第22話 奪われた力
「だから
「
「もういい。もうたくさんだ。やめてくれ。馬鹿みたいだ、俺は。お前らの事情に振り回されて、好き勝手な事をされるのか。いいかげんにしろ」
洋は首を振るって、それからゆっくりと歩き出す。洞窟の出口へと向かって。
「洋さんっ、洋さんっ。待って。待ってください」
慌てて結愛が呼び止める。そして洋の後ろを追いかけようとして駆けだしたその瞬間。
「くるなっ。もう茶番は聞き飽きた。まだ俺を利用するつもりなのか」
洋は強く拒絶の意志をぶつけていた。結愛の足がぴたりと止まる。
「洋さん……」
結愛の顔がはっきりと崩れていく。その目に浮かんでくる水滴を隠すことも出来ずに。
その顔をみていると、一瞬胸が痛む。いつもきょとんとして何を言われても笑っていた少女の、初めてみた涙。まるで今まで溜めていたものが一気にあふれ出したかのように、後から後からこぼれ落ちていく。
まるで自分が結愛をいじめているかのような錯覚に囚われそうになる。だけどそれは違う。いまここにいる結愛こそが、洋を傷つけようとしていた本人なのだから。
「
「わかりました」
背中から綾音の声が聞こえていたが、もうその言葉は自分とは全く関係の無い台詞にしか聞こえなかった。遠い知らない世界での物語にしか。
それなのに。まだどこか悔しさに包まれているのは何故なんだ。洋は心の中で呟く。
「洋さん。待って。聞いてください。洋さん」
だけど結愛の声を耳にした瞬間、洋は言葉を荒げすにはいられなかった。
「うるさいっ」
振り向いて出来うる限りの声で恫喝する。
再び結愛の顔に涙が浮かんでいた。
「ごめん……なさい……」
背中から聞こえてくる、微かな台詞。その言葉はだけど洋には届かない。
いつの間にか洋は結愛の事を信じていた。溜息をつきながらも、どこかで仕方ないな、手伝ってやるかと考えていた。
結愛の為に何をしてあげてもいいと、嘘ではなくて思えていた。それなのに、目の前の女の子は、その気持ちを利用していただけだった。全て踏みにじるように。
「みゅうっ」
刹那、みゅうが高く鳴いていた。洋の肩で強く爪を立て、がぶりっと洋に噛みつく。
「っ! 何を」
肩の上のみゅうを掴もうとして腕をのばす。しかしその腕が届くその前に、みゅうはぴょんと飛び降りて駆け出していた。
結愛の元へと。
みゅうには洋が結愛をいじめているように目に映ったのかもしれない。確かに涙しているのは結愛で、端からみれば可愛い女の子を泣かす悪い男に見えるのかもしれない。
だけど洋は結愛を許せそうにない。人を信じる事とは辛い事なのだと見せつけられたばかりだから。もしも冴人や綾音の言う通りなら、許せるはずがない。
力を吸い取れるだけ吸い取って不必要になったら捨てる。そんな事を許せるはずがない。
「洋さん。きいて、きいてください」
足下に駆け寄ったみゅうにすら気がつかずに、結愛は洋へと声を投げ続ける。
近寄ろうとして、わずかにためらって。困惑した表情でじっと見つめていた。その結愛の顔がとても寂しげに見えて、洋の心をじっと捉えていく。
一度は振り払ったものの、やっぱり洋には結愛が騙したようには思えなかった。
「わかったよ。じゃあ話をきいてや……な」
洋は溜息をついて、結愛へと歩み戻ろうとした瞬間だった。
突如、天送珠が目を開ける事すら出来ないほどの強い光を発していた。
「
綾音の驚愕だけが耳に伝わってくる。だがあまりの光量に何が起きているのかもわからない。
「冴人。とにかく封印するわよっ。準備はいいわね」
「もちろんです。
あの二人組の声だけが聞こえていた。結愛やみゅうの声は全く伝わってこない。
いや、洋の手にそっと暖かい何かが触れていた。それは洋の手をぎゅっと繋いで、しかしすぐに離れる。同時に手の上に微かに水滴が落ちるが、それがいったい何だったのかはわからない。
「洋さん。ごめんなさい。でも私、騙すつもりなんかじゃなかったんです」
