第一幕 43話 獣の牙、獣の目_1
木々が減り、背の低い草が広がる。
地質の問題なのか標高の問題なのかルゥナにはわからないが、ニアミカルム山脈よりまだ遠いのだが、この辺りは樹木が生えにくいらしい。
黒涎山から続く岩が目立つ地層は、春の日差しがあれば草は生えるらしい。
誰も刈る者もいない為、好き勝手に伸びているだけだ。
そんな草むらに潜む魔物もいる。
「戦えない者は内側に! ユウラ、貴女は近付いてくる魔物を教えて!」
「はいっ!」
草の中を走ってくる魔物がいる。その姿が直接見えないので戦いにくい。
まずは荷車に乗せた妊婦や幼児たちを中心として四方を警戒。
「アヴィ様の左に!」
「ん」
ユウラの言葉に従い、アヴィが左斜め前の草むらごと薙ぎ払った。
散らばる葉の中に、青黒い色のトカゲの姿が見える。
腹は白く、その体は両断されていたが。
「
鋭い爪牙の他に、尻尾の上部にいくつものギザギザの棘がある。
カナンラダ全域の草原でよく見られる魔物だ。蜥蜴の類なのに寒さにも強いらしく、北部にも生息していた。
「鱗があって横には斬りにくいですから! 顔に対して縦に切るか、突きなさい!」
「はいっ」
独特な鱗の形状で刃が滑るので対処方法を伝えると、トワの声が返ってくる。
アヴィくらいの力があれば全く関係ないが、まだ力の弱い彼女らには魔物ごとの対応を教えなければならない。
「ふっ」
ルゥナの前にも一匹近付いてきた草荊爬の気配に剣を振るうと、手応えと共に宙を舞った。
草荊爬の首が。
「さすがです、ルゥナ様」
「前を見なさい、トワ」
賞賛などいらない。軽く首を切断できるとは思わなかったので、自分でも少し驚いたが。
「っと、わぁぁっ!?」
「いまっ!」
ミアデの慌てた声に続けて叫んだのはニーレだったか。
びゅっと弦が鳴る音が響いた後に、少し甲高い音が聞こえた。弾かれた?
「ダメか!?」
ニーレの焦燥の声。
それに被せるように、セサーカの謡う。
「真白き清廊より、来たれ冬の風鳴」
「わっ、っと……ごめん、助かった!」
ちらりと見れば、長細い甲虫が鎌首をもたげていた。
巨大な多足甲虫。名前はルゥナも知らない。
思わぬ大物にミアデが囚われたが、セサーカの魔法に怯んだ隙に抜け出し、身構える。
あれは、未熟な彼女らに相手に出来るかと不安に思ったが――
「極光の
ばふっと音が響いたかと思うと、鎌首をもたげていた巨大多足甲虫が崩れ落ちた。
「う、はっ……」
「セサーカ!」
ミアデの声の様子からすると、セサーカも倒れたのだろう。
彼女には今の魔法は負担が大きすぎたのだと考える。
アヴィから教わったとしても、身の丈に合わない力を使ってしまった。
「ミアデ、周囲の警戒を! 誰かセサーカを荷車に!」
とりあえず堅い甲殻の魔物を倒した判断は良かったと思う。
「杖を私に!」
魔術杖は一本しかない。
セサーカが戦線を離脱するのであれば、それを遊ばせておく余裕はなかった。
「……」
手にしていたのはトワだった。
何をしているのかと振り向いたルゥナと目が合って……
「……はい、ルゥナ様」
少し逡巡を見せたのは、使ってみたいという気持ちがあったからか。
それで活躍すればルゥナに褒められるかもしれない。けれど――
「ありがとう、トワ」
失敗した時のリスクと天秤にかけて、命令に従った。
もう一匹現れた巨大多足甲虫をアヴィが切り裂く。
彼女には敵の甲殻など関係ないのかと思ったが、見ればちゃんと継ぎ目の関節部分を切り裂いている。二か所。
「……頭、誰か割って」
「はいっ!」
まだ息のあるのか、ぎちぎちと歯を鳴らす頭部に、ユウラの持つ手斧が振り下ろされた。
がしゅ、ざしゅ、と二度。それで息絶えたらしい。
「冷厳たる大地より渡れ永劫の
ふと頭に浮かんだ一節。
やはり清廊族に伝わる童話で、恐ろしい魔物に追われた際に、空から舞い落ちた雪の一粒から周囲の大地が凍り付き、難を逃れたという。
その逸話と同じなのかどうかはわからなかったが、ルゥナの詠唱に沿って突いた杖の先端から、円状に周囲に白い冷気が走った。
真っ白く霜がついたように固まった草が、次の瞬間には砕け散った。
ルゥナたちの周囲の草むらがなくなり、凍って砕けた植物の残骸と、身を晒した草荊爬。
