第一幕 85話 崖の下から……_2



 ミアデは足を止めた。


 周囲に燻る木々の煙と、ミアデの後方にはユウラやニーレ、清廊族の仲間たちがいる。

 セサーカも、連続で魔法を使ったせいで息が上がっていた。


 ミアデ自身も馬に跳ね飛ばされて少し腹が痛むが、身軽が取り柄の自分はうまく受け身も取ったつもりだ。



「エシュメノ」

「ん、わかった」


 彼女はわかっている。勘がいいというか、どこかミアデと通じるところがある。

 足を止めて、上空の敵を睨んだ。


 上からの自在な攻撃というのが厄介だというのはわかった。

 今までそんな攻撃を受けたことがない。


 また、重量級の敵というものの対処が難しいことも学んだ。

 ミアデの体格ではどうしても押し負ける。

 敵の切っ先を躱すことで精いっぱいだった。



(でも、任されたんだよね。ルゥナ様に)


 戦いを任された。

 初めてではないだろうか。ルゥナにあんなことを言われたのは。

 誰かに頼られるというのが嬉しいことだと、これも今日初めて知ったこと。



「エシュメノ、ちょっとむかむか」

「あたしも」


 さっきから、上から叩きに来てはするりと逃げられて、苛立ちが募っている。

 正面から戦えば負けはしない。

 それは相手の戦い方なのだろうから、文句を言っても仕方がないだろうが。



「いい加減、諦めな!」


 上から襲い掛かってくる天翔騎士。

 エシュメノとミアデに、それぞれ二人ずつ。


「勝手なことばかり」

「死ぬのは人間」


 戦っているうちに気分が高揚してきたのか、エシュメノに表情が浮かぶ。

 多少時間を置いたことで、ソーシャに関する気持ちの整理が出来てきたのかもしれない。


 ミアデはエシュメノと視線を絡ませ、頷いた。

 死ぬのは人間どもだ。

 清廊族の仲間は殺させない。


 襲ってくる敵の攻撃を、ぎりぎりで躱した。

 槍の穂先を、翔翼馬の蹄を。馬体にかすっても、重量でかなりの衝撃を受けてしまう。


 ギリギリで躱すとどうなるのかと言えば、ミアデのすぐ近くに敵が着地して、大きく泥を撥ねる。

 そこから二歩三歩と駆けて跳び上がるのが今までだったが。



「ぬ」


 遅い。

 泥に足を取られて、遅くなる。

 人間が騎乗した翼を有する馬の重さだ。どれほど重いのか、弾き飛ばされたミアデはわかっている。



 泥だ。


 先ほどまで晴天で渇いていた大地が、セサーカの放った霜や氷雪の魔法で湿っている。

 凍った大地は、敵の炎の魔法で熱せられていた。


 先ほどまでと同じ勢いで滑空して攻撃した翔翼馬は、ぬかるんだ大地に蹄を沈ませ、それまでと違う感触に足を取られる。



「遅い!」


 ミアデの拳が翔翼馬の腹を穿った。


『BOAA!』


 これまでの苛立ちを込めた拳は、その拳の形をそのまま腹に刻み込み、翔翼馬の足を止めた。


「うあぁぁっ!」


 そこに突っ込んでくるもう一騎。

 本来なら、味方が駆け抜けた後に残ったミアデを攻撃するはずだったのだろうが、腹に衝撃を受けて立ち止ってしまった天翔騎士がそこにいる。


 おそらく訓練ではなかった状況に対応できず、その蹄が味方の男の胸にめり込んだ。


「ぼふぇっ」


 もんどりを打って倒れる蹴られた男と、蹴ってしまった上からきた翔翼馬もバランスを崩してそのまま突っ込んだ。

 二体の翔翼馬が衝突して、ぬかるんだ大地に転がった。



「うべぇっ、くそっ」

「クソはあんただよ!」


 ミアデも泥まみれだ。潰されることは避けたが、ぬかるみで転がったので体中泥だらけになっている。

 翔翼馬から落ちた男が、そのミアデも見上げ、言葉を失った。


「あ……」

「死んじゃえ、クソ人間」


 他の敵もいる。

 本当ならもっと苦しめたかったが、ミアデはその喉を手にした寸鉄の切っ先で裂いた。


「が、ひゅ……ぶぇ……」


 喉を押さえて、泥の中に倒れた。

 まあ、死に様とすれば上出来だろう。



「エシュメノ!」

「へいき」


 エシュメノの方も一体を仕留めている。

 もう一体の翔翼馬は泥まみれになった尻を晒して逃げ出していた。

 騎乗する人間は、いない。



「だいたい呼吸は掴めた」


 ぽつりと言ったニーレの言葉に、見てみれば矢を突き立てて泥の中に落ちている人間がいる。

 逃げようとしたところを射たのだろう。


「んだねっ」


 ミアデの後ろで、派手な音が上がった。

 振り返れば、翔翼馬の首に手斧が突き立てられている。

 投擲した後の姿勢のユウラ。


「ニーレちゃん、私も出来た」


 手斧を投げて、別の方角からミアデを襲おうとした天翔騎士を仕留めていた。

