10

 狩尾李華はふらついていた。


突然の訃報から二日後、角野の斎場。


昨夜の通夜に続き、今日は大学を休んで、母親と一緒に参列している。


式は実家から少し離れた斎苑でしめやかに執り行われ、一通り終わっていた。



 そんな中、狩尾は心労が祟ったせいか、体調が悪く、式中に立ちくらみを起こして、さっきまで休んでいた。


それでも、角野を見届けようと、最後の出棺まで立ち会っている。



 「ファーーーーン!」


クラクションを鳴らして出て行く霊柩車の後ろを、路上に駐車していた白色のセダンがなぜかついて行く。


「和花…」


狩尾が手を合わせた時、斎苑の玄関先で騒ぎが起こった。


いつから来ていたのか、角野を自動車ではねた相手の男と和花の親戚が揉めているのだ。



「今さら、何しに来たんだ!」


「和花を返せ!」


「何しに来た!帰れ!」


一部の親戚が男に怒声を浴びせている。



「ちょっと、あいつね」


角野をはねた相手を一目見ようと、狩尾はその騒ぎに近付く。


三十代に見える男はひたすら頭を下げていたが、ついに堪えきれなくなったのか、


「和花さんが急に飛び出されて、こちらはどうしようもできなくて…」


と小さな声を漏らした。



 それは狩尾も聞いていたことだった。


角野はどうしたことか、近所の片側二車線の幹線道路を渡ろうとして、車道に急に飛び出たというのだ。


他人事なら、はねられた方にも過失があると思ってしまう仕方のない状況だ。


しかし、親近者であればそうはいかないだろう。



 「何、言い訳するの?」


怒声を浴びせる親戚同様、狩尾も気持ちは一緒だ。


怒りがまた、込み上げてくる。


とにかく、事故を聞いた後から悲しみよりも怒りが大きい。


ちょっとでも角野をはねた相手のことを思うと、怒りに歯止めがきかなくなるのだ。


親戚の人たちが怒っているのは、もっともだ。


この男が悪いのだ。


自分が悪いのに、言い訳までしている。


「あなたがちゃんと前を見ていれば、和花は死なずに済んだのよ!」


狩尾が叫んだ。


男が狩尾に向き直り、頭を下げる。


「謝って済む問題だと思っているの!


和花はどうやったって生き返らないのよ!」


「もうその辺にしておいたら…」


「この方もこうして謝っておられることだし…」


母親や周りの声も狩尾には届かない。


「すみませんでした…」


男は声を絞り出し、申し訳なさそうに頭をさらに下げる。


「土下座しなさいよ!心の中では謝ってないわ!」


男の態度に、狩尾はますます苛ついて土下座を強要した。


男は両膝をゆっくり付いて、頭を地面付ける。


「何よ、ゆっくりやって!


内心はしたくないんでしょう。


最初からそうすべきなのよ!」


怒りはどんどん、大きくなる。


<許せない!ぶっとばしてやる!>


男に向かって、さらに近づこうとした瞬間、めまいが起こり、よろけて膝をついた。


「大丈夫?」


母親が狩尾に駆け寄る。


狩尾は興奮したせいか、また鼻血が出ていた。


怒りと悲しみで、ろくに寝ていないせいもあるのだろう。


顔を上げると、男も頭を少し上げていて、恐る恐るといった様子でこちらを見ていた。


「何見てんのよ…!」



<どれもこれも全部こいつが悪い…


和花が死んだのも、私が寝られないのも、よろけるのも、鼻血が出るのも、悲しいのも、悔しいのも、この怒りも!


全部こいつのせえいいい!こいつが悪いいいい!


こいつがいなければ!


ちくしょこのやろコロしてやるわくそが死ねしねシネ!!>


狩尾の中で殺意が暴走し始めた。


<どうやって殺す!?


…噛みたい…噛み付きたい…噛み殺したい…


眠たければ眠るように、腹が減れば食べるように、悲しければ涙が出るように、憎ければ噛み付くのだ>


それが自然のことのように思えた。



 狩尾の中で何かが切れた。


額のいくつもの静脈が、太くなって浮き出てくる。


母親を突き飛ばし、膝立ちで自分を見ている男に向かって駆け出す。


男は、あっけにとられて、狩尾を見ているだけで逃げようとしない。


「かみ、かむ、かめ、かもー、きいーーー!!」


李華が甲高い奇声を発し、男の右肩と頭を鷲掴みにして少し持ち上げると、首元に噛みついた。


「うわ!痛!な、何を、痛いいい!ぐああ!」


男は仰向けになって狩尾を跳ね除けようともがく。


「きゃあああ!」


血で真っ赤に染まる狩尾の顔に、周りの女性から一斉に悲鳴や叫び声が上がった。


呆然自失となっている若い女もすぐ側にいた。


顔に鮮血がかかっている。


狩尾は男の首の一部を食い千切ると、もう一度噛み付く。


先ほどまで一緒に罵声を浴びせていた親戚の男二人は、その様子を呆然と見ていたが、我に返って狩尾を止めようとした。



 しかし…


信じられないことが起こる。


男の一人が両脇から李華の腕を掴んだのだが、吹き飛ばされたのだ。


またも悲鳴が上がる中、狩尾は立ちすくむ若い女に襲いかかろうとした。


すると、すんでのところで、次の男が狩尾に飛びついた。


しかし、その男も為す術なく、すぐに首元を何度も噛み千切られ、断末魔を上げて絶命した。



斎苑の前は凄惨な現場となった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る