#14 夜宵と一緒の湯舟

 体を洗い、水着を着直したところで夜宵とヒナはいよいよ湯舟に入ることにする。

 先に夜宵が浴槽に入り、体育座りで足を抱えているところに、ヒナも続いて後から入る。


「じゃあ、お、お邪魔します」

「どどどどうぞ」


 お互いに緊張しながらそんなやりとりを交わし、ヒナは足から湯船に浸かり夜宵の正面に腰を下ろす。

 本来一人で入ることを想定されたバスタブは、二人で入ると殆どスペースがなくなってしまった。

 必然的に彼らは至近距離で正面から見つめ合う形になる。


「な、何て言うか、狭いね」


 夜宵が照れた様子でそう吐き出す。


「おっ、おう。そうだな」


 ヒナもそれに相槌を打ちながら心の中で訂正する。


――狭いというか、近い!


 湯船の中では当然のように二人の足は触れ合う形になるし、顔だってすぐそばだ。

 顔が熱いのお湯の温度が高いせいか、それとも水着の異性と密着しているせいか。


 会話が途切れてしまい、ヒナは夜宵の方を見つめる。

 シャワーで濡れた長い髪を手でまとめている姿は普段の彼女からは想像もできないほど色っぽくて、息を呑むほど美しかった。

 クロスホルターネックのビキニに包まれた形のいいバストはお湯に半分浮かび、胸元を伝う水の雫が一層彼女を扇情的に見せている。

 そんな魅惑の果実を眼前に据えられ、ヒナの視線は釘付けになってしまう。


「え、えっとヒナ」


 露骨な視線は当然夜宵にもバレる。

 会話が途切れた上に、自分の胸を注視されている恥ずかしさから逃れる為に彼女は話題を切り出した。


「ヒナの体、結構ガッシリしてるよね。触っていいかな?」

「お、おう。構わないぞ」


 突然の提案に驚きながらもヒナはそれを了承する。

 夜宵の手がペタペタとヒナの胸板に触れ、次に腹部を撫でる。


「結構腹筋硬いね。鍛えてるんだ」

「まあ、リングファイトアドベンチャーやってるからな」


 運動部ほどでないにせよ、ヒナの体も多少は筋肉がついている。

 夜宵の手に触れられる度に、ヒナはその部分が熱くなるような錯覚に陥った。

 照れ臭くなってきて今度はヒナが口を開く。


「よーし、次は俺も夜宵の胸を触っていいかなー」


 冗談めかして言ったものの、言われた夜宵は目を真ん丸にして驚いた。


「えっ、えっ、えっ、ええええ!」


 即座にヒナは後悔する。

 夜宵はこういう冗談が通じるタイプでなかったと思い出したのだ。

 仮に冗談だとわかっていてもうまく躱せる人間ではない。


――いい加減学習しろ俺!


