第304話 「紙の本を読みなよ」を飛び越していく現実
本当に「変革」って起こるんだな、という話。
僕はカクヨムでは結構、エッセイを選んで読んでます。ほとんどブログ感覚ですが、もはやブログなんて死語かもしれませんね。
さて、アニメ「PSYCHO-PASS」において、槙島が仲間に「紙の本を読むといい」と口走ってから、もう十年が過ぎた、あるいは過ぎようとしています。あの頃の僕は「近未来ではみんな電子書籍を読むんだなぁ」と思っていた。けど、十年で様変わりしましたね。電子書籍を読む時代、よりも先に、無料の小説を読む時代、がやってきた。これは槙島も想像しなかっただろうけど、槙島がディックやオーウェルの話をしたり、狡噛さんが「闇の奥」を文庫本で読んでたりするのは、あの世界においては、本当に誰にも通じないジョークなのかな、というところが興味深い。おそらく電子版でデータベースに残ってて誰でも読めるんだろうけど、例えば現実の僕たちが生きている世界に照らし合わせると、未来を生きる人は、無料で読める最新の本を読んで、百年以上も前の小説を読む、それも当時の書籍の形で読むことはないのではないか。
あまり強い話題にもなりませんが、図書館、それも国会図書館辺りが、収蔵しているものを可能な限り電子化して、全国のどこにいても閲覧できるようにしたら、ある種の革新であり、恐怖でもある。図書館は基本的に無料で利用できるわけで、仮に有料でも、書籍を買うよりかは安いはず。そうなると、もはや誰も本を買わなくなる。紙はもちろん、電子も買わず、より安価な「借りて読む」を選ぶのでは。もちろんこの場合は閲覧が可能な期間を厳密に、厳正に設定するわけですが。こうなると出版社、書店はかなり難しい立場になるなぁ。
ただ、それは今の段階でもあって、それがネット小説なのでは。無料で無制限に読める。僕みたいな極端な思想の持ち主でなければ、もう本を買う必要はなく、ネットを漁れば良くなる。槙島が「紙の本を読むといい」と口走ったのは、紙をめくる時の感覚が思考を研ぎ澄ます、みたいな趣旨だったけど、あまりにも遠回りだなぁ。美顔ローラーで顎を撫でると気持ちが落ち着く、みたいな。もっと素朴にすると、青竹踏みをするとコリが取れる、みたいな感じか。もはや用済みとなった紙の本を買ってまでして思考力を調整する辺り、槙島聖護はなんつーか、貴族だな。
僕は「紙の本」に拘りたいし、正直なところ、無料のものはあまり読みたくない。うまく表現できませんが、紙の本になるということは、ある種のフィルターを通過しているし、古典とはいかなくても、長く読まれるものにはそれ相応の価値があるように思える。名前が残っているものも、やはり何らかの評価の表れでは。もちろん、名前が通っていてもしっくりこないものはあるけれど。
でもいつか、本が本当に無料で読めるようになったら、「本」の概念が変わるか、無くなるんだろうな。「本」とは紙に印刷され、それをまとめたものではなく、ただの「データ」になる。もちろん、今も「本」は印字された文字の羅列という「データ」に過ぎないので、僕が執着しているのは、「紙」というだけのことに過ぎないのか。もしくは、「何かが整えたデータ」というかだけのことか。
全く違うニュアンスで、槙島の言葉が響くような気がしないでもない。
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