第413話 創作と模倣

 今回は「創作」は何だろう、というところから始まるテキトーな話。

 対話が可能な人工知能は、僕の中での「創作観」とはややすれ違う。それは少し前にも書きましたが、ひらめきが存在しないことなどもありますが、うーん、人工知能がゼロからの創作が不可能であるから、とも言えるかもしれない。人間の創作もゼロから出発しているわけではないですが、少なくとも人間は常にどこかしらにゼロを意識する。新しいものを作ろう、という発想の有無が僕には気になる。ただ、出来上がった文章を読む時には、瑣末なものになってしまう。面白ければいいから、です。

 人工知能による盗作が懸念されるけれど、これは人間の知識、それも一人の知識ではなく、集団での知識が問われてくる。簡単にいえば、一人の人間が仮に千冊の本を読んで、それを完璧に記憶していても、古今東西の小説はその百倍どころではない数になり、人工知能が引っ張ったものが、すでに存在するものなのか否かは、一人では検証が不可能です。ただ、これは人間の作家にも言える。人間の作家もどこかしらからの影響をそれなりに受ける。影響を受けて、受けて、受け続けたことで、作家性が磨かれるような気がする。うまく影響を取り込めれば新作が生み出せるし、失敗すれば盗作になる。これは僕としても悩ましい。僕はちょっと、影響をうまく処理できないので、苦しんでいる。盗作しているつもりはなくても、好きなキャラクターや表現が、頭や思考に掠めてくる。これはなんというか、失格ですね。うまく処理したい。勉強中です。

 それはそうと(で流してはいけないけど)、人工知能が忘れ去られた既存の作品を盗用した時、それが面白くても否定されるとなると、では盗用元の既存の作品自体も否定されるのか、となると、これはよく分からなくなる。

 創作における最も難しい要素は、成立した時期があまり意味を持たないところです。2023年の作品でも、1970年の作品でも、初めて読む人にとっては、まったく同じ「新体験」になるからです。こうなると、「創作」とは「模倣」なのか、となると、まったく不鮮明になり、判断がつかない。「模倣」とは、「既存」の作品がなければいけない、成立しないはずが、その創作が既にあるものか、まったくの新規のものなのかは、読者にはまったく判断がつかないからです。

 ふと思いついたのですが、「人工知能」に「新規の物語」を「作らせよう」と発想するのは、何かしらの創作をしている人の発想かもしれない。本来的にはもっと素朴に、「面白い小説」とか「面白い作家」を人工知能に教えてもらおうとする方が、一般的なのでは。人工知能を試そうとする発想は、いかにも人間らしい。誰よりも速く走りたがり、誰よりも高い知性を求めるようなものです。お前は俺より速く走れるか? 俺より頭が良いのか? という発想は、競争でもあり、それが何かを向上させたかもしれないけど、さて、人工知能はそういう発想をするだろうか。

 もしかしたら感情の有無などより、そんな発想の有無こそが重要かもなぁ。いや、よく考えれば、永野護さんのマンガ「ファイブスター物語」のヒュートランがそんな設定だったか。いやはや、先に考えている人はいるものです。



2023/4/23

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