第4話 少女の名前
「あ、
少女が不意に声を上げる。ちょうど洋が安売りのキャベツを手にとった瞬間だった。
「だめって何がダメなんだ。安い時に買っとかないと、余計金かかるだろ」
完全に主婦の発想で呟いてから、しかしそれでも手にとったキャベツを買物カゴに入れるのは止める。
「そのキャベツは質が悪いです。芯のところが少し変色してるし、ほら、持ってみても身が詰まってないです。芯の色が綺麗で持った時に重量感のあるのがいいキャベツですよ」
そう言って「はい」と違うキャベツを差し出した。なるほど言われてみれば確かに違うと洋も思う。
「そんなこと良く知ってるな」
「はい! 私、料理は得意ですからっ。食べるのはもっと得意ですけど」
そう言って「てへっ」と口元に笑みをこぼした。その笑顔に洋は「こうして普通に話していれば可愛いんだけどな」と心の中で呟く。
「ぜんぜん料理得意そうには見えないけどな」
「あー疑ってますね、洋さん。いいですよっ、じゃ今日の晩ご飯は私が作りますから確かめてくださいっ」
「マジか!?」
少女の台詞に、ぴくんっ、と強く反応してしまう。ここのところ自分で作った料理しか食べていないからだ。
長年一人で生活してきただけあって、洋もそれなりに料理は作る事が出来るのだが、やはりバリエーションには限りがある。たまには違う物が食べたいとの欲求は強い。
洋は空手をやっている事もあり、体つきもしっかりしているし、その分食欲もある。そもそも健全な男子高校生なのだから、ない方がおかしいくらいだ。
しかし叫んでしまってから、はっと己を取り戻す。考えてみれば、何でこの変な少女と仲良く買い物をした上に食事を一緒にしなきゃいけないんだ、と。
「はいっ任せてください。洋さんに食べてもらえるなんて嬉しいです」
しかし洋のそんな内心には気付いていないのか、少女は嬉しそうに本当に嬉しそうな笑顔を浮かべて食材を選びだしていた。思わず抗議の言葉を失わせるほどの笑顔で。
ああ、俺はこうして深みにはまっていくのかもしれない、と洋は内心諦めに近い台詞を呟いては、わずかに苦笑して結愛を見つめる。
「おい、ストーカー娘」
呼び止めた声に、少女はしばらくきょろきょろと辺りを見回した後、不意にくるりと洋へと向き直った。
「ふぇ。それって私の事ですか?」
振り返った少女はいつも通り首を傾げてはいるが、買い物カゴを両手で支えているせいか、身体までは傾けはしない。
「そうだ。お前だ」
「やだな、洋さん。私そんな名前じゃないですよ」
買い物かごを小さく揺らしながら、少女はにこやかな笑みを向けていた。もっとも洋は彼女が動く度にかごの中でころころと転がるジャガイモの方が気になっていたのだが。
「私の名前はゆあです。愛を結ぶと書いて結愛。わ、いい名前ですねー。びっくりです」
「自分でいい名前いうか? たく」
そう言いながらも、洋は内心確かに可愛らしい名前だと思う。今風のしゃれた名前が意外と似合っている。
しかし洋はなぜかもっと古風な名前を想像していた。何となくこの不思議な少女は、どことなく古めかしいものを感じさせていた。
服装も膝より上のミニスカートだし、サイドだけ三つ編みにして可愛くまとめた髪も今時の少女にしか見えないのだけども。いや、あの髪飾りはどうかとも洋は内心思う。
ただそれでいて、どこか「ゆあ」という響きが懐かしくも感じていた。どこか草の香りのような、自然の中の懐かしさ。
「あ、でも洋さんもいい名前ですよね。海のような大きく広い心をもった人になれっていうことですよね」
「そうらしいけどな」
結愛と名乗った少女の台詞に思わず頷いてしまう。確かに洋という名前は、そのままの意味で両親がつけてくれたものだ。
「まぁ、名前はいいとして、だ。それを貸せ」
言うが早いか返答を待たずに、結愛の買い物かごを手に取った。中に入ってるジャガイモを自分のかごに移すと、結愛の持っていたかごは元の位置に戻す。
「一つあればいい」
それだけ告げて結愛の答えも待たずに、すたすたと野菜売り場を後にする。
「はいっ」
結愛は大きく言葉を返した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます