第149話 本を出したいなぁ! と思い出した

 今回は悔しい気持ちの吐露です。

 いや、悔しいというか、箸にも棒にも引っかかってないのですが、やっぱり本を出したい、という気持ちが環境その他でどうしても薄れてしまう自分がいて、良くないな、と思ったりした。

 考えることが止まっていて、自分に何ができるのか、何をしたいのか、どうやって形にすればいいか、そういう全てが置き去りで、独りよがりにものを書きすぎているのでは。

 フォロワーさんの数とか、PVとかで「数字」が見えると、なんとなく前進している気持ちがあるのですが、それは実は錯覚で、もしかして一歩も前進してないし、硬直して立ち止まっているのが今の自分では? と思った。こうしてエッセイのようなものを書いているのも、書く作業が休みになってるので出来ているのですが、エッセイにうつつを抜かさず、書くべきではないのか。書かなくても、よくよく突き詰めて、材料になりそうな何かがどこかにないか、目を凝らして、頭の中をひっくり返して、周りを見回して、とにかくとにかく、考えに考えて、考え尽くすほど考えるべきではないか。

 何回か、ここでも書いてますが、どうしても気になっていろんな人の創作論とかを見てしまうのですが、これももしかしたら良くないのでは、と思えてきた。結局、全てにおいて、他人のやり方とか考え方を取り入れようとする、意識しようとすると、硬直する。自分が本当はいいと思っているものさえも見えなくなってしまいそう。もっとフラットに、ラフに、「楽しい」とか「面白い」とか「ワクワク」とか、そういうものに向き合うべきなんじゃないか。誰かの、ではなくて、自分の、そういう感覚に。

 これは前にどこかで書きましたが、創作においてすごく印象深い言葉があって、なんでもない知り合いの普通の人、小説家志望だった、もしくは現在進行形で小説家志望の人の言葉なんですが、「読者に読ませる」作品を書く、という表現があって、時間が経つごとに、これが重要なのではないか、としみじみ思う。

 読者が「もう読まずにはいられない」、「先が気になっていてもたってもいられない」という気持ちになるようなものを作りたいと思います。本を出したい、という気持ちは、物体としての本が欲しいというより、どこか、本というもの、書籍という物体には、読者を引きずり込む力があるような気がして、なんらかの証明として、本がある種の到達点みたいに僕には見えます。作家としての証とは少し違うのですが……、正しい表現がわかりません。

 とにかく僕は、極端なエゴですが、自分の何かを証立てるために、本を出すところに辿り着きたい。そのためにとにかく努力しよう、と決意を新たにしました。

 とにかく、澄田こころさん、あなたは凄い!

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