 動揺した様子の夜宵はやがて湯船に視線を落とし、自分に言い聞かせるように言葉をこぼす。


「そっか、そうだよね。私もヒナの体散々触ったんだから、こっちも触られてようやくおあいこだよね」

「いや、断ろうよ! どうしてキミはいつもそうなの!?」


 ヒナの大声が浴室に響き、夜宵がビクッと体を縮こまらせる。


「夜宵ちゃん、今のはセクハラだからね。こういう時はきちんと断るの! ノーと言える人間になろう。そんなんじゃ将来苦労するよ」

「う、うん。ごめんなさい」


 ヒナの勢いに押されながら夜宵は頷く。

 そして納得したように言葉を吐き出す。


「そっか、ヒナは私の将来を心配してあえてセクハラしたんだね。ありがとうねヒナ」


 セクハラ発言すら感謝されてしまった。

 重い。この子の俺に対する信頼が重すぎる。ヒナはそう感じて頭を抱えるのだった。


「えーっと、ところでさ。明日はどうする? 風呂」


 空気を変えるようにヒナはそう切り出す。

 明日以降も一緒に入浴するのか。さっき一度話題に上がったものの、曖昧なまま流れてしまった。

 夜宵の美しい水着姿を明日以降も見れるとなればヒナとしても魅力的な話だが、毎日がこれでは心臓が持たないとも思う。

 結局彼は決定権を夜宵に委ねることにしたのだ。

 湯船の温度のせいか、顔を赤くしながら夜宵は苦笑いを返す。


「あはは、そうだね。毎日こんなことしてたら怒られちゃうし、ほどほどにしておこっか」

「怒られるって、誰に?」


 ヒナの純粋な疑問に、夜宵は少し戸惑いながら答えた。


「それは。えーっと、ヒナの彼女、とか?」


 自信無さげな夜宵の言葉にヒナは口を挟む。


「彼女なんていないよ。お前だって知ってるだろ」


 ヒナのことをリア充爆殺委員会の会長に祭り上げて、絶対にリア充になっちゃダメなんて念を押してきたクセに何を言うのだろうか?


「じゃあ、未来の彼女とかかな。ほら、水零とか、光流ちゃんとか、琥珀ちゃんとかヒナと仲のいい女の子は沢山いるし」


 それは夜宵の本心だった。

 ヒナは人気者だ。

 今の状況をあの三人に知られたらどう思われるか、正直怖い。

 しかしそれを聞いたヒナは納得いかなかった。


「なんでだよ」


 何故自分の周りの女の子の名前ばかり挙げておきながら――


「なんで、その中にお前はいないんだよ」


 静かな問いかけに夜宵は驚く。


「そ、それはだって。みんな可愛いし、それに比べたら私なんて、陰キャだしコミュ障だし」

「夜宵!」


 ヒナは語気を強め、彼女の両肩を掴む。

 夜宵は驚いて彼の顔を見つめ返した。

 怖いくらいに真剣な瞳が夜宵を捉えていた。


「あの三人のことなんて今は関係ないだろ。俺は、お前と一緒にいるだけで目茶苦茶ドキドキしてるんだよ!」

「えっ」


 彼の言葉に夜宵は目を瞠る。


――そうなの?

――ヒナは女の子に慣れてて、私なんかじゃドキドキしないんじゃなかったの?