 落とされた翔翼馬から、ふらふらと立ち上がる男を、ニーレの弓が射抜く。


「ちゃんと最後までやりなよ」

「えへへ、ごめん」


 いまだ燻る木々の間で、場違いにゆったりとした笑顔を浮かべるユウラに、ニーレは呆れたように溜息を吐いた。



 悲観的だった状況が、一気に五分以上に傾いた。

 地面を緩くしたミアデの判断は間違いではなかっただろう。


「アヴィ様は……」

「ふんらっ!」


 敵の魔法使いを引き付けていたはずのアヴィをミアデが気にしたところで、エシュメノが妙な声を上げる。

 敵が落とした槍を、上空に向かって投げていた。


 エシュメノの腕力は、成人男性の数倍以上になる。

 その力で投擲された槍は、上空高くで魔法を放とうとしていた魔法使いの男を背中から貫いた。


「っ!」


 残ったもう一人の魔法使いが、こちらは女だったが、慌てた様子で離脱する。

 これでアヴィの安全も確保出来ただろう。


 だとすると――


「ルゥナ様は」

「ミアデ! 逆です!」


 崖の方に走っていったはずのルゥナの背中を追おうとしたミアデだったが、セサーカの声に反応して向き直る。


「貴様ら……よくも、俺の部下たちを……」


 ミアデの目の前に迫る槍。

 先ほどエシュメノが投擲したのと、およそ同じほどの速度で。


「っ!」


 突き刺さる。

 そう思い、身を固くしたミアデだったが、その槍はエシュメノの籠手が弾き飛ばした。


「ミアデも、エシュメノが守る」


 左手の黒い籠手で、ミアデに突き刺さりそうだった槍を弾いてくれた。


「……惚れちゃうじゃない」

「ミアデ……」


 エシュメノのセリフに思わず胸がきゅうっとなったミアデだったが、後ろからのセサーカの声色に別の意味できゅうーとなる。


「……あんたが、隊長ってわけだね」


 今はまだ戦闘中だ。セサーカへの言い訳は後にしよう。


 

 戦況が好転したことで油断があった。

 気を引き締め直して、空に羽ばたく男を睨む。


 最初にいた敵は、既に半分になっている。

 魔法使いの片方を片付けたことで、アヴィも楽になっただろう。

 この状況なら、もう負けることはない。


 隊長の男を中心に再度集まり始める天翔騎士ども。

 それとは別に、どすりどすりと地面を這ってくる魔物があった。



「あれは……」


 大トカゲの魔物。

 翔翼馬やグワンだけでなく、こういう魔物も使役しているのか。

 明らかに敏捷性では劣るが、おそらく力や耐久度では翔翼馬に勝るだろう大トカゲ。



 その後ろの荷車にいる中年の男と、場違いな服装の……


「清廊族、の……?」


 白い呪枷をしている。

 明らかにミアデたちよりは世代が上の、清廊族の奴隷。

 彼女は、何か信じられないものを見るように、唇を震わせて目を見開いていた。


「え……」


 その唇から、言葉が漏れる。



「エステノ、様……?」



 前髪で隠れてよく見えなかったが、彼女の視線の先にいるのはエシュメノだった。



「貴様ら、絶対に――」

「うわああぁぁぁ!」


 唐突に、叫び声と共にミアデたちの頭上を猛然と飛んでいく天翔騎士がいた。


 味方を見つけて、ミアデたちのことも気にする様子もなくそこに駆け寄る。

 今なら後ろから矢でもなんでも射殺せるように思うが。


(なんだろう、何か……)


 ただならぬ様子を感じて、手出しをためらった。



「団長! 団長、ムーヒトがぁ!」


 ミアデたちに恨み言を言いかけた敵のリーダーに、崖から飛んできた男が泣きつくように喚いた。


「な、なんだ。こんな時に何を……」

「ムーヒトが、食われた! 食われたんです!」

 

 錯乱していた。

 戦場で、今だ戦いが続くこの場所で、涙と鼻水を流しながら逃げ戻ってくる男。



(……?)


 今、この男はどこから来た?


 あまりの様子に、誰もが状況を忘れて呆ける。

 敵も、味方も。

 アヴィも戻ってきた。敵の魔法使いも、敵の後ろ側に逃げ戻っている。

 錯乱した男の喚き声に、誰もが青ざめた。



「食われた……って、お前、ムーヒトがか? この影陋族どもに」

「違う! 崖の……崖の下から、何か……」


「アヴィ!」


 次に響いた声は、ルゥナの声だった。

 思わずびくりとするミアデ。

 だってそれは崖の方からの声で。


「崖から、魔物の大群です!」


 振り返ったミアデの目に、駆けてくるルゥナたちの姿が映る。

 その後ろから迫る、白い紐のような、うねりながら跳ねる大量の何かと共に。



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