第523話 「創作だから」で許されないこと
今回はちょっと身につまされた話。
僕はまったく作品を読んでないんですが、百田尚樹さんという人が作家から政治家になり、これを書いている日にどこだかでトンデモな発言をして燃えている。SF(小説?)としての空想の発言らしいけど、なかなかぶっ飛んでて、さすがに問題になるのでは。一部では切り抜きだともされているけど、まぁ、政治家の発言は九割九分、切り抜かれて報道されますからね、あまり反論にはならないのでは。
さて、僕自身がだいぶ際どいSFを作っている自覚があって、「SFだから」という言い訳がどこまで通用するのか、今回の件でだいぶ考えさせられた。さすがに「SF小説」と「SF的妄想から来る発言(あるいは暴言)」は違うと思うのですが、どこがどう違うかは説明しづらい。媒体や形態が違うけれど、それは説明、根拠になるだろうか。商業出版ならともかく、本当に短い作品もあるネット小説では、やや弱いかな、と考えたりしてしまった。
僕はカクヨム のランキングを見る時にだいぶ憂鬱になっていて、SFはVRMMOに支配されて、歴史・時代・伝奇小説も転生に支配されている。それはジャンルに合わないだろう、と思うわけですが、では、僕の中でのSFが、一般的なSFになるかは、自信がない。極端な内容を提示して「SFです」と言っても、不快に思う人はいるだろうし、腹を立てる人もいると思う。そのことを考えると、創作の上での話、とかいう言い訳が通用しない場面はあるらしい。
創作と創作している人を=で結びつけるのは僕はあまり好きではなくて、作者の人間性と作品は切り離して考えてます。もちろん、作品から作者が気になってエッセイなどを読むことはありますが。で、今回の件で感じたのは、僕の中では「作品」とされるものが明確にあるのだな、ということ。百田尚樹氏の今回の発言は、僕の中では「作品」的なものではなく、もっと作者、発信者に近いものだと解釈された。では、「作品」とは何かとなるとかなり曖昧だけど、書籍として形になっているとか、ある程度の形を形成しているとか、色々ありそう。一つだけはっきりしているのは、「これは創作の話ですが」と前置きされても、「創作」と認識できないことがある、ということです。これは僕の理解力がないということになるのだろうか。うーん、ちょっと分からないなぁ……。
いずれにせよ、僕もデタラメな内容のものを作るけど、「作品」になるように努力しよう。それが僕の人間性の欠如を取り繕うようなものになるのは、何か違うけど。
2024/11/9
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