羊のネムリ
なでこ
第1話
「“食べる”ということは、人が成せる一番の信頼の証なんだよ」
わたしのご主人さまは、口癖のようにそう仰る。食べたものは、その人の血となり肉となり一生を左右すると言っても過言ではない。
それでも、赤ん坊にしろ動物にしろ、心を寄せることのできる相手の働きかけにしか振り向くことはない。その笑顔を、向けることもない。
「私は、お手伝いがしたいんだ誰かを想う大切な心が、遠くまで届くように」
目を細めて、今まで店に訪れたお客さまの顔を思い出しているのだろう、優しい笑みがご主人さまの頬を彩った。
「ネムリ。予約のお客さまがいらしたみたいだ」
ご主人さまに見惚れていたわたしは名前を呼ばれ、はい、とエプロンの紐をきゅっと引き締めた。
眠れない夜、人はよく羊の数を数えるらしい。
「ネムリがいっぱい夢に出てきたら、かわいいだろうなぁ」
晩酌のワインを飲みながらほんのりと笑うご主人さま。私は向かいでそれを聞きながら、砂糖の少なすぎた紅茶の苦さに笑った。わたしがご主人さまと会ったのは、夢の中だった。毎晩うなされていた男性が眠れるように、ホワイトムスクの花枕を敷いた。ラベンダーを届けたこともあった。
あるとき、目を開けてそこに居たわたしを見て男性は言った。“君は誰だい?”と。どうやら人は、見た夢を忘れてしまうらしい。だから、ご主人さまはわたしが出てきた夢のことを知らないのだ。それでも、わたしはご主人さまが大好きだからずっと側にいると決めた。
「あの、注文、してもいいですか……?」
花の囁きに似た、小さくて暖かい声の主は、一人の少女だった。洗い立てのシーツみたいに真っ白な髪と、木苺のように丸くつぶらな赤い瞳。
彼女との出会いが、わたしやご主人さまの夢をもっと大きくさせるなんてこの時はまだわからなかった。
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