範囲内には当然清廊族もいたが、寒さに耐えることは出来る。
逆に、急激に冷えたことで草荊爬の動きは極端に鈍くなっていた。
「今のうちに仕留めなさい! トワ、頭を縦に、です」
「はいっ、ルゥナ様!」
個別に指示したのはいまいち信用がないからだったのだが、名前を呼ばれたことで特別に感じたのか、トワは嬉しそうに返事をしていた。
動きの弱った草荊爬を片付けている最中にもう一匹現れた巨大多足甲虫を、今度はニーレが仕留めた。
やはりアヴィに切断された頭を、ユウラから受け取った手斧で。
粗末な木製の弓では効果がなかった。ニーレの弓の腕前が上がるのなら、もっと上質な弓矢を手に入れたいところだが。
そんな思索をしている時だった。
「なにか、くるよ!」
ユウラが声を上げ、北西側を指差す。
かつて黒涎山と呼ばれる山があった方角を。
「危険な感じ! なんか変!」
「わかりました、下がりなさい。ミアデ、トワ、ニーレは他の警戒を」
草むらを猛然と進んでくる黒い影に対して、アヴィとルゥナが前面に立つ。
先ほどのルゥナの魔法で草むらが消えた領域の直前で、それは跳び上がった。
アヴィに向かって飛びかかるその黒い塊は、黒い布を被った獣のようで。
「な――っ!?」
アヴィの剣がその獣を切り裂くはずが、腕で弾いた。
「う?」
アヴィも驚いたように声を上げる。
剣を腕で弾いた。
斬り損ねたのではなく、特に甲冑をつけている様子でもない腕で刃を受け止めて、後ろに飛びずさる。
「お、まえは……ラザム!」
「ジャアアアアアァァァァッ!」
ルゥナの言葉に返ってきたのは、獣の咆哮だった。
知っている顔だ。
ルゥナが勇者シフィークの奴隷として黒涎山に入った際に、そのパーティの一員として同道していた闘僧侶。
ふと気が付くと、ルゥナの太腿辺りに舐め回すような視線を巡らせていた男だ。
「気を付けて下さい! 正気ではないですが上位の冒険者です!」
勇者には及ばなくともそれに準ずる力を有している。
アヴィの剣を弾くなど並の冒険者に出来るようなことではない。
黒ずんだ眼も、発する声も、表情も。人間のそれからは逸脱していた。
理性を失っていることは間違いないが、少なくとも戦う力は失っていない。
「闘僧侶です! 闘気で肉体を強化していますが、目や口は刃が通るはず!」
「ん」
危険な相手と判断して、アヴィが自らそれに挑んだ。他の者には任せられない。
上位の冒険者相手となれば、今のルゥナでも厳しいだろう。
力を削がれたとは言ってもアヴィが最高戦力であることに変わりはなく、彼女に頼らざるを得ない現状に苦い思いを噛み締める。
アヴィの剣を、まさに獣のような動きで躱し、振り払うラザム。
「ジャアアァ!」
「うるさい」
威嚇の声をあげたそれにアヴィの表情は冷たかった。
アヴィも知っている。この男が勇者一行として黒涎山の洞窟に踏み込み、彼女の母の命を奪うことになったのだから。
憎い相手だろうに、アヴィの表情は冷たく、冷たいだけで。
「私が」
引き裂こうとするラザムの爪撃を半歩下がって回避して、アヴィは短く息を吐く。
「殺していれば」
突いた。
紙一重の所で爪を避け、その間隙に鋭い突きを二度、三度。
「ぎゃっ」
肩に、胸に、額に。
躱そうとしたラザムの動きの先読みでもしていたのか、切っ先がラザムを捉え、闘気で硬質化しているはずの肉体を抉る。
「母さんは!」
表情こそ冷たいが、アヴィの心は煮えたぎっているようだった。
この男に対してではない。
力が足りなかった自分自身への怒りで。
傷ついたラザムが飛びずさり、距離を置いて四つ足で身構える。
両手を獣のように地面に着いて、難敵と見做したアヴィに喉を唸らせた。
「ずひぃぃぃっ」
息を吸い込む音が耳に障る。
ぎろりと、その目がルゥナに向けられた。
その瞬間。
(あ……)
体が強張る。
腹の底がぎゅうっと締め付けられるように、奴隷として従わされていた頃の感覚が戻ってきてしまった。
あんな目で、私の足に、体に、獣欲を向けていたのだと。
そう思ったら――
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