第35話 蘇った力

「まだ終わりじゃないわよっ。けんしんそんかんごんこんてんたくらいふうすいさん八卦はっけより選ばれし者。互いを合わせ、さらなる力と化せ。いきなさい。風火家人ふうかかじん!」


 だが綾音あやねの力はそこで止まらない。ただでさえ強大な力である大成たいせいを、さらに連続して唱えていた。

 こんどは風と炎が一つになって襲ってくる。風は炎の勢いを増し、炎がまた風の勢いを増す。強大な力が降り注いでいた。


「ぐぅぅぅぅぅぁ」


 ひろしが絶叫を上げる。


 洋の持つ力は純粋に霊力だけで言えば、綾音よりも相当に大きい。だがそれを加工する能力である術力に関してはゼロに等しい。そしてむきだしのままの霊力よりも、加工された鋭い力の方がより少ない力で効果を上げる事が出来る。


 綾音の術によって、洋の力はぐんぐんと失われていた。


「まだ終わりじゃないわよっ」


 再び綾音は叫ぶ。

 そして更に呪を唱え始めていた。


「綾ちんっ。もう、もうやめてっ。やめないなら、私、綾ちんでも容赦しない」


 だがその前に、結愛ゆあが切り裂くような声を上げていた。

 今までのどこかぎこちなかった指先の動きが、明らかに今までと違う流れるように印を組みだしていた。


「けんだり、しんそん、かんごんこん。てんたく、からい、ふうすいさんち」


大成たいせい? 結愛さん。貴方にはそれは無理です。無茶はやめ……」


 唱えようとした術に、冴人さいとが止めようとして言葉を失う。

 冴人が声を漏らした瞬間には、もうすでに術が組み上がっていたから。


「八卦より選ばれし者。互いを合わせ、さらなる力と化せ。もう、終わりにするっ。離為火りいか!」


 結愛の言葉に応えるように、全てを溶かし尽くす劫火ごうかが生まれていた。


 炎と炎を掛け合わせる術である離為火は、全ての炎の術でも最も高等な術に値する。その熱たるや、岩をも溶かすほどだ。


「結愛っ」


 洋が叫んでいた。その声は何を伝えようとしていたのか、もう届く事は無かった。


「洋さんを守れるなら、他に何もいらないっ。みんな消えちゃえっ」


 結愛の叫びと共に、劫火は解き放たれる。


「力を、取り戻した?」


 綾音が、いま初めてはっきりと驚愕を浮かべていた。冷静な顔を常に浮かべ続けていた綾音の、驚きと悦びの色。


「これくらいは止めるわ。風雷益ふうらいえき!」


 洋に向けようとしていた術を、結愛の投げかけた劫火へと目標を変える。

 同じ大成同士だ。力が均衡している以上、相殺されるはずだった。しかし。


 炎は綾音の雷風を貫いていた。幾ばくかは威力を殺がれたものの、それでも人を殺すには十分な力が綾音へと向かう。


 避けられない。しかし術で迎撃するだけの余裕がない。綾音は全身に力をみなぎらせる。


 ずぅん。鈍く響いた音はもくもくと煙を立てていた。全てを覆い隠すように。


 やがて煙は消えていく。そしてゆっくりと綾音の姿が現れていた。無傷とは言えないが、それでもしっかりと綾音は地面に立っていた。


「そうよ。これよ。私はこういうやりとりがしたかったの。自分と全く同じ位置に立っていられる相手が欲しかった」


 綾音は結愛と洋の二人に向けて、くすりと小さく笑みをこぼした。


 恐らく綾音は洋と同じうつつの術を使い、結愛の火炎を乗り切ったのだろう。洋も術を覚えて理解していたが、現の術には発動に時間がかからないというメリットがある。呪文を唱える必要がないのだ。


 しかし逆にいえば現の術を使わざるを得なかったという事は、ぎりぎりの状態まで追い込まれたという事でもあり、そして力のかなりを使い果たしたという事でもある。綾音も相当量の霊力の持ち主ではあるが、現の術で使う力は尋常じゃない。洋のようにそれだけで戦えるというのは極めて希少な存在なのだ。


