9
池田敬はにやけていた。
探偵事務所を大型スクーターで出てから、静の家の近くのコンビニエンスストアの駐車場に入ろうとした時だ。
駐車場で待っていた静が、ちょうど大きなあくびをしていた。
入って来たスクーターが池田のものと気付いた静は、慌てて右手で口を覆う。
<かわいい…>
池田はバイクを停めながら思った。
「お待たせしました」
「すみません、来てもらって。
あの、これが兄のパソコンです」
静は照れくさそうにそう言って、ノートパソコンやマウスなどを入れた大きめのトートバッグを池田に渡した。
「ありがとうございます。
それで、佐藤さんがこいつを使ったのは、電源を落とした時と、起ち上げようとした時だけだということでよろしいですか」
池田は、先ほどの電話で聞いたことを改めて確認した。
「そうですね。
兄の荷物を整理した時も、私が片付けましたし、母は触っていないと思います。
家に持ち帰って、もう一度起ち上げようとした時に、パスワードが必要なことに気付いて…
わからなかったんで、すぐに諦めちゃって…
確かに言われれば、これに手がかりがあるかもしれないのに、あの時、電源を落とさなければ良かったですね…」
静は悔しそうに答えた。
「まあ、とっさには思いつかないし、仕方ないですよ」
「それで、なんかわかりましたか?」
「まあ、そうですね、お兄さんのお知り合い二人にあたってみましたが、何もご存知なかった、ということが、わかりました」
「はあ、それって、進展がないということですよね」
「人を探すっていうのは、地道な作業の積み重ねなんですよ。
一つずつ、着実につぶしていくもので、結果が得られなくても、進展と言えば進展です。
この前も言いました通り、絶対に見つけられる保証はないということは、くれぐれもご了承ください。
手がかりが無くなった時点で、捜索は終了しますので」
捜索依頼の場合、このことは必ず伝えている。
絶対に見つけますと、いい加減なことは言えない。
しかし、不安そうになる静を見て、慌てて付け足す。
「まあ、捜索はまだ始まったばかりですし。
出来る限りのことはします。
そうですね、明日は…別件で無理か、じゃあ明後日、佐藤さんの大学に行きますんで、映研から例の映画のことを聞かせてもらえたらいいのですが。
今は、少しでも手がかりがほしいので」
「ああ、それなら、その映画、ヨウツベに上がっていたんですよ。
本当はいけないんでしょうけど…」
静はスマートフォンを取り出し、画面をなぞり始める。
「あれ、もう消されてる」
静が池田の横に行き、スマートフォンの画面を見せた。
『著作権者からの申立てにより、動画は削除されました』
と表示されている。
「映画を見た誰かが、盗撮した動画をアップしたんでしょうが、ヨウツベ側が違法と見なして削除したのでしょう。
著作権侵害ですからね」
池田は静かに近付かれて、少しどぎまぎしたが、静の方は見ないように画面だけに目を向けて、冷静を装い、話を続ける。
「どちらにしても、先ほども言った通り、明後日、大学に伺いますので、あの、放課後でも会えませんか。
そうだ、映研の方に取り次いでもらうと、ありがたいのですが」
「わかりました。
映研の友達がいるんで、なんとかしてみます」
「それでは、明後日は何時がよろしいですかね。講義はいつ終わりますか…」
池田は急遽、静から約束を取り付けると、スマートフォンに予定を入れた。
事務所に戻った池田は、疲れを忘れ、バイク用のグローブのまま、作業用のテーブルにバッグからノートパソコンを出した。
「さてと…一応、指紋をとっときますか」
静の言う通りなら、パソコンには、一志と静の指紋しかないはずだ。
池田は、事務所の戸棚を開くと、ブラックライトや蛍光粉末といった指紋を採取する道具一式を取り出す。
グローブを外し、今度は鑑定用の白い手袋を付ける。
蛍光粉末をタンポという耳かきのわたのようなもので、パソコンの内側のみ丹念に付けていく。
特に、キーボードは一つずつ、念入りに。
付け終わって、ブラックライトを当てると、いくつか指紋が浮かんできた。
「渦状紋と、…弓状紋か」
よく観察すると、一人の人間の左右それぞれの指のものと推測できる。
同じ人間でも、指紋は指それぞれが全て違うが、指紋の種類は四種類しかない。
同じ人間ならその種類はほとんど同じで、特徴が似ている。
一番多くあるのが渦状紋なので、これが池田のものなのだろう。
電源ボタンや数字のいくつかのキーには、弓状紋があったが、恐らくこちらが静のものだろう。
池田は、その種類や大きさから特徴を見つけ、まず一志一人が使っていて間違いない、と結論付けた。
ただし、二つ疑問があった。
一つは、一志と静のものと思われる指紋の種類が異なること。
指紋は近親間で類似する場合が普通だ。
<絶対ではないのかもしれないが…まあ、あとで調べてみるか>
もう一つは、キーボードの上の方から『U I A M N』、そして、他のキーより大きなエンターキーの一部、これらは指紋がかすれてしまっていること。
<このパソコンが使われた最後の辺りで、素手以外のなんかでキーを押したということか…>
「うまに、まいぬ、まにう、うなみ…」
池田は声に出して、暗号めいた文字群を解こうとした。
そして、出た答えは、『SUMANAI(すまない)』。
『S』のキーは静のものと思われる指紋で"上書き"されていたので、あくまで推測での追加だが、これなら静の話と辻褄が合う。
なぜ、この文字だけ素手ではないのか?
