第一幕 41話 逃げる者と追う者と_1



「ルゥナ様! これで十匹です!」


 銀色の髪と頬を泥と返り血で汚しながら、実に誇らしげに振り返るトワ。

 その手に握られた包丁もだが、肘の辺りまで血みどろになっていた。


 元の肌が雪のように白いせいで、赤黒い血が妙に艶めかしく映る。

 少し疲れたのか手の甲で頬を拭うと、余計に血の跡がトワの顔に広がった。



「ええ、見ていましたから」


 トワが仕留めたのは巨大な鼠の魔物だ。巨大とはいえ、ルゥナの膝よりも少し大きい程度だが。

 この辺りには多いらしい。


 ニーレの弓は、三回に一度ほど当たる。

 下手なのではない。素早く小さな魔物に当てているのだから、彼女は弓を使うのに向いているのだろう。


 矢に限りがあるので、外した矢も含めて回収しているが、傷んだ矢の代わりは移動しながら木を削って作っていた。

 矢羽根をつけたりは出来ない。粗製の矢では命中率も落ちてしまうだろうが、今は仕方がない。



「私はまだ五匹だよぅ」

「いえ、ユウラも頑張っていますよ」


 トワと比較して落ち込むユウラに慰めるような言葉をかけた。

 ユウラは最初の一匹目に少し手間がかかった。

 生き物を殺すということへの抵抗感。


 弓と違って、彼女が持つ手斧では命を奪う感触が直接伝わってしまう。

 最初から何の抵抗もないように包丁を突き立てるトワの方が珍しい。



「ルゥナ様、私も頑張っています」


 ユウラにだけ優しい言葉をかけたことが不満だったのか、トワがルゥナの前に速足できて口を尖らせた。


「そうですね。トワは本当に素晴らしい戦士になれそうです」

「本当ですか?」

「嘘のつもりはありませんが」


 少し危ういとも思っているけれど。


 魔物相手とはいえ、血塗れになって笑うトワを見て、同行している他の清廊族の表情が硬くなっていた。

 共に戦うと言ってみたものの、こんな風になれるとは思えない。断られて良かった、というように。


 トワは純粋だ。ルゥナの言葉に従って褒められたくてこうしている。

 呪枷なしで主人に従っていたことも原因になっているのか、主と定めたルゥナの意に沿って魔物を殺すことに躊躇いがない。



「ですがトワ、言ったでしょう。出来れば食料に出来るよう首を刎ねるか心臓を突くように、と」

「すみません、ルゥナ様。つい気が動転してしまって……」


 気分が高揚して、の間違いだと思う。

 包丁で滅多刺しにされた大鼠の体はひどく損壊していた。



 森の中には当然魔物がいる。

 強い個体もいれば弱い個体も。


 道を進んでいるわけではないので、茂みや木々が邪魔になり、そこにも魔物が潜んでいることがあった。

 先導するミアデとセサーカが邪魔な茂みなどを切り払い、荷車が通れる道を開いていく。



「天嶮より下れ零銀の垂氷」


 セサーカの魔法が生み出し掌ほどの氷柱が、ルゥナより頭二つほど大きな体躯をした大熊の喉に突き刺さった。

 あれはさすがにまだトワ達には相手に出来ない。


(氷柱、大きくなっていましたね)


 彼女らも成長している。森を進んで三日ほど経つが、魔物を倒すことでも力は増していくことが改めて確認出来た。

 ルゥナやアヴィはなるべく手を出さないようにして、彼女らの成長を見守ると同時に、他の清廊族の安全に気を配っていた。




「アヴィ、もう一度」


 皆が通り過ぎた後に出来た道に、アヴィが力を込めた手刀を振り払う。


 本来の力ではないとはいえ、相変わらずその力は強大だ。

 森に出来た獣道が深く抉られ、そこにあった土やらが飛び散った。


 落とし穴。

 夜なら気付かないかもしれない。


 追手がかかったとして、少しでも相手の戦力を削れるように。また落とし穴を警戒して時間を稼げるように。


 わざと斜め下に向かって掘るようにしている。

 落とし穴に気が付いた人間の兵士がそこで足を止めたとして、その下が空洞になっていたら重量で崩れることもあるだろう。


 致命傷にはならなくても、嫌がらせになるだけでもいい。怪我をしてくれたらそれもいい。


 追手は来ないかもしれない。だがそれを期待するのは愚かなこと。

 進む足の遅い行程に、ルゥナが油断することはなかった。



  ※   ※   ※  



 四人目の獣がいた。

 崩れる山から逃れた四人目の獣がいた。


 涎を垂らし、胸を掻きむしりながら走るそれの目は充血しすぎたせいか黒く染まっていた。


「ずふぇえええっうっ、ずひぇぇええっ」


 激しく呼吸を繰り返し、のたうち回り、どれほどの時間をその獣が過ごしたのかはわからない。


 四人目、と言った。

 それは以前は人間だったが、既に理性も思考力も失った獣の様相に成り果てている。


 山から落ち延び、のたうち回りながらそれは命を繋いでいた。

 草を土ごとくらい、水溜まりに顔を突っ込み、目に付いた魔物に食らいついて。


 かつてラザムと呼ばれた男は、自分がそうであったことも忘れて、生きる為だけに荒れる獣に成り果てていた。


 黒涎山に勇者シフィークと共に入った闘僧侶の男だったことなど、今はもう誰もわかるまい。



  ※   ※   ※ 

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