第8話 国津神
「それじゃあさっきの鬼みたいなのはなんなんだ。お前はぷちおにと呼んでいたけど」
実はこの事が
あのような化け物を見たにも関わらず冷静にいられるのは、矢継ぎ早に起きた非日常的な現実に感覚が麻痺してきた事もあるだろうし、一瞬のうちに
「えっとぷちおには
結愛はそう告げながらも先程鬼が現れた方向をじっと見つめていた。何を思っているのかは、洋にはどうにも掴めなかったが。
「でもこうしてぷちおにがやってきたって事はもう始まっちゃったって事ですね。いよいよ時間の猶予が無くなってきました。
「は?」
結愛のあまりといえばあまりの台詞に、洋は思わず声を漏らしていた。
世界が滅ぶ。さらりと言われた台詞は、当然の事だが全く現実感がない。しかし冗談や嘘だと決めつけてしまうには、目の前で起きた事実はすでに現実離れしていた。
「なんてこともあるかもしれません」
「……あのな」
さらりと言われた台詞に、一瞬でも本気にしかけた自分が馬鹿だったと頭を抑える。
「だから、洋さん。協力してくださいね。私、洋さんがいてくれるなら、がんばれますから」
しかし結愛は洋の声が聞こえていないかのように、まっすぐにまっすぐに見つめ続けている。
「ああ」
洋はうなづいていた。あの時と同じように。
ただあの時は勢いに負けて思わずではあったが、今は違う。今も同じように何がなんだかわからない。何をしたらいいのかも、何をしようとしているのかもわからない。
ただそれでも。今はこの真剣な眼差しの少女に、自分が出来る事をしてあげてもいいかと、思い始めていたから。
うなづいていた。
「どうせ今日から冬休みだしな」
なかば自分に言い聞かせるように呟くと、洋は結愛へと照れくさそうに視線を向ける。
「はいっ。洋さんが手伝ってくれるなら、きっとやり遂げられます。きっと叶えられます。だから、がんばるですがんばるですがんばるですっ。ふぁいとっー、おーっ」
「みゅー」
「うん、みゅう。がんばろっ」
みゅうを抱きかかえてから、そしてにこやかに微笑む。
その瞬間。ぐぅ~と、結愛のお腹から音がきこえてくる。
「ふぇ。お腹の虫が鳴いてる。そういえば私、今日一日何も食べてない~」
へろへろと力尽きるように、ぱたんと床に突っ伏していた。
そんな様子をみていると、さっきまでのそれでも張り詰めていた空気が、一気にどこかに行ってしまったような気がする。
「そうだな。俺も腹減ったよ。そろそろ飯にしよう」
「はい!」
結愛は大きく頷くと、再び元気良く立ち上がった。食事と言う言葉に無くした気力が、思いっきり回復したようだった。
みゅうを抱えたまま台所へと歩き出して、そしてまだ置きっぱなしだった買い物袋の中身を取り出し始める。
それから結愛は台所の棚をいくつか見てまわっていた。どうやらどこに何が有るのかを確認しているらしい。
「俺も手伝おうか?」
ふと洋は訊ねていた。一人に任せるのは悪いと思ったし、それにこの結愛に任せるのはやはり心配しないでいろという方が難しいだろう。
「ありがとうございますっ。でも、大丈夫ですっ。台所をみればだいたいどこに何があるかわかりますから、心配ご無用ですっ。無用ですったら、無用です。大船に乗ったつもりで、私に任せてください。ほらー、洋さんはこたつで休んでいてください」
そう言うと結愛は洋の背中をぐいぐいと押して居間へと追いやる。
「大船にって、泥船じゃないだろな、それ」
乗ったは良いものの出航したとたん沈みだしたカチカチ山のたぬきを思い出してしまい、僅かに眉を寄せた。
「ふぇ。ひどいですひどいですっ。むー、みててくださいねっ。洋さんをびっくりさせちゃうんですからっ」
結愛はなんだか気合いが入ったのか、ガッツポーズをしてみせると洋を居間にやって、ぱたんと扉を閉める。
「大丈夫だろうな。あいつ」
油をひっくり返して火傷したりしなきゃいいけど、と台所へと続く扉を見つめながらも、それでも信用する事にして洋は居間のこたつへと入った。