夜逃げの荷造りをするのに、軍手等をしたまま打った可能性も否めないが。
「次は…と」
指紋を取り終えた池田は疑問を一旦置き、自分の机にパソコンを持って行くと、自分のパソコンと並べて置いた。
電源コードを少し乱暴に扱いながら、コンセントにプラグを差し込み、電源ボタンを押す。
しばらくして、起動画面が起ち上った。
タッタン、ター!
突然、けたたましい起動音が静かな事務所に鳴り響く。
「ったく、勘弁してくれよ…」
池田は慌ててパソコン前面に音量ボタンを見つけ、連打して音量を下げる。
<OSは…っと、ウィンドウズ7か、大学の頃から使ってるようだな>
池田は気を取り直し、パスワード入力の画面で、とりあえず、一志の誕生日、『0416』と打ってみる。
当然のように違う。
しかし、一度打つと、パスワード欄の下に、ヒントが出てきた。
パスワードを忘れた時に思い出すための機能だ。
『bofs』
ヒントはこの4文字だけ。
<これで静ちゃんはSを押していたのか。
ああ、そういえば、これらのキーにも静ちゃんらしき指紋はあったな。
しかし、あからさまにヒントを書くかね?
ボフス?
いや待てよ…>
「――もしかして、B of Sか?」
池田は少し考えて、試しに『0 5 1 3』と慎重に打ってみた。
と、あっけなくパソコンはスタート画面に移行し始めた。
「よし!静ちゃんのバースデーって訳か。
ほんとにシスコンかよ、あ、シスターのSかも?」
起動が落ち着くと、まずは画面を眺めた。
パソコンは、その持ち主の性格や趣味を如実に表す。
「ん…?ほう…」
池田はすぐに、特徴的な部分に目をやった。
通常は下部にあるはずのタスクバーが、左横にあるのだ。
画面を少しでも縦方向に長く使いたい場合、こうすることがある。
背景画像、所謂壁紙は、SF映画のワンシーン。
映画の公式サイトによくある壁紙でもダウンロードしたのだろう。
ソフトのアイコンはほとんどない。
『コンピュータ』と『ゴミ箱』が左隅にまとめられているだけだ。
「あとはこれ」
画面ほぼ中央に『0=∞の憂鬱.txt』というファイルアイコンが、ぽつんとある。
小説のタイトルだろうか。
「おっと、その前に…」
そのアイコンをクリックしかけた池田は、そう言ってスタートボタンを押すと、『最近使った項目』にカーソルを持って行く。
一番上に動画ファイルがあり、写真ファイルとの混在が続く。
<これは、ファイル名順なので…>
池田は、それを確認すると、右クリックして、『開く』を押す。
そうすると、『最近使った項目』フォルダが開くのだ。
さらに、手慣れた手付きで、表示を『詳細』にすると、『更新日時』を押して、ソートをかける。
「ふう…」
池田は一呼吸つくと、ファイル名の一覧を見つめる。
一番上にあるのは、『すまない.docx』というファイルだ。
更新日時は『2017/05/15 16:56』
静が一志の部屋を尋ねたと言った日と一致する。
ワードは初めて保存する時、最初の段落までの文字をファイル名にするので、恐らく、静が記録に残そうと保存したのだろう。
「その前に使ったファイルは、これか」
上から二番目にあったファイルの更新日時は『2017/05/12 22:56』。
『最近使った項目』というフォルダでは、『更新日時』とあっても、実際はファイルを開いただけで、その時間が記録される。
つまり、ここを見るだけで、ファイルを開いた時系列がわかる。
「最後に使ったのが、この時間…つまり五月十二深夜から五月十五日の間に失踪。
静ちゃんが言う、誕生日の連絡がなかったという話を考えれば、さらに狭められるな。
このファイルを見てから、夜逃げの準備を始めたとしたら、たぶん十三日未明から、遅くとも十四日の夜辺りまで…。
アバウト、この二日の間に出て行ったと…」
池田は頭を整理するように呟きながら、スマートフォンの失踪日時のデータ項目にそれを追加入力した。
「…んで、これは動画ファイルのようだが…」
内容が気になり、そのファイルをクリックする。
「まあ、そうだよな」
ファイルは動画で、若い男なら、いや、男ならたいてい見るようなものだった。
<失踪する前にこんなもの見るかね…まあ、見るかもね…>
池田は苦笑いする。
<ん?ちょっと待てよ。
なぜ、一志はパソコンを持って逃げなかった?
