49

 岡嵜零は勝ち誇っていた。


復讐相手の勝に対して。


「お父さんとお母さんはご一緒ですか、静さん」


そう切り出した零は


「私だ、スピーカーフォンにして二人で聞いている」


と勝が探偵二人のことには触れずに応えたのを知ってか知らずか、話を切り出す。


「お久しぶりです、佐藤教授。


お二人で…ということは、累さんは、オメガを発症したのですか?


盗聴器が発見される前に、すでにヒステリックになっていましたからね。


それに、警察も探偵たちもいないと?」


零は探りを入れた。


「零さん、お願いだ。こんなことはもうやめてくれ。


あなたと娘さんのことはもう、警察に知られている。


自首すべきだ」


受話器から聞こえて来る勝の声は少し震えているようだった。


「うっうっうっうっうっ」


零は堪えきれないように笑った。


「恒とマリヤの仇ですよ、そして、恒の研究まで奪い、自分のものにしたことへの罰です。


長かった、本当に長かった…」


「逆恨みもいい加減にしてくれ。当然のことをしたまでだ。


そのせいで無理心中のように巻き込まれた娘さんには気の毒だったが…」


「黙れ!」


零は怒声を上げた。


「…どうせ、この話は平行線です。


私はね、そんなことを言い争うために電話したのではありませんよ」


零はすぐに冷静さを取り戻し、ワイングラスを手に取った。



 家に入った零はレザースーツのまま、ソファで休んでいた。


リビングに常時聞こえるようにしてある、佐藤邸の盗聴器を聴きながら。


すぐに警察、探偵とやって来て、最後は盗聴器を見つけられ、それ以降、佐藤家の様子がわからなくなった。


ただ、池田たちのとった陽動作戦という目論見はまるで見当違い、佐藤家を襲撃するつもりは鼻からなかった。


自分が味わった思いを勝と累に浴びせられれば良いのだから。



 先ほどまで落ち着かずに、ワインセラーから年代物の一つを取り出し、大量誘拐事件のことを報じるテレビやネットを見ていた。


それでも、どうしても、佐藤家の様子が気になった零は、家の電話を使い、連絡することにした。



<まるで私、合格発表を待ちきれない、受験生のようね…>



だが、佐藤家の自宅の電話、累の携帯電話と次々かけたが繋がらないので、さらに勝、静と電話したのだった。



 「とにかく、やめてくれないか。抗体は持っているんだろう?」


「こうたい?」


「マジで言ってます?


わかりやすく言えば、特効薬みたいなものです」


池田と中津の小声のやり取りは、零には聞こえない。


「ですから、そんなことはどうでもいいんですよ。


私が電話したのは他でもありません。


あなたのその声を聞くためですからね」


「私の声?」


「そうです、私は別にあなたに死んでほしい訳ではありません。


むしろ、生きていてほしいくらいです。


家族が亡くなり、私がどんな思いをしたかを、そして自分のせいでこんな事態になった、その苦悩と後悔を味わいながら、死ぬまで苦しみ続けてくれればいいのです、うっうっうっ」


「何を…それなら、もう、気が済んだだろう!


お前の言う通り、累は発症してしまった。


俺は、俺はそれだけでも、もう、心が…折れて…ううっ」


受話器から勝の涙声が聞こえる。



<累が発症した?本当かしら…


その瞬間を盗聴器では聞き逃してしまったようだけど、この様子、演技とも思えないし…


やっと少し、目的を果たすことができたのね…>


零は悦に入る。



「…だから、これ以上はする意味はないだろう…頼む、頼むから、俺のことで世間を巻き込む必要は全くないんだ…」


「そして、お兄ちゃんを返して!」


静の大きな声がした。


「お兄ちゃんねえ、返してもいいですよ。


まだ、生きてますから。


ただし、ゾンビになった状態で良ければですが、ね、うっうっうっ」


「この野郎…」


「しっ!声が大きい。


それに、野郎は本来、男に使う言葉です…が、本当に、この野郎、ですね」


「ああ、ただ、一志君はまだ生きていてくれた…」


池田と中津がまた聞こえない会話をした。


「…生きているのね、そこはどこなの?


ゾンビでもなんでもいいから、教えてください!」


「教える訳がないでしょうぅ。


まあ、でも、これまでどおり、万が一、あなた方がここに辿り着いた時の保険として、最後まで生かしておいてさしあげますがね」


零は静の願いを持って回った答えで半分叶えた。


「…さて、万が一と言いましたが、いいことを教えてあげましょう」


「何だ?」


動揺を隠しきれない静に代わり、勝が訊いた。


「ヨウツベに上げた動画の再生回数ですがね、最後に上げたパート3、日本人編だけで一時間経たずに四百万回を超えました。


つまり、お宅のご長男、一志君の分ですよ。


これは、私の想像以上の数でした。


他の外国人のものはこれより少ないものもありますが、全十三か国の合計は五千万回以上になります。


それを越えてからは、もう計算する気にもなれませんが、今も軒並み、うなぎ上りですよぉ。


パート1、パート2は余り関係ありません。


パート1では、閲覧者のゾンビへのイメージで発症後の行動パターンが形成されますし、パート2は、これがでたらめではないことの補完なのですがね。


パート3だけでも、自分がオメガに感染している、そして、発症するという不安が起これば、最低限の条件は達成できるのですから」


「全くいいことに聞こえないのだが、何が言いたいんだね」


「わかりませんか?


