ」


 小柄とはいえエシュメノとアヴィを抱えて咄嗟だったので、あまり距離が稼げない。

 砕かれた岩の粉塵が上がってルゥナの視界を妨げ、もう一度息を吸い込んだ顎喪巨蟲への対応が一歩遅れる。


「しまっ」

「ぶびゅぶぶぶぶぶぶぶぶっ!」


 二度目の連弾。

 ルゥナの眼前に迫るそれを、避けることが出来ない。



「させません!」


 トワが立ち塞がった。

 岩をも穿つ無数の石礫に対して、ルゥナたちを――ルゥナを守ろうと、包丁を手に間に立つ。



「トワ!」


 無理だ。トワの持つ武器と、彼女の力では。

 ルゥナの叫びに、トワは薄く微笑みを浮かべる。



「見えます」


 トワの灰色の瞳が妖しく光った。ような気がした。



 猛烈な速度で飛来する石礫を、手にした包丁で弾く。

 右へ、左へ。

 ルゥナたちに当たらないように、その角度を変えて。


「な……」


 信じられない。

 包丁一本で、岩弾の嵐を捌いているのだ。

 ルゥナとて万全の構えであれば出来るかもしれないが、トワが。

 まだそんな力はないと思っていたのに。


(守ることに、特化して……)