家族への伝言をしたかったとしても、パソコンを使う必要はないのでは?
小説家を志していたなら、パソコンは必須の商売道具だろう。
こういった夜のナニも…
まあ、このご時世、スマホで済ませられないことはないが…
ん?スマホの電源は入ってないんだよな。
電波受信を切って、それで使ってるのか。
それとも、スマホは変えたか、いや、タブレット端末とかを別に持っていたか。
金ないのに、そんな余裕あるのか?
それに、なんでわざわざ妹の誕生日前後なんかに?
夜逃げしたとしても、取りあえず、スマホからおめでとうメールでも打てばいいだけの話だ。
逆に、あえてそれをしないことで、夜逃げしたことを暗に知ってほしかったとか…?>
疑問は次々湧いてくるが、答えは全て推測の域を出ない。
とりあえず考えるのをやめ、キーボードを操作して『最近使った項目』のスクリーンショットを撮る。
さらに、それを貼り付けるため『ペイント』を起ち上げようとして手を止めた。
<そうだな…>
池田は思い直して、一志が最後に残したファイルを開く。
しばらくして、『ワード』が立ち上がり、『すまない』と文字を映し出す。
句点もない、ただの四文字。
この文字を一志はどんな気持ちで打ったのだろう。
そう思いながら、キーボードを操作する。
すると、画面には先ほど取ったスクリーンショットが貼り付けられた。
池田は、机の抽斗からUSBメモリを取り出すと、一志のパソコンに突っ込む。
『名前を付けて保存』から、『佐藤静氏依頼ファイル01:失踪人が残した手紙及び最近使った項目リスト』と入力して、挿したメモリに保存した。
次に池田はメールソフトを開いた。
<最後の受信日時は…五月十五日二十一時十五分か、静ちゃんが一志の部屋に来た日の夜だ。
受信の設定は…と、自動受信か。
母親に連絡をして、部屋に来てもらったと言っていたから、それまでは受信していたのだろう>
五月十二日夜以降のメールが、未開封の意味である太字で表示されている。
それまでの開封済メールは、カード会社からのものが多かった。
そのタイトルから、未支払い分の督促であると容易に想像できる。
池田は無線ランの項目を開き、事務所のものを選んで、パスワードを入力する。
パソコンはすぐに、インターネットに繋がった。
池田はメールソフトの『送受信』ボタンをクリックした。
自動受信といっても、定期的に受信するだけなので、すぐに受信するためにはこれを押す必要がある。
久しぶりにネットに繋がったメールソフトは次々にメールを受信し、うんざりするほど貯まっていく。
「あふぁー眠い…」
待つ間に時計を見ると、もう午後11時を回っていた。
「よし、あとは明日にしよう」
池田は受信を終えたメールソフトを閉じてパソコンを切ると、USBメモリと一緒に保管庫にしまった。
そうして、ふと自分の机の方を見る。
<ああ、そういや、光田の報告見ようと思って、自分のパソコン付けっ放しだったけな…>
そう思い、机の正面に周ると、パソコンの画面が切れている。
「ん?やっぱり消してたっけ?」
池田はマウスを軽く動かすと、画面が点き、ログイン画面が表示された。
<あ、スリープ機能か。
俺、長めに設定してたから、これが働くとこ見るのも中々ないな…
うん、待てよ…!?>
「あー、そうか、そういうことか、あー、なんで気付かなかった」
池田の声は誰もいない事務所に響いた。
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