第一幕 62話 戦いの頂_2



「……ラザム、でしょうか?」

「たぶん」


 見る影もないというのはこういうことを言うのか。

 顔を潰され息絶えている死体に、どこか見覚えがある。



 顔はともかく、体格や筋肉のつき方は特徴を残していた。

 着ていた服もかなり破れているが、共に冒険者として行動していたラザムで間違いなさそうだった。

 誰がこんなことをしたのかはわからないが。


「シフィークが?」


 先刻、マルセナを襲ったあの男なら、こんなことも出来るかもしれない。

 ラザムを殺す理由まではわからないけれど、狂った様子だったのだからそんなこともあるのではないか。


「どうでしょうか」


 ラザムも一流の冒険者だった。そうそう簡単に殺されるとは思えない。

 シフィークでなければ、あの影陋族の連中なのか。


(あの女奴隷どもが、ラザムを殴り殺す?)


 か弱いと思うわけではないが、少し想像が出来なかった。



「……」


 マルセナがラザムの死体を見下ろして、口元に手を当てて止まっていた。

 血を見て気分が悪くなったのだろうか。

 あるいは追悼の気持ち?


「まるせ……なにを?」


 イリアが持っていたショートソードを取り、突き立てた。

 ラザムの胸の辺りに。


「?」


 それほど恨みがあったのだろうか。

 イリアとすれば、薄気味の悪い相手ではあったが、あまり人と関わろうとしないラザムに特別な恨みはない。



「何か……ありますわ」


 手を突っ込む。


「ちょっと、マルセナ」

「なんですの?」


 抉った胸に手を突っ込みながら、焦るイリアに不思議そうに聞いてくる。


 驚くイリアの方がおかしいのだろうか。

 冒険者稼業をやっていて死体に対しての忌避感などさほどないが、さすがに元仲間の死体に腕を突っ込むなど。



「……そういう汚れることは、私がやるから」

「あら、可愛らしいことを」


「マルセナは……そんな男に触らないで」

「あらまあ、そういう意味でしたの」



 一番の正直な気持ちで言えば、そうだった。

 イリアの大切なマルセナが、汚らわしい男に触れている。不愉快だと。


「わたくしが何に触れようと、貴女の気持ちに配慮する必要がありまして?」


 そう言われてしまえば反論できない。

 マルセナの自由だけれど。



 俯いたイリアに、マルセナは小さく息を吐いた。


「本当に……イリア、貴女が何を思っているのか、わたくしよくわかりませんわね」


 血に汚れた腕を抜き、立ち上がるマルセナ。

 イリアより少し小さな背丈で、イリアと触れるほどの距離に立つ。


「……いずれわたくしを裏切るつもりで、そんな演技を?」


 信用されていない。



「違う……違うの、マルセナ」

「言葉では何とでも言えますし、昔のことを思えば今の貴女の言動に違和感が拭えませんけれど」


「それは……」

「あとは、そうですわね。案外と貴女の情欲がわたくしのような若く美しい女の子を好んでいるだけ、とか?」


 マルセナの左手には、先ほどイリアから受け取ったショートソードが。

 今のイリアは丸腰だ。



「わたくしを、都合の良い情欲の対象と見ていらっしゃるのではなくて?」

「……お願い、マルセナ。本当にあなたが好きなだけなの」

「へえ」


 山小屋の中でもそう言ってきたし、わかってもらえるように尽くしてきたつもりだ。

 情欲と言われたら、それもある。

 マルセナに触れることを望むし、どんな形でもマルセナに触れられることも嬉しい。

 そんなイリアの欲求とは別に、少しは心が近づいた気がしていた。

 

