第28話 魔物と少女_3
結局、人間の持ち物を奪うのが最適で最短の手段なのではないか。
そういう結論に達したゲイルは、アヴィと共に洞窟の入り口近くまで来ていた。
「……いない、ね」
こんな時にはいないものだ。
それほど頻繁に人間が訪れるわけでもない。都合よくいるわけもないのだが。
周囲を見回すアヴィの首には、黒い布が巻かれている。
ゲイルの失敗作をマフラーとして使うことにしたのだ。
首周りの多少の防寒と共に、首に残る傷跡を隠すことも出来ていてちょうどいい。
色合いも、非常に濃密な黒で綺麗なのだとアヴィは気に入っているようだった。
それが本心なのかゲイルを気遣ってのことなのか。今回は本音のようだったので少し気が楽になった。
「……進むの?」
アヴィの声に戸惑いが混じる。
このまま進めば洞窟の出口だ。人間からすれば入り口ということになるか。
洞窟の外は広いので、ゲイルの感覚でもあまり遠くの状況まではわからない。
少なくとも入り口付近に人間や大型の生き物の気配はなかった。
(……)
ゲイルに包まれたままアヴィは運ばれる。
ゆっくり、ゆっくりと。
素早く進めるような体ではない。這いずりながら、ゆっくりと時間をかけて、坂になっている通路を登っていく。
夜だった。
月明かりが、山の岩肌を照らしていた。
ゲイルが洞窟の外に出たのは二度目だ。初期の頃に探索して以来になる。
なぜ出てきたのだろうか。
「綺麗だね」
アヴィが空を見上げて呟いた。
ゲイルも天を仰ぐが、視覚がないのでその思いは共有できない。
月明かりが差すその光量は感じられるが、どんな空なのか見ることは適わない。
「どうして外に?」
静かに、独り言のような問いかけ。
もともとゲイルは喋らない。いつも独り言のような形になってしまっている。
答えを期待していないのか、答えを聞きたくないのか。
(お前はきっと、外で生きていくべきなんだよ)
そう言われるのを恐れている。
ゲイルがそう思っていることを察して、そんな結論を聞きたくないと。
「……母さんは、私が邪魔?」
(違う)
返事が出来ない。
「私のこと、嫌い?」
(そんなわけがない)
言葉はない。
「……違うんだよね」
けれども伝わる。ゲイルの気持ちは、アヴィにもわかっている。
大事に思っているから、彼女の未来を願うのだと。
空からそっと吹きかけるような風が、アヴィのマフラーを揺らした。
「清廊族は、町ではまともに生きていけないの」
それなら穴蔵ならまともに生きていけるのかと。
今の生活が、まともな暮らしと言えるのかと。
幸せな暮らしだと、お前を幸せにしてやれていると自信を持って言えない。
不便で窮屈で惨めな暮らしを強いている。
そんなゲイルに何一つ文句を言わないアヴィのことを、嬉しく思う反面でひどく苛まれる。
(もっと楽しく明るい生活をさせてやりたいのに)
こんな身では何もできない。十分なことをしてやれない。
もし人間だったなら、他に何かしてあげられることがあったのではないか。
虐げられる清廊族だとしても、庇護して、暖かな食事とまともな服を着せて、もっとわかりやすく愛情を示せたのではないか。
そう考えてしまえば、ひどく惨めだ。
(ダメな親だ)
無様なゲイル。
聞き分けの良い子だからこそ余計につらい。もっと我侭を言ってもいいはずなのに。
「清廊族はね」
アヴィがゲイルから出て、数歩歩いて振り向いた。
「ずっと北の方から来たんだって」
指さす方向が北なのかどうかゲイルにはわからないが。
「神様と約束をして、この土地で暮らすことにしたんだっていうお話」
アヴィの幼い頃の曖昧な記憶にある清廊族のおとぎ話。
「北に行ったら、清廊族の故郷とかもあるのかな?」
そういう場所があれば、きっと今より幸せな生活が送れるのだろう。
人間に脅かされない清廊族たちの故郷。
だがそこには、たぶんゲイルの居場所はない。
ゲイルの住処は、暗い穴蔵の底。
本来、住む場所が違う。
「幸せって、どこにあるのかな」
ゲイルに背を向けて、空を見上げるアヴィ。ゲイルはただ黙ってそれを見守ることしか出来ない。
(……)
出来ることはある。
後ろから音もなく這いより、その小さな体を飲み込む。
食らいついた。捕えた。有無を言わせずに拘束した。
「っ……」
アヴィは抵抗しない。
そんな少女の体を全身で掻き抱き、その肌の隅々まで貪るように。
(いなくなるくらいなら、このまま――)
「ばめめぼびいお」
ゲイルのゲルの中でアヴィは言った。
もがもがと、泡を吐きながら。
(っ!)
我に返って、アヴィの顔を体から出す。
このままでは窒息させてしまう。
アヴィがいなくなってしまうという未来を恐れて、そんな未来が訪れないようにと暴力的な衝動に何をしていたのか。
「はふ、ぁ……」
顔を出したアヴィは、大きく息を吸い込んで、吐いた。
それからじっとゲイルを見つめて、そっと頷く。
「食べても、いいよ」
先ほどと同じ言葉を、今度ははっきりと。
「いいんだよ、母さん。母さんに食べられるなら、私はその方がいい」
出ていけと言われるよりも、離別を選ぶよりも、食べられる方がいいと。
(バカな、ことを)
違う、バカなのは自分の方だ。
自分の無力さを種族のせいにして、それをアヴィに八つ当たりして不安にさせただけ。
「あ……」
もう一度、強く抱きしめる。
言葉も涙もないが、泣きながら、哭きながら、その小さな体を抱きしめた。
「……うん」
アヴィの手も、不定形で頼りないゲイルの体を抱き返すように回される。
「ごめんね、母さん」
ごめんな、アヴィ。
情けない自分を、自分では許せないけれど。
小さな少女は、そんなゲイルを許して受け入れてくれた。
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