「じゃーんっ。出来ました。出来ました。出来ましたよーっ」
しばらくして大きな声と共に扉が開かれる。もうずっと使われていなかった大きなお盆の上に、いくつもの器が乗せられていた。
「おお!」
思わず洋も声を漏らしてしまう。
色とりどりの器に盛りつけられたのは茄子の田楽、じゃが芋のそぼろ煮、小海老入りの茶碗蒸し、それから天ぷらが三品、豆腐とわかめのおみそ汁に炊きたてのご飯。そのどれもがほかほかと湯気を立てて暖かい。
特別にものすごい料理がある訳ではなかったが、これだけの品を冷めない内に全て作り上げるのはかなりの手際の良さが必要だ。
それに茶碗蒸しや煮物は、見た目よりもずっと手間が掛かる料理だ。しかも焼き物、煮物、蒸し物、揚げ物の全てがそれぞれ揃っている。まるで旅館の料理のようだ。
「本気で料理得意だったんだな」
「はいっ。すごいですか? すごいですか? すごいですよね? すごいって言ってくださーいっ」
楽しそうに言う結愛の頭にぽんと手をおいて、「ああ、すごいよ」と洋は告げる。
結愛はそっと顔を上げて洋へと視線を送ると、それからえへへ、と声をあげて嬉しそうに微笑んだ。
「ま、せっかくだし熱いうち食うか」
「はいっ」
洋の言葉に結愛が大きくうなづく。料理を席の前に置いて、ゆっくりと椅子へ腰掛ける。
「いただきます」
声と共に洋は箸を手にして、ゆっくりと手を伸ばす。その一挙一動を結愛はじっと見つめていた。
茄子の田楽に手を伸ばして、ぱくりと一口。そこで洋の動きが止まる。
「どうですか? 美味しくなかったですか」
心配そうに覗き込む結愛に、じっと洋は視線を送った。
「う、うまいっ。うまいよ、結愛」
見た目に反せず繊細なそれでいてちゃんと感じる味付け、さらに完璧な火通りで茄子の旨味を完全に引き出していた。確かに自慢するだけはある。
「わぁ、よかった。お口に合うかどうか心配だったんです」
結愛はにこりと微笑むと、安心したのか自分もゆっくりと食事を始めだす。
「ああ、うまいよ。このキス天もうまいし。思ってたより全然いいな」
「ふぇ。それはぜんぜん期待してなかったという事ですか?」
「ま、そうともいうな」
「わー、洋さん。ひどいです。ひどいです」
そんな会話を繰り返しながら、少しずつ食事の時間は過ぎていく、いや過ぎていくかと思えた瞬間。それは洋がジャガイモのそぼろ煮に手をつけた時だった。
「……結愛、お前これ何つかった?」
「ふぇ?」
訳が分からないのか結愛は首を傾げる。
「これ醤油じゃなくて、ソースつかっただろ」
そぼろ煮は、やけにべたべたしている上に妙に味が濃い。とてもじゃないが食べられたものではない。
「ふぇ。ソースって何ですか?」
結愛はさらに首を深く倒していた。いつものように身体ごと傾け始めている。
「お前、ソースも知らないのか?」
「ふぇ~」
呆れる洋に、結愛は殆ど床に着きそうなほど身体を倒していた。そのうち座椅子ごと倒れてしまいそうだ。
「これ。こいつがソース」
台所からソースの入った瓶を持ってきて見せる。
「ふぇ~。それ濃口醤油だと思ってました」
「違うっ。ぜんぜん違う」
洋は思わず叫んでいたが、このソースは特売で買ってきた業務用の大きな瓶に入ってるものだ。確かにぱっと見た目醤油に見えなくもない。しかしラベルにはソースと書いてあるし、そもそも直前に味を確かめていたら、こんな事にはなっていないはずだ。
「お前、全く味見してないだろ」
「はいっ!」
「思いっきりうなづくなっ。味見くらいしろ!」
力強く返事した結愛に、洋は声をはり上げる。しかし心のどこかで、こんなのも悪くはないかもな、と感じている自分を見つけて、わずかに溜息をつく。
ただそれでもこうしている事が、どこか懐かしい気もしていた。
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