 だが、山小屋を出てシフィーク、ラザムと続けざまに過去の知り合いを見て、マルセナの心に再度疑念が灯ったのだろう。

 過去のことを思えば、人が変わったようにイリアがマルセナに擦り寄るなど不自然だと。

 何か企みでもあるのかと疑いを抱かれた。



「何でもする。どんなことでも、あなたの言う通りにするから。私を……信じてほしい。許してほしいの、マルセナ」


 哀願する。

 好きな人に、好いてもらえないのは仕方がない。

 私が好きだから、そちらも私を好きになってくれなど、そんな理屈はないのだから。


 けれど、信じてほしい。

 本当に裏などない。無償でも構わないからただ尽くしたいと思っていることを。


「何でも、ですか」

「うん……何度も命を救われた。さっきだって、私を助けてくれた」

「あれはまあ……」


 シフィークとの戦いの最中、一人で逃げるのではなく、イリアも連れて逃げてくれた。


「あんな男に殺させるには、少しもったいないと思っただけですわ」

「もったいない……うん、嬉しい」

「貴女ね……」


 呆れたように言って、手にしていたショートソードをイリアに押し付ける。

 わかっている。イリアはバカだと自覚している。

 今は完全にマルセナに熱を上げて、他のことなど考えられないほどバカになっているとわかっていた。



「わたくしがここで、服を脱いで足を開けっていったらそうするんですの?」

「うん……あの、ええと……」


 受け取った剣を両手で握り、俯き加減にマルセナを見つめて、


「……マルセナが望むなら、したい」

「……」



 聞いた自分がバカだったと言うように空を見上げてから、血肉で汚れた右手を振る。

 振り払われる血肉。その手の中に何かある。


「それは……?」

「さあ? 魔石……でしょうか」


 お互いに話題を変えたかったのかもしれないが、マルセナの手の中のそれに二人とも関心を持たずにはいられない。



「魔石なんて、そんな……」


 人間に魔石はできない。出来るのは魔物だけだ。

 影陋族も、あれで大本の祖先は人間と同じらしく魔石は出来ない。


「白い……ですわね」


 血を払ってみれば、その石が白い結晶の姿をしているのがわかった。


「赤や青じゃない魔石なんて見たことない」


 魔石は赤黒い結晶か、海の魔物などがなぜか青から濃紺の色をしているはず。

 白色など聞いたことがない。



「……どうして、これがあるって?」


 マルセナはわかっていた。

 ラザムの体を切り裂く前に、何かがあると。


「どうして、というか……何となくそう感じただけなのですけれど」


 言いながら自分でも不思議に思ったようだ。


 直感的にそう感じた。

 何か頭に閃くものがあって。



「そう、この辺りが……」


 まだ血肉の残るその白い結晶を自分の目の前に上げて、そのまま額へと押し当てた。


 ――っ……


 ぬるり、と。

 飲み込まれた。マルセナの額の黒い部分に。


「あ」


 どちらの声だったのか、少し間の抜けた声が響いた。


「……」


 それきり、今度は妙な静けさが場を支配する。



 マルセナには見えていない。

 それが飲み込まれた途端に、残っていた黒い痕が消え去ったことは、見えていないだろう。


 黒涎山から逃げ延びた後、イリアが気が付いた時には、マルセナは川面を覗き込んでいた。

 そこに映る自分の顔を見て、無言だった。


 黒い傷跡が残る自分の顔に何を思っていたのか、イリアにはわからない。

 だが、それが消えたことを、きっと喜ぶはず。



(良かった)


 闘僧侶ラザムから入手した何かだ。回復の力があったのかもしれない。

 致命傷などを負った場合に、体内に仕込んだそれが発動するとかそういった特殊な道具だった可能性もある。




「マル……誰だ!」


 声を掛けようとしたが、辺りを支配している静けさに意思を感じた。

 何者かの気配を。


「誰かいらっしゃるのかしら?」


 マルセナは、先ほどラザムの死体を漁った時に地面に置いた木の魔術杖を手にする。



 どこにいるのかはわからない。

 けれど間違いなく何者かがいる。


 イリアとマルセナを見ていた。

 油断なく辺りを見回す二人に、木の影から陰が蠢いた。



「ひ、ひゃ……」



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