僕にも魔法を使えたら
香澄 翔
一.日常と不思議と噴水の上の少女
第1話 噴水の上の少女
その少女は噴水の上に立っていた。
紅いセーターと白いフレアのミニスカート。その下にはすらりと伸びた細い素足。やや明るめの色をした長い髪を、サイドだけ三つ編みにして降ろしている。
第一印象は『可愛いけど、どこにでもいそうなごく普通の子』だろう。彼女が立っているそこが公園の噴水の上と言う事を除けばだが。
噴水の上とは言っても小さな像の間から水がこぼれるタイプで、彼女自身が濡れてはいるという訳ではない。しかしそれが奇異な行為である事には変わりはしないし、ましてやこの冬空の下で流れる水の傍だ。見ているだけでも身が凍えそうに感じる。
年の頃は十四、五歳くらいだろうか。高校生か、もしかすると中学生かもしれない。何にしても
しかしまだ小学生くらいならともかくこの歳でこの行為。洋は瞬時に「こいつは関わり合いたくない人種だな」と判断して身をそらそうとしたその瞬間だった。不意に少女がゆっくりと振り返った。
少女の視線がまっすぐに洋へと向けられていた。普段なら慌てて目をそらしたかもしれない。しかし何故か彼女から目を離す事が出来なかった。
もしかして俺は何か大きな間違いをしてしまったんじゃないだろうか。そんな思いが洋の心の中にどんどんと膨らんでいく。
少女は洋の顔を捕らえた瞬間、ぱぁっと顔に大きな笑顔を浮かべていた。それから突然、ぽんっと噴水の上から飛び降りる。しかし着地で足を滑らして、慌ててバランスを取っていた。なんとか倒れずに済んだようで、少女はほっと息を漏らす。
危なっかしい奴だなとは思いつつも、何となく微笑ましくてついつい見守ってしまう。しかしすぐにはたと気が付いて、心の中で大きく首を振るう。こんな奴と関わったらろくな事にならない、と警告する自分がいた。
少女はそんな洋の内面に気が付いているのかいないのか、誰でも思わず微笑み返してしまいそうなとびっきりの笑顔で洋へと笑いかける。
けっこう可愛いなと思って、もう一度首を振るう。洋の中の警報は今やレベル5に達していた。逃げるなら今のうちだ、と。
しかし次の瞬間、少女はたたたっと小さな足音を立てながら洋へと走り出して、目の前で急停止する。かと思うとものすごい勢いで洋の周りを回り出して、あちこちくんくんと匂いを嗅ぐ。
「犬かっ、お前はっ」
思わず叫ぶ。その瞬間、少女はきょとんとした顔で洋を見上げていた。わずかに首を傾げて、それからぽんと胸の前で柏手を打つ。
「うんっ。私、決めました」
少女は洋をじっと見つめながら、はっきりと告げていた。ソプラノボイスっていうのか、綺麗な声だと洋は思う。そして同時に「ああ、もう手遅れだ」と心のどこかで感じ取っていた。
決めたって何をと言いかけて口をつぐむ。出来る事なら自分から関わりたくなかったのもあるが、それよりも少女が機関銃のような勢いで話し出したからだ。
「どうですか? いいですよね? いいと言ってください! 言ってくれるまで離れません。お願いですから、いいと言ってください! ほら、貴方はだんだんいいと言いたくなります。どうですか? ダメですか? そんなことないですよね。いいですよね?」
「あ、ああ」
あまりの剣幕に思わずうなづいてから、しまったと思い直す。そもそも何がいいのかもよく分からないのに、迂闊な返事をしてしまっては完全に向こうのペースだ。
しかしそんな洋の内心にはお構いなく、花咲くような笑顔が少女の表情に広がっていく。
「これで決まりですねっ。それでは洋さんは、これから私のパートナーです」
「おい、勝手に決めるな。なんだ、そのパートナーって!」
洋は思わず強く叫ぶ。しかし考えてみれば「いい」と返事したのは自分自身だ。例え勢いに押されてとはいえ。
もっともだからといって彼女のペースでいろいろ決められたのではたまらない。ましてパートナーとやらが何を意味しているのか、洋には分からないのだから。
「でもでもでも洋さん。いまいいって言ったのに。まさか嘘だったんですか!?」
彼女は案の定その事に触れてくる。洋は頭を抱えたくなる感情を抑えながら、出来るだけ言葉を選んでやんわりと告げる。
「今の返事はただの相づちだ。いいと言った訳じゃない」
よし完璧な言い訳だと口の中で呟くが、しかし少女は納得していないらしく、ぷぅっと頬を大きく膨らませる。
その様子に「けっこう可愛いとこあるな」と思うが、慌てて心の中で頭を振るう。これでは相手の思うつぼだ。
「ふぇ。やっぱり嘘だったんですね。そんな事したら
少女はにこやかに微笑むと、ふと洋の手を取った。長い間、外にいたのだろう。ずいぶんと冷えきった手をしていた。しかしそれでも彼女はここにいるのだと感じさせる温もりが伝わってくる。
微かな暖かさに一瞬心奪われていたが、次の瞬間、はっと意識を目の前に戻す。
「なんだ、その契約って!? 俺はそんなもの――」
結んじゃないぞ、と続けようとしてしかし声に出す事は出来なかった。
気付いたら少女の顔が文字通り目と鼻の先にあったから。僅かでも動いたら触れてしまいそうなほどに。
洋の心臓が強く跳ね上がる。大きな瞳と長いまつげが、はっきりと見てとれた。
「じっとしててください」
少女の声と共に軽く吐息が肌に触れる。さらにゆっくりと彼女は顔をずらし、洋の顔を覗き込んでいた。刹那、まぶたにぺろんと暖かい彼女の舌先が触れる。
「はい、とれました」
舌先をちょんと出して見せると、その先に小さなゴミがついている。おそらくは紙くずか何かだろう。
少女は舌に乗ったゴミを指先で取ると、ティッシュに包んでポケットにしまう。
「……おまえ、何やってんだ?」
憮然とした顔のままで洋は訊ねる。たぶん訊ねても欲しい答えは戻ってこないのだろうな、とは思いつつも。
「ふぇ? だってほら。ゴミをその辺に捨てちゃいけません! って小さい頃、言われませんでした? だからポケットに入れておいて後でごみ箱に捨てるんです」
きょとんとした表情で少女は先程のゴミをいれたポケットを見つめると、そのままぽんぽんと軽くポケットを叩く。
あれは中にゴミがある事を確認したつもりなのだろうか、と洋は思うが彼女の考えている事はよく分からない。
「いや、そんなことでなくてな。いいか? なんで、お前が、俺の、目についたゴミを、なめとる必要があるんだって訊いてるんだ!」
洋は声を荒げながら言い放つと、はぁと溜息をつく。文節で区切りながら説明したのは、洋の怒りの度合いを表しているのだろう。
しかし少女は洋の言っている事が分からないと言うかのごとく首を傾げると、そのまま身体ごと斜めに傾けていく。
それ以上傾けたら倒れるだろと洋が考えた瞬間、少女は不意にまっすぐに体勢を戻して、ぽんと小さく柏手を打った。
「あ、わかりました! 次からは舌でなくて、指でとる事にします!」
「ああああっ、そうじゃねぇ」
洋は思いっきり叫んでいたが、しかし少女はうんうんと一人頷いている。もう彼女の中では完全に結論が出たらしい。
ぐぐぐぐぐ……と唸りを上げている洋を見つめ「ふぇ?」と呟くと首を傾げる。しかし今度はすぐにその手の平をぽんと合わせた。
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