 それぞれ得意不得意なことがある。

 ミアデは、闘僧侶ラザムがしていたように、自身の肉体を強化する技術を習得しつつある。

 セサーカは魔法の技術に。エシュメノは敏捷性とバランスに優れた身体能力を。


 トワは、癒す、守るということに秀でているのか。

 総合力ではルゥナには劣っても、敵の攻撃を防ぐことに関しては匹敵しつつある。



「……これでっ!」


 最後の一撃を、それだけは気合を入れて跳ね返した。敵に。


「ぼばっ!?」

 息継ぎしようとした所に自らの石礫を口に食らい、顎喪巨蟲の体が揺れた。



「極光の斑列ふれつより、鳴れ星振ほしふり響叉きょうさ


 ここしかないというタイミングだったと思う。


 セサーカが、現在使える中で最も強力で、こうした堅い外皮を持つ敵に特に有効な魔法を放った。

 揺れた巨体がびくんっと震えて、地面に落ちてくる。



 ルゥナは、手にしたブラスヘレヴを握り締めて走った。


 アヴィのこともエシュメノの容態も気になるが、今は後だ。

 この瞬間を逃すわけにはいかない。


 アヴィほどの剣腕のないルゥナでは、この巨大な魔物の動きが鈍った時でなければ不可能だったろう。



 全身全霊の力で、ブラスヘレヴを振るう。

 巨大な、ルゥナの体長の倍はあるその巨体に向けて、振り抜いた。


 最初の引っ掛かりを抜けると、そこからはするりと通った。


「ぶおぉぉぉぉっ」


 口に近い胴体部分が、半分ほど斬れる。


「まだ!」


 続けて、上段から一気に振り下ろす。

 切り口から、さらに切り裂いた。

 二つに分かれ、どろりとした体液を漏らす顎喪巨蟲。



「びょ、ぶ……ぼろ、ぶぅ……ぼどぶ……」


 両断した体は、しばらくはどちらも動いていたが、そのうち動きを止めた。

 大広間の戦いは、それで終わった。



  ※   ※   ※ 



 ネネランが突き刺した槍は折れてしまっていた。


 頭に刺さったままだったエシュメノの短槍を回収して、ついでにこの魔物の腹を裂く。

 体の中心辺りに赤黒い魔石があった。強い魔物だったので、何かの役に立つかもしれない。


 アヴィとエシュメノはトワが見ている。ミアデも負傷していたが、セサーカと共に先行したユウラたちを追う。

 セサーカは、以前はあの魔法を使った際に倒れてしまっていたはずだが、今回は疲労していたものの足取りはしっかりしていた。


 成長している。誰もが。

 ネネランが、少し気になるからと言って、ルゥナに顎喪巨蟲の牙周りの外皮を切り取らせた。

 それらをラッケルタの背に積んで、ミアデたちの後に着いて行った。



「エシュメノ、大丈夫ですか?」


 ひどく体を地面に叩きつけられていたが、エシュメノに重大な怪我はないようだった。

 しばらく休むと、ふらついていた頭も回復したようで、体を起こして首を擦っている。


 柔軟な体と、持ち前の反射神経で咄嗟に受け身を取っていたのだろう。でなければ大怪我をしていたはずだ。



「……ソーシャは、あんな奴に食べられない」


 まだ気にしていたらしい。

 むくれているエシュメノに思わず笑顔が零れる。


「ええ、そうですね」



 アヴィが耳の上あたりをトワに舐められているのを見て、少し心がざわめいた。

 まるで、トワがアヴィに告げ口をしているように思って。


(本当に、私は……)


 何を考えているのか。

 先ほどの戦闘の怪我を治癒しているだけだ。



「ソーシャは、戦おうと思えばあれを倒せたんでしょう」

「……」


 意識を変えようとエシュメノに話しかける。


「ただ……ソーシャが本気で戦ったら、この洞窟が崩れたかもしれませんから」


 地形が、あまりソーシャ向きではない。

 大気を破裂させる強烈な魔法など使ったら、崩落の危険がある。

 肉弾戦でもソーシャは決して弱くはないにしても、相手が巨体だ。面倒だと思ったのではないか。



「本気なんか出さなくても、ソーシャなら勝てる」


 なおもむくれるエシュメノ。

 ソーシャを食べようとしていた魔物に遅れを取ったことが不愉快なのだろう。


「たぶん、倒すまでもなかったんです。ソーシャにとっては」


 相手にするほどでもない魔物。そういう位置づけだったのだろう。

 だがこの辺りでは強敵で、ルゥナ達にとっては脅威になり得ると思っての忠告をしてくれていた。


 

「ん……あいつは、ソーシャより弱かった」

「ソーシャより強かったら、私たちは生きていませんよ」


 少しだけ機嫌を直したらしいエシュメノの言葉に苦笑いで返す。


「……うん。ソーシャより全然弱かった」


 そう言いたいのなら、次は怪我をしないように戦ってほしいものだ。




 屍食鼠と顎喪巨蟲を倒したら、大広間は嘘のように静かになった。


 いずれ倒した魔物の肉を食らいに、別の魔物が集まってくるだろう。

 こちらに渡ってから魔物が少なかったのは、巨大な顎喪巨蟲が食い荒らしていたからではないかと考える。


「エシュメノ……もっと強くなる」


 拳を握り呟いたエシュメノに、ルゥナも頷いた。


「そうですね」


 何とか倒せたものの、ルゥナも自分の力不足を痛感している。

 もっと強くならなければ、守りたいものも守れないし、果たすべき誓いにも届かない。



 トワの治癒を受けるアヴィは、トワの胸に抱かれている。

 黙ってそれに身を任せるアヴィの姿に、もう彼女に怪我を負わせたくないと、そんな気持ちも浮かんでいた。



  ※   ※   ※  



 何日、地中を進んだのだろうか。

 下りと違い、基本的に登っていく道になる為、疲労の蓄積も大きい。


 地下水の溜まった場所を進まなければならない所もあった。

 水中の魔物に注意を払いながら、腰まで水に浸かって進む。

 凍らせて渡るということも考えたが、あまりに広範囲だったので断念した。


 途中で針木の松明も残りわずかになったが、その頃には洞窟の天井の隙間などから光が差し込み、光源となっている。


 清廊族の目であれば十分に視界は確保が出来た。

 同時に、昼夜の時間も把握できるようになり、全員の表情が和らぐ。

 やはり陽の光を感じると安心するものだ。



 そうして進んでいくうちに、次第に強くなっていく風が一行の頬を撫でる。

 出口が近いのではないか。


 体力的にも精神的にもかなり疲弊した中で、それは活力を取り戻してくれるきっかけになった。



  ※   ※   ※ 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る