これは忠告と言えばいいのか、あなた方の周りにいるゾンビの数ですよ。


ただし、全員が発症する訳ではありませんがね。


私の予測では、およそ半分の人間が発症するでしょう。


陰と陽、男と女、ポジティブとネガティブ、そういったものは自ずと半分ずつとなるのが世の常ですから。


まあ、発症しなければ済む問題ではありませんがね。


もう、おわかりでしょうが、発症した者からでも感染しますので」


「こいつ、ほんと、うざいな、説明が動画の通り、くどい…」


「静かに…」


池田の呟きを中津が制する。



「…日本の人口は約一億二千万人、四百万回となれば、計算上は三パーセントが閲覧したことになります。


二人以上が同時に見ることも考えられますから、実際はもっと多いでしょうが…


あなた方の暮らす東京の人口は約一千万人、つまり三十万人以上が動画を見たことになる。


その半分は十五万、はい、答えは出ました。


現段階の東京だけで、それだけの人数が発症する計算です。


個人差があって、まだ発症していない者もいるでしょうが、遅くとも数時間のうちに、ゾンビ化するでしょうねぇ、うっうっうっ」


零はそこで言葉を一旦止めたが、二人から返事がない。


「あなた方のお住まいの区に限っても、人口は七十万人ほどですか。


はい、あとは自分で計算してくださいぃ。


この一時間だけの閲覧でそれだけの人数ですから、実際はそれ以上、今も当然、どんどん増えていることでしょう。


そんな大勢のゾンビに囲まれて家に留まるか、一刻も早くどこかに逃げるか。


選択はあなた方次第ですぅ」


「もう逃げ出したよ」


池田が呟くと同時に、スマートフォンが振動した。


取り出して見ると、八塚からリネでの連絡だった。


<それどころじゃねえよ>



「――まあ、私を見つけるおつもりなら、家から出て行くしかないのでしょうが、うっうっうっ」


池田のことなど知らない零が話を続ける。


「ゾンビ網を突破するだけでも一苦労、さらにそんな状況で私の居場所を見つけられるのか…まさに雲を掴むようなお話ですね。


ここに無事、辿り着けることをお祈りしていますよ」


「なあ、零さん、本当に考え直してくれないか。


さっき、君は恒の研究を奪ったと言ったが、たぶん、誤解して…」


「だから、もうその話はよしましょう」


零はうんざりしたように、すぐに勝の言葉を遮る。


「だが、君は敬虔なクリスチャンだったじゃないか、どうしてこんなことをするん…」


「いい加減にして!…私は神を捨てたのですぅ」


零は声を荒げた自分を恥じるように、最後は声を抑えた。


「じゃあ、これだけは聞いてください!お兄ちゃんのことです」


その隙を見逃さないかのように、静の凛とした声が受話器に響く。


「ですから、生かしておくと言ったでしょう。


ただ、あなたたち二人が死んでしまったと判断、或いは、そう推測できる場合は処分しますぅ」


「処分って、まさか殺すってことですか!?」


「ええ、…いや、そうですね、そのつもりでしたが、ここから解放という方が案外いいかもしれません。


殺しても、死体の処分に手間がかかるだけですから。


放逐すれば、ゾンビとして死ぬまで彷徨い続けてくれるでしょう、その方がふさわしい死に方…うっうっうっ」


「ひどい…」


今度は中津が呟いた。


「――じゃあ、逆を言えば、それまでは、お兄ちゃんを生かしておいてもらえる、ってことですね?」


静は確認するようにゆっくりと訊いた。


「ここに来ることができれば、そうですね、約束しましょう。


ただ、その場合、お兄さんはお返ししますが、勝さんの前で、静さん、あなたの方を殺すかもしれません…


それでも構わないと言うのであればぁ…ね」


「んなことさせるか」


と池田が言うのと同時に、


「構うも何もない、とにかく、そこで待ってろ!」


と勝がいきり立った。


「…では、こうしましょう。


一時間置きにマリアのスマホにでも電話してください。


その電話がなければ、あなた方が死んだと判断し、一志君をすぐ解放しましょう。


小細工しても無駄ですよ。


解放すれば、一志君はどこに行くかわかりませんから」


「わかりました。


ちゃんと電話もしますから、待っていてください」


その静の決意を宿した声を聞いて、零は電話を切った。



<苦しめばいいのよ、私のように苦しめば…>


そう思おうとする零の心に、憎悪と復讐以外の何かが芽生え始めていた。

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