第2話 キャラメルははんぶんこ
「わかりました! ちょっと待ってください……うんと、確かここに。うん、あった。はい、これどうぞ!」
がさごそとポケットの中から差し出されたのは、手の上にあるキャラメルが一つ。それも箱ではなくて、中身の粒が一つだ。
「お腹がすくと力が出ませんよね?」
にこにこと微笑む少女に、洋はもう何も言えずにただ溜息をついて軽く首を振る。
少女はしばらく微笑んだまま手を向けていたが、いくらたっても受け取ろうとしない洋に三度首を傾げる。
「あれ、食べないんですか? お腹空きましたよね?」
「あー、いらんいらん」
洋は手を振って答える。
「ふぇ。どーして? あ、そうか!」
どうやらそれが癖なのか、少女は何か思いつく度に柏手を打っていた。今もぽんと軽快な音を立てる。
今度は何だよ? と思いながらも洋は少女を見つめると、彼女は深々と頭を下げる。
「ありがとうございます!」
「はぁ?」
突如言われた礼に、洋は思わず声を漏らしていた。しかしもはやこの少女の唐突さには慣れつつあるのか、さほど驚きはない。
「キャラメル。一つしかないから私が食べろって事ですよね。優しいなぁ、洋さん。さすが私のパートナーです。でもパートナーならここははんぶんこが正しい姿ですよね!」
「だからそのパートナーってのは何なんだ!」
しかし叫んだ洋の言葉は全く耳に届いていないのか、少女は一生懸命キャラメルを半分に割ろうとしている。
何が悲しくてキャラメルを半分で食べねばならんのだと内心思うが、彼女はそんな洋をよそに、まるで一生の大事のような真剣な顔でキャラメルに立ち向かっていた。
「出来た! ちょっと形変わっちゃったけど、美味しいですよ、これ。一粒で三百メートル走れるんです。そう箱に書いてありますから。あ、でもはんぶんこだから……えっと百五十メートルですね」
笑顔で、本当に楽しそうな微笑みでキャラメルの片割れを差し出している。
今時、一粒三百メートルいうか? と洋は心の中でつっこむが、それは口にはしない。
ただ些細な事にも真剣な少女を見ていると、悪い奴ではないんだろうなと思えて、洋はいつの間にかキャラメルの片割れを受け取っていた。
無理に半分にしたせいか、キャラメルはもはや元の形を保っておらずいびつな物質と化している。しかし洋は気にせずそれを口に放り込むと、ゆっくりと噛んでみた。
甘くて、どこか懐かしい味がした。
「で、改めてきくが。そのパートナーっていうのは何なんだ?」
キャラメルを食べ終わった後、洋は少女へと再び訊ねた。
少女はまだキャラメルが口の中に残っているのか、「ふがふが」と言葉にならない答えを返す。
「はぁ。いいから先に食べてからにしろ」
物を口にしたせいか、それとも何となく和んでしまったからか、洋も先程よりは少し落ち着いていた。もっとも落ち着いているのは、いまさら焦っても欲しい答えは得られないだろうという諦めもあったのだが。
「はい。もう大丈夫です。えっと、それでパートナーが何かですね」
「そうそう」
初めて戻ってきたまともな答えに、思わず大きく頷いてしまう。やっぱり人としての会話はこうでないと、と心の中で呟く。
「パートナーっていうと、相方とか相棒とかって意味です。つまり洋さんは、私の相棒って事ですね」
「あああ、そうじゃねぇ! その相棒の役割とか、意味とかを訊いてるんだ!」
「ふぇ?」
洋の言う意味がわからないというように首を傾げると、こめかみに人差し指を当てる。
しばしの間、何かを考え込んでいたようではあったが、やがて何かに思い至ったのか、ぽんと両手を合わせた。
「そうかー。洋さんは
「一緒にダンスでも踊るのか?」
眉を寄せて呟いてみる。はぁ、と軽く溜息をつく。
「いやだぁ、違いますよ洋さん。例えるなら、そうだな。うん、そうだ。えっと洋さんは魔女って知ってます? あ、ほら魔女が宅急便配達する映画ありましたよね。あの子が連れていた黒猫の……」
「ちょっと待て」
少女が皆まで言い切る前に、洋は少女の台詞を遮っていた。なんだか嫌な予感がする。
「じゃ、なにか。パートナーってのは、魔女が連れている黒猫だの蛙だの
「うんと。ちょっと違いますけど、だいたいそういう事かなぁ。うん、そういう事です」
にこやかな笑みのまま、さらりとろくでもない事を告げる。
「そんな重大な役目は丁重にお断りする」
洋は言い放つと、くるりと振り返って彼女に背を向けていた。何が哀しくてそんな立場にならなきゃいかんのだと、口の中で呟く。
「ええっ、そんなっ。ダメですよっ。だってもう契約しちゃいましたから。そんな事すると
相変わらず訳のわからない事を言う少女に、洋は大きく息を漏らす。
「ああ、勝手にしろ。その雪人だか、雪男だかも俺は知らないし。関係ないだろ?」
いいかげん疲れが増してきていたのか、洋はやや強い口調で答えていた。いっそ走って逃げようかとも思ったが、なんとなくそこまでは踏み切れなかった。
「ふぇ」
不意に少女が何度目かの同じ言葉を呟く。口癖なのだろうか。わずかにそんなことが気になっていた。しかし、それよりも。刹那目の端に浮かんでいた水滴から目が離せなかった。
「そう、ですよね。関係、ないですよね。洋さん、
それだけ言うと彼女は涙を拭いもせずに静かに笑う。
「洋さんが嫌だというなら、仕方ないです。一人でやってみます」
迷惑かけてごめんなさい、と続けて少女はすぐに背を向けて走り出した。たたたたたっと足音が聞こえては消えていく。
去っていく後姿を見つめながら、変な子だったな、と思う。どこか少し悪い事をしたかな、とも思う。それでも、これでよかったんだと感じる気持ちの方が強い。強い筈なのに。何故か少女の涙が気になって仕方なかった。
今日出会ったばかりの少女。噴水の上に立っていた、ちょっとおかしな女の子。何も知らない、考えてみれば彼女の名前も知らない。ただ目を合わせただけの関係。それなのに胸の中がどこか空になったようなこの感覚を不思議に思う。
「洋さん、か」
考えてみれば洋の名をそう呼んだのは、彼女が初めてだったかもしれない。女の子に名前で呼ばれる事なんてそうは無かったから。
「案外悪くなかったかもな」
ぽつりと呟くと、少女が去っていった方へと視線をこらしてみた。もう彼女の姿はどこにも見えはしなかったけども。
「ん。ちょっとまて。あいつ、なんで俺の名前を知ってんだ?」
不意に気が付いた事実に、洋は困惑を隠せない。出会ったばかりだと思っていた少女。だけど、もしかするとそうではなかったのだろうか。
しかしもうそれを確認する方法はない。少女がどこの誰かすらも知らないのだから。
ただ胸のどこかに開いた隙間だけを感じて、洋はその場に立ちつくす事しか出来なかった。
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