 もはや完全に勢いだった。この場の勢いだけでヒナは大事なことを口にしようとする。


「他の誰よりも俺はお前でドキドキしてるんだよ。俺は、お前のことが――」

「ま、待って!」


 彼の言わんとすることを察して夜宵はそれを遮る。

 その言葉にヒナは動きを止めた。

 夜宵は気まずそうに視線を逸らす。


「待ってよ。まだ、早いから」


 その言葉の意味をヒナは知っていた。

 一ヶ月前にも彼女から言われたことだ。

 夜宵はまだまだ子供で、恋もしたことがないから。

 自分が『普通』に追いつくまで待って欲しいと。


「私さ」

「うん」


 ヒナから顔を逸らしたまま、夜宵はポツリと呟く。


「コミュ障でさ、引きこもりで、人と会話するのが苦手でさ」

「うん」

「男の子とお付き合いするなんて、まだまだできないんだよ。こんな私じゃ、すぐに愛想を尽かされちゃう」


 そんなことない、とヒナは言いたかった。

 でもそれはエゴだと思った。

 ヒナがどれだけ夜宵のことが好きでも、夜宵は夜宵自身のことが好きになれない。自分に自信が持てない。

 それは彼女が自分で解決するしかない問題だ。

 夜宵は自分を変えようと頑張り始めたばかりで、まだまだ時間が必要で。

 だからそれまで待つ。それが友達としてヒナが守るべき約束だった筈だ。


「ごめん」


 ヒナは謝る。あの日、公園で交わした約束を破るところだった。


「ううん、私こそ」


 夜宵は首を横に振る。

 きっと彼は今、一世一代の勇気を振り絞って愛の告白をしようとした筈だ。

 それを止めた。告白すら許さない。自分がそれを受け止める勇気がないばかりに。

 彼にはとても酷いことをしてるという自覚がある。


「えっと、その」


 夜宵は言い淀む。

 なんだか気まずい雰囲気になってしまった。


「先に上がるね」

「あっ、おう。どうぞ」


 夜宵の肩を掴んでいたヒナの手が緩む。

 彼女は湯船から立ち上がり、浴槽の外へ出た。

 水を吸った夜宵の髪が背中に張り付くのをヒナは茫然と眺める。

 やがて彼女は脱衣所の扉を開けて、その向こうへと姿を消した。

 一人になったヒナは湯船に肩まで浸かりながら、後悔の入り混じった言葉を吐き出す。


「ごめんな。それと」


――大好きだよ。夜宵。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ヒナが風呂から上がると、夜宵はリビングで寛いでいた。

 昨夜と同じくナイトキャップを被り、体にはタオルケットを巻いた姿だ。


「ヒナ、髪乾かしてあげるね」


 先程の気まずい空気を払拭するように、夜宵は明るく提案する。


「ああ。サンキュ、お言葉に甘えさせてもらうわ」


 ヒナがソファに腰を下ろすと、夜宵はその隣で膝立ちになり、ドライヤーを彼の髪に吹き掛ける。

 温風を当てられて夜宵の方を向くことができないため、ヒナは自分のスマホをいじって髪を乾かし終わるのを待つ。

 スマホにはLINEの新着通知が来ていた。

 中身を見ると家族のトークルームに光流が料理の写真をアップしていた。


『今日のお夕飯は美味しい美味しい目玉焼きハンバーグですよ』


 その言葉通り、画面にはトロトロの目玉焼きが乗った手作り感の溢れる丸いハンバーグが写っていた。

 それを見て、ヒナは決心する。


「ごめん夜宵。俺、明日にはウチに帰るわ」

「えっ」


 唐突な言葉に夜宵は驚く。

 彼女がドライヤーの電源を切ったところでヒナは夜宵の方を向き、自分のスマホを示して見せた。

 画面を見て夜宵は感嘆の声を上げる。


「うわー、美味しそう。光流ちゃん料理上手いんだー」


 しかしヒナが家に帰るという話と、この写真の関係性が見えてこなかった。

 夜宵が不思議に思ってヒナに視線を戻すと、彼はポツリと呟きを返す。


「ハンバーグは俺の好物なんだよ」

「えっ、うん。そうなんだ」


 と、言われてもやはり話の繋がりが見えてこない。

 しかしヒナにはこのメッセージの意図がわかっていた。

 きっと光流は今夜、美味しい夕食を作って仕事から帰ってきた両親と食卓を囲んでいるのだろう。

 その写真を家族しか見ることのないトークルームにアップしたということは、これはヒナに向けたものなのだ。

 彼は優しい眼差しでスマホを見ながら言葉を紡ぐ。


「光流はしっかりものだからさ。我が儘とか言わないんだよ。

 代わりに俺の好きな料理の写真を上げて、帰ってきて欲しい、ってアピールしてるんだ」

「えっ、そうなの!?」

「そうなんだよ。あいつは本当は甘えん坊なのに、甘え方が遠回しなんだよ。そういうとこも可愛いんだけどさ」


 ヒナが苦笑する。

 そんな彼の妹想いな一面を見て、夜宵はなんだか微笑ましくなった。

 妹に会うために夜宵の家に泊まるのは今日で終わりにする。

 それが彼の出した結論。

 夜宵は思う。

 もしも自分が恋する乙女なら、こういう時、光流ちゃんに嫉妬とかするのが普通なのかな? と。

 よくわからなかった。

 わからないということは、やはり自分に色恋はまだ早いということだろう。


「よし、じゃあ今夜はヒナの歓送会として撤ゲーしよう!」

「ほどほどにしなさい。どうせ先に寝落ちするのキミだから」


 そうして、お泊り最後の夜も更けていくのだった。

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