「でも霊力は殆ど失ったわね。これ以上は術は使えない」


 綾音は静かな声で告げると、じっと結愛と洋の二人を見つめる。

 言葉とは裏腹に綾音はまだ戦う気を抑えてはいない。それどころか勝算すらある顔つきだった。


「なら降参か」


「冗談きついわね。術が使えなくても」


 洋の言葉に綾音は、すっと音も無く身構える。隙のない構えに、洋も無言のまま体勢を整える。


「体術があるわっ」


 綾音は一気に飛び込むと掌底しょうていを繰り出す。

 鋭い動きに、慌てて洋は身を翻す。だがそれを逃さずに綾音は連続で掌底を投げつけるように向ける。


「ちぃっ」


 洋は後ろにステップするように避け続けるが、いつまでも逃げきれる速度ではない。


 狙いを定めて綾音の腕を左手で払う。


 そのまま内側に踏み込んで肘を繰り出す。だが綾音は右手に飛ぶ。


「洋さんっ、綾ちんっ」


 結愛の声が高く響いた。結愛は術を唱えようと印を組み始める。


 しかしその前に冴人さいとが結愛の前に立ちふさがっていた。


「結愛さん、貴方の相手は私がしましょう」


 不敵な笑みを浮かべて、冴人は指先で眼鏡の位置を直す。


 冴人も綾音には及ばないにしても、術師としては優れた力を使いこなしていた。本来であれば今の結愛一人で抗える相手ではない。


 しかし。


「と、いいたいところですがね。僕も貴方ももう戦えないでしょう。僕の力はまだ十分以上に残っていますが、綾音さんの力は殆ど残っていない。これ以上、霊力を失えば本来の目的を果たす事は出来ません。貴方達もそうでしょう」


 冴人は小さく鼻息を吐いて、ちらと奥を見つめる。


 そこには天送珠てんそうじゅがじわと光を放ちながら浮かんでいた。そう、本来の目的はお互いを倒す事にあるのではない。天送珠の封印により天守てんもりの資格を得る事にある。


 これ以上力を失えばそれすらもままならなくなるだろう。天送珠の封印には多大な霊力が必要なのだから。


「理解してもらえましたか。私も貴方にも二人にも手出ししません。ですから、貴方も二人の邪魔はしないように御願いします」


 冴人は静かに告げる。結愛はこくりとうなづく事以外には出来なかった。

 二人の戦いを守り続ける事しか。


「洋さんっ」


 結愛は思わず洋の名を呼んでいた。


 洋は振り返らなかったけども、確かに首を縦にふったように結愛には思えた。


 そのまま洋は綾音を追いかけて、左に身を捻る。


 だがそこに綾音が洋の頭を狙う上段蹴りが繰り出されていた。綾音のスカートがふわと舞い上がる。


 洋はそのまま後方へと飛ぶ。目の前を蹴り足が通り過ぎていた。


「大胆な奴だなっ」


 洋は思わず口走っていた。そのまま踏み込んで一気に間合いを詰める。


「戦いの最中に気にしてられないわよ。――中にスパッツはいてるけどねっ」


 踏み込んでくる洋に、綾音も距離を縮めた。


 両の掌を合わせて、そのまま突き出す。


 洋はくるりと回るように身をひねり、そのまま裏拳で綾音を捉えようとする。


 だが綾音は身を伏せて、洋の腕を取る。


 ふわっと洋の身体が浮かんでいた。そしてそのまま地面へと叩きつけられる。


「ぐぅっ」


 呻きを漏らす。


 畳などと違い地面は非常に堅い。投げ技は見た目よりも大きなダメージを与える。


 しかし綾音はその隙を見逃そうとはしない。転げたままの洋へと叩きつけるように蹴りを向ける。


 洋は倒れたまま転げるようにして、なんとかその蹴りを避けた。


 ずきぃっと強い痛みが襲う。


 それでも何とか飛ぶようにして立ち上がると、まっすぐに構えをとる。


「女だからって手加減はいらないわよ」


 綾音がくすりと笑う。


 だが洋にはとても手加減を考えている余裕などなかった。綾音の技を避けるだけでも精一杯だった。


「そうはいってもな、やりにくいんだよっ」


 洋は声を荒げて一気に飛び込んでいく。やはり洋は空手の経験と才能があるとはいえ、もとはごく普通の高校生だ。女の子を殴りつけるのにも抵抗がある。


「ならあの子を天守にするのは諦めるのね」


 ぼそりとつぶやいた綾音の声に、洋はぎゅっと手を握りしめていた。


「そういう訳にはいかないんだよっ」


 洋は綾音へと飛び込んでいく、


 結愛は自分と一緒にいる為に、辛い道を選んだ。それならせめて結愛の為に自分が出来る事をしてやりたいと思う。


 それはあるいは洋の傲慢なのかもしれない。結愛がそれを望んだ事は一度たりともないのだから。


 しかし洋は、あの時交わした小さな約束を守りたいと願う。ただそれだけを。


 まっすぐに拳を突き出していた。

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