結愛の声は静かに響く。目の前にあるのは眩いばかりの光だけ。何もかもを包み隠して、その刹那。
「
冴人の声が高らかに響いていた。そしてその声を継ぐように綾音の歌うような言葉が紡がれていく。
「世界に還れ。あるべきものよ。
綾音の詠唱が登るように高まっていく。
ふぅん。
音にならないような音。その響きが伝うと同時に光が消えていた。あれだけ眩く輝いていたというのに。
いきなりの闇に完全に視界が閉ざされてしまう。結愛が保っていた輝きすらも消えてしまっていた。
あいつらが封印とやらに成功したのか。洋はきょろきょろと辺りを見回すが、手の先さえも見えないほどの闇。完全に光という光が全て消え去っていた。
「おいっ、何がどうなったんだよ」
洋が叫ぶ。その瞬間、びとっと足下に何かが触れた。
「うわっ、なんだ」
慌てて後ろに飛び退く。思わず身構えていたが、しかしどこにいるのかも全くといってわからない。
暗闇は人の心を不安にさせる。冷たい空気が、すぃと流れた。
ぴちょんと音が響いた。慌てて音のした方向へと振り返る。恐らく水滴が落ちた音だろうが、だが何も見えないこの状況でははっきりとはわからない。
「くそ、何が」
「みゅうっ」
足下から響いた音。その瞬間、思わず洋は声の主を蹴飛ばしていた。
「みゅーーーっ」
何か悲しげな声が響いていた。この声には聞き覚えがある。
「……悪い。思わず蹴っちまった」
「みゅうっ。みゅーーーっ」
遠くで抗議の声が上がる。だがその瞬間、切り裂くような甲高い音が響きわたった。
「うわわわっ。こ、この忌まわしい小動物が。離れなさい、このっ」
それは聞き覚えのある声だった。冴人のものだろう。そして声からは少し離れた場所でぽうっと小さな明かりが灯る。やっと現れた明かりに、なんとか辺りが把握出来る。
まだ光の残像ではっきりとは見渡せなかったが、それでも誰かがそこにいる事くらいはわかった。
だんだんと目が慣れてくるに従って、猫と格闘している冴人と、その側で溜息をつく綾音の姿が映る。
「もう。何をやっているのかしら」
綾音が呆れた声を上げて、冴人の背中に張り付いていたみゅうを剥がす。そのまま腕の中に抱くと、みゅうは安心したのかもそもそと腕の中に落ち着いていた。
「すみません。その小動物が」
「言い訳はいいの。それよりも」
ちらりと視線を送る。洋もその綾音の目線の先へと目をやっていた。
そこからは確かについさっきまで存在していたはずの、ぼんやりと輝く珠の姿が無くなっていた。
「やられたわ、何者かに天送珠を奪われた。さっきのは天正の門が開こうとしていたんでなくて、転移の術が発動していたのね」
綾音はマジマジと珠があった場所をみつめて、そして冴人へと振り返る。
「そうみたいですね。僕としたことが、それに気がつかなかったとは。少し結愛さんに気を取られ過ぎていたかもしれません」
冴人はつぶやいて、それからちらりと横目で洋を眺める。まるで貴方がくだらない劇を演じていたからですよ、と目で語っているかのようだった。むっとして洋も思わず睨み返す。
「もう。そんな事してる場合じゃないわよ。天送珠が誰の手に渡ったかはわからないけど、悪用しようとしている何者かがいる事は確か。しかも私達に全く気配を感じさせないなんて、かなりの手練れね。急いで取り戻さないと。結愛、ここは一時休戦よ。天送珠を取り戻さない限り封印も何もないもの。……結愛?」
綾音はそこまで告げて、はたと気がついていた。この洞穴のどこにも結愛の姿がない事に。
「結愛。ちょっと、隠れてないで姿を現しなさい。どこにいるのよ。結愛」
綾音は洞穴の中をぐるりと見回す。だがこの空間にはどこにも隠れるところなどはない。
結愛がどうしたのかは分からないが、ただ一つ間違いないのは結愛はもうここにはいないと言う事。なぜいなくなったかは洋には見当も付かなかったが。
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