道化の嘘
考作慎吾
第1話
「さあ、召し上がれ」
妻は仕事から帰ってきた私に笑顔を向けて夕食を差し出す。
優しい笑顔を見せる妻に対して、私は引きつった笑みを浮かべる。
今日も目の前には冷凍食品で作られた夕食が並んでいる。おかずは皿に盛り付けてあるが、ご飯はパックのまま、味噌汁もインスタントで紙容器のまま置いてある。
私は黙ったまま手を合わせて静かに食事を始める。口に入れたご飯は電子レンジから出したばかりなのか熱々で火傷しそうだ。慌てておかずを食べるが、解凍が上手く出来ていないのかジャリッと嫌な感触と冷たさが口に広がる。
「どう、美味しい?」
妻は笑顔を崩さず私に尋ねる。
「ああ、美味いよ」
「それは良かった」
ぶっきらぼうに返事をする私に妻は終始ニコニコしている。
「お前は食べないのか?」
「私はもう済ませたからいいの。それよりお仕事は順調?」
「それが、ここのところ失敗が続いて上手くいかないんだ。今日なんか後輩に指摘されちまったよ」
「あら、何か悩み事でもあるの?」
「……」
心配そうに聞いてくる妻に私は食事をする手を止めて、妻を観察する。
妻の表情は眉を寄せて心配しているが、私の抱えている悩みは分からないといった様子だ。
私は箸を置いて立ち上がる。
「ごちそうさま」
「もういいの?」
「ああ、風呂に入ってくる」
私はリビングから風呂場へ向かい、脱衣場で服を脱いでから扉を開ける。
そこには湯気の立つ浴槽ではなく、水気のないピカピカの浴槽だった。
私は大きく溜息をつくと、シャワーを浴びて体を綺麗にすることにした。
この生活が始まって何週間経ったのだろう?
妻との関係は良好だったはずだ。私も妻を養えるくらいの給料をもらい、ささやかだが家事の感謝を込めて年に何度かプレゼントも贈った。
妻も嫌な顔せずに専業主婦でいてくれて、家事を完璧にこなしてくれていた。
それなのに数週間前から妻は変わってしまった。
まず食事がレトルトかコンビニ弁当となり、手料理が一切出てこなくなった。
最初は用事で準備出来ないとか、具合でも悪いのかと思い追求しなかった。しかし、連日続く家事の手抜きに私は妻に問いかける。
「なあ。最近家事が手抜きな気がするんだが、どこか具合が悪いのか?」
「え?そんなことないわよ」
「じゃあ、何か用事でもあるのか?」
「いいえ。そんなことないわよ」
「なら、どうして家事を疎かにしているんだ?」
「あなた、何を言っているの?私は家事に手を抜いていないわ」
「……は?」
「私が出来る限りで家事をしているわ。いつもと変わらないわ」
「いや、違うだろう。前は完璧に家事をこなしていたじゃないか」
「前は、ね。今はこれが精一杯なの。こんな私に愛想が尽きた?」
「愛想は尽きないが、前みたいにしてくれないと困る。頼んだぞ」
「ええ。精一杯頑張るわ」
妻との会話を思い出していると、いつの間にかシャワーを浴び終えたらしい。
パジャマに着替えて浴室を出ると、家中真っ暗だった。私は寝室に向かい扉を静かに開ける。ダブルベッドの一部がこんもりと膨らんでおり、近付くと妻が寝息を立てている。
今までは風呂上がりにビールとおつまみを用意してくれて二人で呑みながら今日の出来事を話していたのだが、それすらもしなくなった。
私は妻の隣に潜り込んで横になり、ぼんやりと妻を見る。
ほんの一ヶ月前までは仲の良い夫婦だったのに、いったいどうしたと言うのだろう?
変わり果てた妻に触れるのは何だか気が引けたので、私は目を閉じて眠りに着くことにした。
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