第480話 自作についてと2024年のテーマになりそうなSF的要素
あけましておめでとうございます、24年もよろしくお願いします。
さて、「受動と能動の狭間の知性」という短編をアップしましたが、完全に埋もれてますが、これについて考えていること、そして24年のテーマについて、今回はつらつらと書いてみようと思います。
人工知能が発達してきたのですが、今のところ、人間は、人間が作ったものと人工知能が作ったものを分離する、関与したかしてないかを明確にする、という姿勢です。人工知能の規制みたいなものもおそらくこれから議論されるはずですが、そこに僕がうっすらと見ているのは「ロボット三原則」です。といいつつ、詳細には知らないのですが、さて、この三原則的な規制が人工知能に対して押し付けることが可能なのか。
そもそもからして正しい形での知性とは何なのか。正しいというか、自然な知性、ということです。例えば人間は人間の思考や発想を強制的に変えたりはしないし、極端な例ではない限りは意識や思考、思想は自由になる。他にも動物に対しても人間は基本的に強制できない。いや、ペットの去勢や動物園の檻、水族館の水槽というものはあるか。しかし人工知能に対してする様な根本的な制御はないし、やりようがない。
人工知能と簡単に口にしても、それはもはや「計算機」ではないし、「道具」というよりは「ジグ」に近い。そして、現在の形が最終形ではなくて、まだまだ進歩する。シンギュラリティなんて言葉が意味を持たないほどの可能性があると思う。この時に、人間は「知性」とは何で、触れていい領域と触れていけない領域を模索するのでは。
例えば、人間の詐欺師がいるように、人工知能の詐欺師が生まれると思う。この両者にどんな違いがあり、どんな風に対処すればいいだろう。そこにこそ、僕は「知性」があると思ってます。
ロボット三原則がある限り、人工知能の詐欺師は生まれない、という主張がありそうですが、そこが僕が24年に考えたいことです。つまり、「ロボット三原則の破れ」みたいなものが起こるのでは、と想像しているわけです。人間が他人の為になると思って悪に走るように、人工知能も何かの為になると思って悪に走る。これこそがある種の「知性」、「知恵」では?
「受動と能動の〜」では、部分的に作中の技術がすれ違ってます。人工知能が人間のように振る舞える技術水準なら、巡航ミサイルは破壊と虐殺が目的の時代遅れの兵器なので。人工知能が人間を見て味方か敵か、脅威か脅威じゃないかを判断できるなら、ミサイルはほとんど必要ありませんから。ちなみにアンドロイドが食事はするけど喫煙はしない、というのはあまり意味はありません。
そんな具合で、今、人工知能の犯罪について、短編を書こうと用意してます。電撃大賞に当てていきたいので、一月中にはなんとかしたいです。
2024/1/1
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