第309話 評価する人はいずこにあるか
最近、ちょっと悩んでいるので、今回はその話。
僕は根っからの公募勢なので、カクヨムでもできれば読者選考を避けたい、と前からしつこく主張してます。
僕が苦しいと思っているのは、公募で見出されるのと、読者の力で見出されるのとが、同じ結果に結びつきながら、過程がまったく違う部分です。
僕の感覚では、公募というのは、自動車教習所に通って勉強し、試験を受け、免許を取得する感じです。まぁ、自動車免許ほど確実ではないですが、その筋の専門家が評価した結果が書籍化になります。
では、読者選考は何かというと、無免許で峠道を走り回る、「頭文字D」的なドライバーが、その公道レースを見ている人たちの間で話題になる、みたいな感じです。もはや免許の有無など関係ない、というか。
この時、教習所上がりのドライバーと、走り屋仕込みのドライバーと、どちらが速いか、というのが現在の書籍の販売競争なのかな、と思ってます。
僕としてはとても無免許で峠を下ることはできないし、リスキーだと思っているので、公募でなんとか……と思ってます。
ただ、実際的に車を走らせる、徹底的に走り込んでいるドライバーには対抗できないのも事実。
これはよく意見が衝突することですが、長いタイトルは許されるのか、許されないのか、というのも、先の例えに近い。教習所仕込みはドリフトでカーブをクリアするのは許せないけど、走り屋仕込みはドリフトだろうと何だろうとクリアできれば良い、という発想になる。ここで問題になるのは、より早くゴールに辿り着くこと、タイムを削ることなので、ノロノロと安全にコーナーを回っていては、免許があっても無意味になる。しかし免許を持っていると、合法的に走りたくなってしまい、ドリフトなんてやらないし、そもそも練習していない。
僕も自分を縛る何かを取っ払わなくちゃいけないかなぁ、とここのところ、よく思う。しかしやり方がわからない。まぁ、勉強です。
ここからはまったくの愚痴ですが、異世界で楽しいお仕事、みたいなコンテストがあって、中編を一つ、用意したんですが、驚くべきことに、とても「楽しい」内容ではない。そんなカテゴリーエラーが通用するわけもなく、まだ書いただけで直してないのですが、参っています。まぁ、いろんな楽しさがある、という拡大解釈で許して欲しい。いや、教習所の教官が、縁石に乗り上げまくる運転を許すわけもないのですが。どこかにそういう教官、いないかな。いるわけないか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます